日本の福音派は80年代の飛躍的成長を後に、頭打ちの状況が続いている。11年前に斬新なリーダー達が、こんな事を語っていた。
「数的成長」から「健康な教会」へと題し、リバイバル新聞2002年新年号掲載されていた石原良人師と天野弘昌師の対談した内容よりキーフレーズをピックアップしてみた。
* 召しと賜物を確認する
* 宣教のコンテキスト (宣教無き神学は滅びる)
* 人間関係が大切(友人ができないと教会を去る)平均寿命 2.8年
* 弱さ、失敗を分かち合える透明な関係を築く
* オイコス伝道 (家族、友人、知人)伝道にフォーカス お金をかけない伝道。
* セルチャーチ 顔を会わせる関係、聖書的な教会を求める
* ネットワーク・チームワーク 宣教師をチームで送る
* 国際的な教会
* チャーチプランティングムーブメント 教会が教会を生み出す。
* 弟子訓練 多くの牧師は神学校で弟子訓練される体験が無い。DNAをつくる。
* 解放 教会の中で一番強いのが「支配の霊」。イエスより牧師に注目させる。
* 御声に対する柔軟性 教会も個人も構造改革が必要。型にはまらない。
* 本物の教会 若者伝道には本気で本物の教会つくりが必要。 JESUSは興味あるが制度としての教会には興味ない。
* 信徒は眠れる巨人
* 「自分の教会」という意識を捨てる。「御国」のメンタリティーを持つ。
実際、以上のようなイノベーションを行わない伝統的な教会は高齢化し、次世代を引き付けられず、時代から置き去りにされつつある。私は、21世紀は「教会論」がテーマになると直感していたが、2000年からは、コミュニティ、小さな教会の強調、都市への回帰などが見られるようになった。2000年間のキリスト教の伝統は聖書的というより、それぞれの時代の異教の影響が大きいと指摘したフランク・バイオラの ”Pagan Christianity?”はアメリカで物議をかもした。(このブログで以前、彼の本の要約と解説を書いたので、興味ある方はアーカイブをご覧下さい。)ノンクリスチャンのニーズに答えるという、いわゆるSeekers sensitiveから、福音派の若いリーダー達は「新約の教会」に戻ることに興味を示し始めた。
「新約時代と現代の教会の対照分析」として掲載された2008年10月12日リバイバル新聞の記事より。
ラルフ・ネイバー氏による表から抄出
新約時代の教会 現代の教会
場所
家から家へ動く 会堂中心
活動
毎日(生活中心の交わり) 週ごとの礼拝
弟子訓練
口から耳へ、個人的 授業形式、具体的規範の欠如
個人的でない
牧師の仕事 信者の生活のモデル、規範 よい説教をする
教会員の可能性 他の人への伝道、全き献身 集会出席、什一献金、計画に沿う
視点
セルグループに焦点 会衆に焦点
鍵となる言葉 行って弟子をつくりなさい 来て、一緒に成長しよう
そして、世界ローザンヌ会議マニラ宣言からケープタウン決意表明まで、教会の社会的責任や、包括的福音という言葉が語られて来た。
新たに台頭してくる文化に対して教会はどう対処するのか?以下は、「21世紀の教会は…」と題し、私が2000年に書いた記事です。
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ケータイ礼拝
先日、伝団連の1泊研修会に出て、大いに啓発された。2001年には日本人口の約半分がインターネットユーザーになると予測されている。2003年には各教会がホームページで礼拝風景を伝達し始める。そうするとインターネットで流されている自分の教会の
礼拝を出張先から携帯TV電話でキャッチして見るということが可能になる。早起きが辛い青年会の若者は言うかもしれない。「なぜケータイ礼拝じゃいけないの」。
カフェチャーチ
キリスト教界の脱西洋化が進み、教会のイメージも三角屋根に十字架ではなくなってゆくだろう。オフィスの一室、レストランやカフェが礼拝場所ともなってゆく。さらには、都会人のライフスタイルに合ったミッドナイトチャペルや24時間オープンのコンビニ教会も出現するかも知れない。ハイテクだからこそ、ハイタッチ。セルチャーチ運動に見るように建物よりもコイノニア中心の教会形成が進むのではないだろうか。
新種の求道者
教会の看板には「どなたでもおいでください」とある。ある教会では女装した男性の求道者が通っているという。先日TVで新婚カップルが紹介されていた。何とこのカップル、夫が女性で妻が男性なのである。2人とも自分の性が受け入れられず、このような結果になって幸せ?に暮らしているという。さて、こういうカップルが牧師に司式をして欲しいと尋ねてきたらどうするのだろうか?性のボーダレス化で教会は新しいチャレンジを迎える。
21世紀の教会を垣間見てみた。果たして激変する社会環境を教会はチャンスとして生かせるだろうか。伝道団体はどう99%にアプローチしてゆけるのか。神は21世紀の人々をも愛しており、クリエイティブな方策を用意しておられるはずである。
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そして、今日、「神の国」や「シャローム」(神—人、人—人、人—自然、全方向への平和と祝福の関係)がクリエーションケアという言葉と共にキーワードになってきている。その文脈の中で、生物多様性や地球温暖化などの問題も無視できなくなってきている。「神の国」は「教会」より広い概念で、神が全人類、全被造物を支配しているという視野を持つ。そこに「公義、愛、平和」といった神の価値が実現するため、ノンクリスチャンと共に社会に働きかけるというスペースが生まれる。長年、言葉による福音にフォーカスしてきた福音派が3:11以来、「宣証共同体」を立ち上げ、愛の奉仕や地元コミュニティへの繋がりを口にするようになり、社会派が言葉による福音宣教を口にするという逆転現象も起って来ている。
最近、話題になっている「福音の再発見」(スコット・マクナイト著 キリスト新聞社)という本では、福音派の福音が「個人の救い」にフォーカスされすぎ、本来、福音が「イスラエルの物語の完成」である点を見失っているとしている。つまり、イエスは個人的な救い主だけでなく、メシアであり、この宇宙の主であり、王であるとう視野。
教会が滅びてゆく「文化」の一形態となるのか、クリスチャン教会文化はサブカルの1つと見なされたままなのか、公に存在感を示せるようになるのか? 避難所マップに神社仏閣はマークされているのに、教会のマークがない日本で、教会は市民権を得られるのか?
やはり、「神の国」、「シャローム」という視野はいい方向なのではないだろうか?
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