2015年10月23日金曜日

福音に生きる

日本では3:11東日本大震災を機に「教会」「宣教」「福音」について再考がなされています。つまり、今まで通りの伝道や教会形成でいいのかということです。その中から、もっと地域コミュニティに支えてゆく、そして、よき業をコミュニティのため行ってゆく「教会=よき業宣証共同体」という考えが出てきています。しかし、それは日本だけではなく、世界的にも今までの「福音」の理解に疑問が投げかけられている流れがあったのです。現代アメリカのアナバプテスト派の神学者でノーザン神学校教授のスコット・マクナイトの書いた「福音の再発見」が日本語にも訳されて話題を呼びました。マクナイトはこう言います。

「われわれ福音派の者は全体として、使徒的な福音と言う意味での『福音派(Evangelical)ではなく、むしろ『救い派』(Soterian)になっているということだ。なぜ私はそう言うのか。それは、われわれ福音派の者は、『福音』(gospel)という言葉を『救い』(salvation)という言葉と(誤って)同一視してしまったからだ。

福音をただ、神との個人的な関係としてしまうと、「誰が救われていて、誰が救われていないか」ということだけで形作られる「救いの文化」(福音の文化ではなくて)をもたらすことになるという。そして、そもそも聖書が神とメシアと神の民の「物語」なのに、そこから切り離され、個人主義へ移ってしまう危険があると指摘している。(よく聞く表現で、「救いはイエスとの個人的な関係」と言う具合に)

では福音とは何なのか?それは福音書を見るのが一番いいという。(事実、新約聖書の最初の4つは『福音書』と呼ばれている)4つの福音書はイスラエルの物語を完成させる救いの物語として、イエスの物語を語っているという。ちなみにパウロはイスラエルの完成について、ひいては被造物の最終的贖いと回復についてまでの壮大なドラマをローマ書で語っている。

最近、注目されているイギリス国教会元主教のNTライトも聖書は神が神の民に語られた『神の物語』で、そのテーマは『創造から新創造へ』であるとする。しかも、その物語は「あなた」を主役として招いていると。(つまり聖書は大昔の本ではなく、今、私たち自身が聖書で語られた「神の物語」の真っ只中にいるということ。)従って物語の起承転結を理解するには、創世記から黙示録までの救いの大きな「流れ」を読まなければならない。それは人間の魂の救いだけではなく、被造物世界の救いの達成も含まれている。ライトの理解では聖書の物語の結末では、この物質世界は見捨てられるのではなく造り直され、復活した人々は新しい被造物世界に住んで神と共にそこを治めることになるという。ローマ8:17には「私たちはキリストとの共同相続人である。」と書かれている。当然、相続するのは御父の所有する「御国」。この世の消滅ではなく、トランスフォーメーションとうい考え。そうすると、物質世界の連続性があることで、今この地上でなされる仕事や社会事業に意味が出てくる。

しかし、個人的には疑問も残っています。IIペテロ3:10からの「天の万象は焼け崩れ去り・・」という箇所の解釈をどうするか?世俗のシステムの廃止というだけならなぜ、「地と地のわざは焼き尽くされ」だけで止まらずに「天は大きな響きをたてて消え失せ」と書かなければならないのか?また、 Iテサロニケ4:16−17が黙示文学的な表現であり、「象徴的描写」とライトに言われると、「レフトビハインド」の世界をそのまま信じてきた私などには戸惑いもあります。しかし、「象徴描写」としたほうが平安があるのも事実です。空中携挙前にとにかく伝道し、自分はイエス様の元に引き上げられ、その後、地上がどうなろうと関係ない、というのもいかがなものかと思います。また、この天地が崩れ去り、全く新しく新天新地が形成されるのであれば、この地上で為す社会事業は究極的には意味がないことになる。実際、映画「レフトビハインド」を見ると、エンターテイメント映画としては面白いが、これを本当に信じているのかと言われると、どうも今の自分には違和感もあるのです。

さて、福音書の中心はイエスであり、ではイエスは何を教え、何をしたのでしょうか? 以前にも書きましたが、イエスは

1.      悪霊を追い出し。
2.      病人を癒し
3.      「神の国」を宣べ伝えた

いつも、この3点セットです。弟子たちが悪霊を追い出せずにいた時、イエスは「この種のものは祈りによらなければできない。」と言われました。現代でも多くの場合、悪事を行う時に悪い者の誘惑の声を聞くのではないでしょうか?個人のレベルでも国家レベルでもそうでしょう。だから、祈りが必要なのです。祈りによって霊の流れを変える、霊的な環境を変える、悪霊の働きを縛ることが必要なのです。つまり、この第1点目は「祈りのミニストリー」と言えます。私は山手線一周祈祷に参加していますが、決して無駄なことだと思っていません。天と地を結ぶ祈りができるのはイエスの名によって祈るクリスチャンだけです。総理大臣でもできないことなのです。名もない我々がイエスの名によって祈る時、「宇宙の主」である神は聞いてくださるのです。

2番目は体の癒しはもちろんのこと、精神の癒し、ひいては社会の癒しも含まれるでしょう。物質世界をお造りになった神は我々の肉体面もケアされます。そのお心を持って、個人の病の癒しから社会奉仕に至るまで、罪が入って傷ついているこの世の痛みに仕え、奉仕することではないでしょうか?具体的にはホームレスや貧困シングルマザー、被災地の人々に仕えるなどがあります。

そして、3番目には「神の国」を説くこと。神の国とはロケーションのことではなく、神が支配するところです。神がいるとはどういうことかを生活、仕事共同体=エクレシアを通して証することです。神はアダムを作ってから園を管理するという「仕事」を与えられました。人とは仕事を通して神の栄光を現す存在なのです。仕事を通してこの社会を機能させてゆくこと、そして、1ミリでも天国に近づけること。私たちの生活と仕事は神の国を広げることに緊密に関係しています。「エクレシアに来ると会社と180度違うんですよね。」と言うビジネスマンがいます。ある家庭集会に参加したビジネスマン男性が「こんな世界があるんですね〜」と感動していました。クリスチャンの集まるところ不思議な魅力が生まれます。この東京砂漠に「神はいる!愛はある!こんな世界がある!」ということを証してゆくのです。とくに共同体=エクレシアの証です。クリスチャンが互いに愛し合い1つになっていることがこの世への一番の証なのです。(ヨハネ17:21)

祈り、奉仕(仕事)し、神の国を証していきましょう。
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意味ある人間関係と祈りで広がるキリストを中心とするコミュニティ。
東京メトロ・コミュニティ(TMC

japantmc@gmail.com (栗原)