「こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、誰にもあなたがたを批評させてはなりません。これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。」(コロサイ2:16−17)
主な例祭はレビ記23章に出てきます。
1. 過越の祭り(ペサハ)
イスラエルの民がエジプトから脱出したことを記念する祭り。エジプトに最後の災いが下される時、イスラエルの民は子羊の血を門柱と鴨居につけた。それを見て主なる神が通り越し、災いはイスラエルの民を打たなかった。(出エジプト12:13)7日間、「種無しパンの祝い」(出エジプト12:15、ルカ22:1)として祝われる。
パン種は通常、聖書では「罪」を表すので、「種無しパン」は「罪のない子羊イエス」が十字架で私たちの罪を負って死に血を流したことを予表していることになる。
主イエスは子羊がほふられる「過越の晩餐」を弟子達と過ごし、翌朝、
(過越の祭の間)午前9時に十字架につけられ私達の罪を負って死なれ
た。同じ時間に神殿では過越の小羊が屠られていた。
2. 初穂の祭り
レビ23:10〜14 収穫の初穂の束を祭祀のところに持ってくる。
祭司はそれを揺り動かし、主への捧げ物とする。Iコリント15:20「今やキリストは眠ったものの初穂として死者の中からよみがえられました。」
これはキリストの「復活」を表している。
3. 7週の祭り=五旬節
(シャブオット=ペンテコステ<ギリシア語>)
過ぎ越しの祭りから数えて50日後の祭り。これはモーセがシナイ山で十戒を授かった出来事を記念する祭り。主は外側からの律法では人は救われないので、聖霊を内に住まわせ、神の定めを守り行わせようとした。(エゼキエル36:27)ペンテコステの日に聖霊が下って教会が誕生した。
「聖霊降臨」のペンテコステの出来事。
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ここまではすでに起こっているのです。ペンテコステから秋の「ラッパの祭り」までの夏の間のインターバルが「今の時代」と解釈することもできます。そうすると使徒1章6節、弟子の一人が訪ねた「イスラエルの再興はいつなのか?」という質問もあながち的外れではないのです。イスラエルの再興(メシア王国成就)はこの後、説明する「仮庵の祭り」が予表していることだからです。つまり順番としては、ペンテコステの次の大祭は「仮庵の祭り」すなわち、約束の地である「メシア王国」だからです。
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4. ラッパの祭り(ロシュ・ハシャナー)
夏の終わりが、ユダヤの新年。新年はヘブル語でロシュ・ハシャナー。聖書では「ラッパの祭り」と呼ばれ、ユダヤ式のラッパ(ショファーと呼ばれる角笛)を100回吹きならす。10日間、畏敬の念を抱いて過ごす。このラッパを「神のラッパの響のうちに、ご自身天から下って来られます。」(Iテサロニケ4:16)だとすると、
「携挙」の予表ということになる。
ただし、携挙のラッパは黙示録の第7のラッパと解釈する立場もある。(黙示11:15)
5.大贖罪日(ヨム・キプール)
ラッパの祭りの10日間のクライマックスが大贖罪日で、深い悔い改めの
時。今日でもこの日、断食する人が多い。祈りと礼拝の日。これは将来の
イスラエル民族の悔い改めと霊的大覚醒の時、
すなわち「大患難時代」の予表と考えることができる。
5. 仮庵の祭り(スコット)
断食から数日後には壮大な「仮庵の祭り」が行われる。これはイスラエル
民族がエジプトを脱出し、約束の地への途中、荒野で天幕生活したことに
機縁する。実際に「スカー」と呼ばれる仮小屋を作って体験的に祭りを祝
う。スコットは今日では最大のパーティで町中が飾られ、コンサートなど
も開催される。
これはやがてくる約束の地、地上に成就する「メシア王国=千年王国」の
祝福を予表している。
