『怪獣少年の"復讐"70年代怪獣ブームの光と影』切通理作[著](洋泉社)の書評にこんなのがありました。
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とりわけ真船禎の証言による「殉教者ウルトラマン」は異色。彼は『帰ってきたウルトラマン』製作当時、脚本の市川森一が自らキリスト者であると公言していたこと、それは宗教をタブー視する当時の業界においては異色であったこと、自身はキリスト者ではなかったがキリスト教にシンパシーを感じてはいたこと、そして今は自身もキリスト者であることを証言している。
ウルトラマンシリーズにはどこかキリスト教的なモチーフが漂っている(最近終了した『ウルトラマンオーブ』もヨハネ福音書の闇に打ち勝つ光を連想させた)が、ここまで直接的にキリスト教そのものとウルトラマンとの関係性を証言した記事は珍しい。
[レビュアー]キリスト新聞社
キリスト新聞 「Ministry(ミニストリー)」2017年2月号 掲載
とりわけ真船禎の証言による「殉教者ウルトラマン」は異色。彼は『帰ってきたウルトラマン』製作当時、脚本の市川森一が自らキリスト者であると公言していたこと、それは宗教をタブー視する当時の業界においては異色であったこと、自身はキリスト者ではなかったがキリスト教にシンパシーを感じてはいたこと、そして今は自身もキリスト者であることを証言している。
ウルトラマンシリーズにはどこかキリスト教的なモチーフが漂っている(最近終了した『ウルトラマンオーブ』もヨハネ福音書の闇に打ち勝つ光を連想させた)が、ここまで直接的にキリスト教そのものとウルトラマンとの関係性を証言した記事は珍しい。
[レビュアー]キリスト新聞社
キリスト新聞 「Ministry(ミニストリー)」2017年2月号 掲載
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これがYahoo Newsに載っていました。あれだけ子供達に影響を与えたウルトラマンの背後にクリスチャンがいたとは!やはり、メディアの世界にクリスチャンがもっと欲しいですね。映画や音楽、アートは世界観に影響を与えることができます。
知られてませんが、ゴジラの生みの親である円谷英二監督は洗礼を受けたカトリック信者でした。初代ゴジラは痛烈な反核メッセージを持った映画でしたね。僕は平成ガメラシリーズのファンですが、ここでのガメラは救い主イエス・キリストを彷彿させます。ガメラの称号はGuardian of the universe(宇宙の守護神)であり、映画初頭のタイトル画面ではガメラの「メ」が十字架なのです。これはもう確信犯です。第二作「レギオン襲来」では文字通り敵怪獣の名前が「レギオン」(多くの悪霊を宿すもの)であり、映画中にわざわざ新約聖書を引用したセリフさえ出てきます。ストーリーは見る人が見れば、もう福音書です。
ガメラは一度は強敵である宇宙怪獣レギオンにやられ死んで(?)しまうのですが、子供達の祈りによって復活し、最後はレギオンをやっつけます。救い主が朽ち果てたままでいることはないのです。(どっかの聖句にあったな)ガメラは昭和の初代ガメラの頃から子供の味方で、しばしば敵怪獣の光線を自らの手で遮断し、子供を守ります。自分の手は多量の出血(?)をし、相当痛そうです。そうやって犠牲を払ってまで人々の命を助けます。ちょっとウルウルさえしちゃうのです。(笑)ここにはいろいろな聖書的な世界観・価値観が散りばめられているのです。
1.この世はもともと平和だった。
2.そこに突然悪い怪獣が現れ、人々を恐怖のどん底へ落としめる。
3.このままでは人間社会が破滅する。
4.自衛隊などが抵抗するが敵怪獣には勝てない。人間だけでは問題が解決できない。
5.そこにガメラやウルトラマンが現れる。
6.かれら英雄は自ら犠牲を払って(命を削ってまで)悪と戦う。
7.ある場合は一度、敵にやられ、その後、復活する。一度は悪が勝利する
8.ついには英雄が悪をやっつける。
9.世界に平和が戻る。
10.
