2020年1月19日日曜日

初代クリスチャンの信仰


 「主は1つ、信仰は1つ、バプテスマは1つです。」(エペソ4:5)とパウロが言うとき、信仰は1つとは何を意味したのだろうか?

初代のクリスチャンたちは何を信じていたのだろうか?「主は1つ」と言ってもすでにキリストは神と同質なのか、被造物なのかという、激しい論争があり、AD325のニケア会議で以下のごとく決着がついた。

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ニカイア信条
Nicene Creed

(1) 1ニカイア公会議 (325) において採択された信条。エルサレム教会の洗礼式の信条を土台に,アリウス派に対して正統信仰を擁護する目的でつくられ,一部議員の躊躇を押切ってホモウシオス (同一実体のという聖書にはみられない神学用語を挿入して父と子の絶対的同一性を強調。さらにアリウス主義に対する4つのアナテマ (断罪文が付加された。 (2) ニカイア=コンスタンチノポリス信条略称としても用いられる。


我らは、見えるものと見えざるものすべての創造者にして、
すべての主権を持ち給う御父なる、唯一の神を信ず。
我らは、唯一の主イエス・キリストを信ず。
主は、御父より生れたまいし神の独り子にして、御父の本質より生れ、(神からの神[3])、光からの光、
まことの神からのまことの神、造られずして生れ、御父と本質を同一にして、
天地万物は総べて彼によりて創造されたり。
主は、我ら人類の為、また我らの救いの為に下り、しかして肉体を受け人となり、
苦しみを受け、三日目に甦り、天に昇り、生ける者と死ぬる者とを審く為に来り給う。
また我らは聖霊を信ず。
主の存在したまわざりし時あり、生れざりし前には存在したまわず、
また存在し得ぬものより生れ、
神の子は、異なる本質或は異なる実体より成るもの、造られしもの、
変わり得るもの、変え得るもの、と宣べる者らを、
公同なる使徒的教会は、呪うべし。

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それ以前に、もっとシンプルな信仰告白が確立されていた。現在でも多くの教会で「主の祈り」と共に告白されている「使徒信条」である。使徒が書いたわけではないが、2世紀の終わりには諸教会の共通の信仰告白として確立されていた。

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出典 株式会社平凡社百科事典マイペディア
使徒信条【しとしんじょう】

ラテン語でSymbolum Apostolicumキリスト教最古の信条(信仰告白)たる〈ローマ信条〉(2世紀後半)にもとづいて作られた信条。全12で,十二使徒がその各節を記したという伝説がある。カトリック,プロテスタントがともに用いるほとんど唯一の信条で,文語訳の全文は以下のとおり。


〈我は天地の造り主,全能の父なる神を信ず。我はその独り子,我らの主,
イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり,処女マリヤより生まれ,ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け,十字架につけられ,死にて葬られ,陰府(よみ)にくだり,三日目に死人のうちよりよみがえり,天にのぼり,全能の父なる神の右に坐したまえり。かしこより来りて,生ける者と死ぬる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会,聖徒の交わり,罪の赦し,身体のよみがえり,永遠の生命を信ず。アーメン〉。


まず、「身体のよみがえりを信じていること。これは単なる「霊魂の永続」とは違う。第一コリント15章でパウロが詳細に述べているので、ここでは省力するが、クリスチャンの信仰のユニークかつ重要な部分だ。我々は復活の体、御霊の体、朽ちない体を頂く。人間はそもそも霊と体によって成り立っている。
霊だけで永続するのではない。

キリストは3日後に「私達の初穂として」(Iコリ15:20)復活され、天に昇り、現在は父なる神の右に座している。しかし、そこに留まるのではなく、「かしこより来たりて」すなわち、天から再び地上に来られる、来臨される。再び来られるので「再臨」とも言っている。この「再臨」思想も新約聖書を読めば疑いようもないほど明白なクリスチャンの信仰内容となっている。事実、黙示録の結論は「アーメン、主イエスよ、来てください!」である。「アーメン、天国へ行かせてください。」ではない。

その次は、「生ける者と死ぬる者とを審きたまわん」つまり、再臨のイエスは審判官として来られる。この表現はIコリント15:51−52、使徒の働き10:42、Iペテロ4:5、IIテモテ4:1と複数回出てくる。この側面を忘れてはならない。現在、地上に生きている全ての人そして、歴史を通してすでに死んだ人、すなわち人類全てをさばく方としてのキリストを告白しているのだ。