これに関して、ゼカリヤ書の最後の方に興味深い記事がある。14:16「 エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の主である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。」とある。「生き残ったもの」とは黙示録19:19にあるハルマゲドンの戦いの生き残り(軍勢は滅ぼされるので、軍勢を送り出した諸国の国民と思われる。)の事であろう。エルサレムに攻めて来た全ての民が仮庵の祭りを祝いにエルサレムに上ってくるとは大変興味深い。つまり、これは異邦の民であり、エルサレムの敵であった国々の民が祭りを祝いに上ってくるという事で、こんな事は未だかつて起こったことがない。
ハルマゲドンでの主の圧倒的な勝利を見て(黙示19:20−21)地上の諸国民はある意味、強制的に王なるイエスに従わざるを得なくなるのだろう。主は「鉄の杖で彼らを牧される。(黙示19:15)」とあり、千年王国ではキリストに絶対主権が与えられている。今は「信じるか信じないか」という信仰の問題だが、千年王国では目に見える形で主イエスが王として世界統治をなさっているので、「従うか、従わないか」の問題となる。逆らえば罰せられ、悪がはびこることはない。
事実、ゼカリヤ14:17−19 「地上の諸氏族のうち、万軍の主である王を礼拝しにエルサレムへ上って来ない氏族の上には、雨が降らない。もし、エジプトの氏族が上って来ないなら、雨は彼らの上に降らず、仮庵の祭りを祝いに上って来ない諸国の民を主が打つその災害が彼らに下る。これが、エジプトへの刑罰となり、仮庵の祭りを祝いに上って来ないすべての国々への刑罰となる。」とある通りだ。ここでは対象はユダヤ人ではなく、「諸国の民」となっている。言い換えれば、これは主イエスが王としてこの地上を統治する「千年王国」で実現する話である。
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付録:大艱難時代から千年王国への流れ
「荒らす忌むべき者」、「獣」、「不法の人」とも言われるサタンの化身である反キリストは3年半活動し聖徒たちを迫害する(黙示13章)。かつてないほどの苦難となる。(マタイ24:21)彼を中心に政治、経済、宗教が統一され管理されてゆくであろう。彼にとってはキリストの再臨を阻止するために、ユダヤ人を絶滅させる必要がある。彼は反キリスト軍勢をハルマゲドン(メギドの丘)から見下ろすイズレエルの平原に集合させる。(黙示16:16)
反キリスト軍勢はまずエルサレムに攻め入り略奪する。(ゼカリヤ12:2−3、14:1−2)反キリストを避け、神を畏れるイスラエル人はボツラに避難してゆく。ボツラ(ギリシア語ではペトラ)がある地域(エドム、モアブ、アモン)は反キリストによる征服を免れる。(ダニエル11:36—45)ここでイスラエルは国家的にイエスをメシアと告白し、主の来臨を願い、マタイ23:39の条件が満たされる。イエスはボツラに再臨し、反キリストの軍勢と戦い、(ゼカリヤ14:1−3、イザヤ34:6、63:1)軍勢を押し戻し、ヨシャパテの谷で彼らを滅亡させ、(ヨエル3:1−15)オリーブ山に立ち勝利を宣言される。(ゼカリヤ14:4)その後、栄光の王として神殿の東門(黄金門)からエルサレム入城され(エゼキエル43:4)、諸国の王として御座に着座される。(黙示1:5、ゼカリヤ2:10−11)
その後、サタンは底知れぬところに千年間閉じ込められ、(黙示20:2)地上ではキリストを王とするメシア王国(千年王国)が成就する。聖徒たちはキリストと共にこの王国を治めることになる。(黙示20:6)諸国の民は仮庵の祭り(この時点では成就した「メシア王国」を祝う祭り)を祝うためエルサレムに上ってくる。祝いに来ないものの上には災害が下る。(ゼカリヤ14:17−18)興味ふかいのは「諸国の民」となっておりイスラエルにいるユダヤ人だけに向けられた宣告ではない。この時点では文字通りイエスが全世界の王となっている。
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