英雄は見返りを求めず、去って行く。
「善」と「悪」が存在すること。その化身であるヒーローと悪役が存在すること。最後には「善」が勝ってハッピーエンドになること。つまり、暗は光に打ち勝たなかった。(ヨハネ1:5)。つまり、最後にはヤクザ言葉で言えば「おとしまえ」がつくこと。黙示録は「おとしまえ」の書とも言えるでしょう。これは仏教の世界観ではなく、聖書の世界観です。実はこれはすべてのヒーローもののシナリオなのです。スーパーマンでもバットマンでも。さらには僕の好きな勝新太郎の「座頭市」でも同じです。初代ウルトラマンのテーマソングは「光の国よりボクらのために、来たぞ、我らのウルトラマン♩」でした。イエス・キリストは正に光の国より僕らを救うためにやってきたのです。そして、十字架と復活をもってサタンを打ち砕き(創世記3:15の成就)勝利したのです。そして、(宇宙へ?)と戻って行きました。
最近はNTライトの影響もあってか、聖書を「神の物語」として読む傾向があります。今までのような、神、罪、救いという組織神学的に読むのではなく、創造から完成までのストーリーとして読むのです。大きくは以下のような流れです。
創造:すべてが良かった。ヘブル語のシャロームはすべてに調和があり、平和を保つ状態のこと。まさに、神のシャロームが実現していたのです。
堕落:人が神に対して罪を犯し(神への不信)、罪が世に入り、この世界は呪われてしまいました。仕事(労働)は苦となり、人は妬みや憎しみを覚え、アベルの殺害という世界で初の殺人事件が起こってしまいます。
贖い:しかし、神は贖いの計画を持っておられ、時至って、救い主イエス・キリストを地上に送り、贖いの業を十字架上で完成させます。
回復:今は救いの時、恵の時、回復の時、贖いの時。信じるものに聖霊が注がれ、癒しと回復が個人、社会レベルで始まっています。神の国は「まだ」完全には来ていませんが、「もう」始まっています。ただ、この期間はサタンがまだ解き放たれているので、最後のあがきをして人々を惑わし、地獄へ引きずり込もうとしています。ですから霊的戦いの時でもあります。この期間は、あの「ナルニア国物語」のように「フツーの人」であるペペンジー兄弟がアスランのバックアップのもとに巨大な悪と戦ったように、私たち「フツーの人」が聖霊の力でサタンの勢力と戦う時なのです。
完成:やがて主ご自身が再び来られ、すべてを彼の足の下に置かれます。すべての権力があるべき秩序で、あるべき所に置かれます。サタンは火の池に投げ込まれ、愛なる神の完全な統治が行われます。そしてあの「ナルニア国」のようにアスラン(神)と共に王国を治めるものとなるのです。
これって、さっき見た、ヒーロー映画と同じ流れですね。いや、ヒーロー映画が聖書の物語をパクってるんでしょう。もっと正確に言えば、神に造られた人間はそういう仕立ての物語が一番自然にフィットするのです。もし、ウルトラマンと怪獣が永遠に戦い続け結末が無いとしたら気持ち悪くなり、テレビのスイッチを切ってしまうでしょうね。ヒーローは勝つのです。最後はハッピーエンドなのです。「聖書は日本人には難しくて分からない?」でもウルトラマンは分かりますね。大人気なんですから。ストーリーの骨子は同じなんです。ウルトラマンが分かるなら聖書は分かります。ウルトラマンはファンタジーで、コピーですが、キリストはリアルでオリジナルなのです。オリジナルがなければ、コピーも無いのです。
神の物語はまだ終わってません。あなたも私もこの物語に出演中です!しかし、結末を知っているから希望があるのです。勇気が出るのです。
意味ある人間関係と祈りで広がるキリスト中心のコミュニティ
東京メトロ・コミュニティ(TMC)