ちなみに裁きは父ではなく、御子イエスに任されている。(ヨハネ5:22)。全ての裁きが終り、全ての悪の権威、権力を滅ぼし、全てにカタがついた時、「国を父なる神にお渡しになります。」(Iコリント15:2426)興味深いことに黙示録21、22章の「新天新地」ではキリストは「裁き主」「王」としてではなく「子羊」と表記されている。

大事なことはこの世界はこのままではないということ。今の世を見て人は「神も仏もあるものか!」と言うかもしれない。確かに今はサタンの大活躍の時。悪や暗闇が支配する時。しかし、神は指を加えて現状に甘んじている訳ではない。2000年前に御子イエスを送り、十字架での贖いを完成させ、今は世界宣教の時代。福音が宣べ伝えられ、奥義としての御国=教会が始まっている!(エペソ3章)そして、キリストは、やがてもう一度、地上に来られ全ての悪を滅ぼされる。(黙示19:19−21、20:7−10、20:13−15)

多くの教会は「受難のメシア」「救い主」としてのキリスト・イエスを語っている。それは必要なこと。しかし、今度やって来られるキリストは「裁き主」であり「諸国の王」(黙示1:5)であることを忘れてはならない。



ちなみに「死ねるもの」を裁くとはどういうことだろうか?多くのクリスチャンが「イエスを信じて死ぬものは即天国、信じない者は即地獄、そこに永遠に留まる。」と思っているようだが、聖書的にはもっと複雑だ。「また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。」(黙示20:12)とあるので、死んだ後、これから最終的な裁きを受けることになる。

イエスを信じた者は「パラダイス」に行く。信じないものは「ハデス」に落とされる。パラダイスはイエスと共にいる「休息」の場であることは間違いないが、永遠の場ではない。中間的な場所なのだ。そして「ハデス」も苦しみの場所ではあるが永遠の苦しみの場(地獄)とは区別される。

「このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出てくる時が来ます。善を行ったものは、よみがえっていのちを受け、悪を行なったものは、よみがえってさばきを受けるのです。」(ヨハネ5:28−29)

「海はその死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。」(黙示録20:13)これはキリストの最終的裁き「白い御座の裁き」の記述だ。

一時的に「ハデス」にいた罪人は「よみがえって」白い御座の裁きを受ける。そして、その「「ハデス」自体も火の海に投げ込まれて無くなる。(黙示20:14)これで「ハデス」は永遠ではなく一時的な場所であることが分かる。ここで言う「火の池」がいわゆる「地獄」であり、永遠の苦しみの場所であることが分かる。(黙示20:10)

キリスト再臨時に生きている不信者(獣=反キリストに従う者たち)は獣、偽預言者とともに火の池に投げ込まれるとある。(黙示19:19−21)つまり、「死んだもの」も「生きたもの」も審判者なるキリストに裁かれるのである。

一方、信者は天で「キリストの御座のさばき」を受けるが、これは「救いVS滅び」の裁きではない。クリスチャンは罪に定められることが無いからです。(ローマ8:1)これはむしろ地上でクリスチャンとしてどう生きたかが「評価」される時であり、「報酬」の時なのだ。(Iコリ3:9−15)

黙示19:8を見ると「白い衣を着ることが許された。」とあるので、全ての評価が終わり、「よし」とされ花嫁である教会はいよいよ花婿キリストとの婚姻に臨むのです。(黙示19:7)その後、キリストの地上再臨の際、それにお供するのです。(黙示19:14)そして、反キリストが滅ぼされ、サタンが縛られた後、千年間、聖徒たちはキリストと共に王となるのです。いわゆる「千年王国」です。そして、その期間はいわばキリストとの結婚式後の披露宴のような祝福の時です。なにせキリストが地上の王であり、サタンは地上にいないのですから。そして黙示録21章からの新天新地という永遠の秩序に入っていきます。

これで単に死んだ後「天国、地獄」というシンプルなステップではないことが分かります。そして、主の「再臨」「信者の肉体的復活」、地上に成就する「千年王国」(メシア王国)は「聖書の比喩的解釈」をする新神学(オリゲネスに代表されるアレキサンドリア神学)が入ってくるまでは文字通り信じられていたのです。

もう一度、初代クリスチャンが何を信じていたのか確認することは今日大事な作業ではないでしょうか?

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意味ある人間関係と祈りで広がるキリスト中心のコミュニティ
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