2010年12月12日日曜日

「伝道は祝福すること、愛すること」


人ごみの中で、看板を掲げてラウドスピーカーから録音されたモノトーンの

メッセージを語っているグループがる。私の友人は、それを見て「愛を感じ

ない。」と言った。福音を伝えることが愛だという論理もあるだろう。

しかし、確かに、裁かれてる感じはするが、愛されてる感じがしない。ある

クリスチャン女性の話しを聞いた。彼女は会社で「社員とのつきあい」もせず、

誠実に祈祷会や教会の集会に出ていた。特別伝道会が近づいてくると彼女は

社長さんにチラシを渡し、集会に誘った。そこで社長さんは、言った「君は、

いつも付き合いもせず、さっさと帰ってしまうのに、こういう時だけ、集会

に誘うのかね。君みたいな人のいる教会に行きたくないね。」 社長は愛を

感じなかったのだ。私自身、反省することが多々あります。以前、宣教団体の

スタッフとして、営業成績?をあげるため、愛もないまま伝道したこともあり

ます。


マーク・ラッセル博士はアズベリー神学校での博士号を取得する際に、タイ

にある12のクリスチャン会社の調査をしました。このうち6の会社は

「改心志向」他の6つの会社は「祝福志向」だったのです。「改心志向」の

会社では会社を伝道する手段(人々がイエスを信じるようになる)として

理解していました。ビジネスは手段であり目的ではなかったのです。

「祝福志向」の会社では人々に職を与え、経済的に安定させてあげるなど、

ビジネスを人々の祝福ため用いました。そして、改心率を調べてみたのです。

48名の改心者が起こりました。47人は「祝福志向」の会社から、残り

1人が「改心志向」の会社から起こされたのでした。福音は世界とその中に

いるすべての人々を祝福するため与えられたのです。その結果、人々が救われ

るのです。


もし、人を改心させることだけが目的なら、人と文化を祝福する側面を欠い

てしまうのです。その結果、伝道も効果的でなくなります。変革は神のなす

業であり、私達の役目は愛し、祝福することです。この世の問題は霊的、

身体的、情緒的、知的、社会的な側面を持っており、霊的変革はその1つの

重要な要素ではあっても、すべてではないと理解し、この世の問題を

ホリスティック(全体的)に取り組んでゆくことが社会変革に繋がるのです。


だから、皆さんの携わっている多種多様な仕事により人々を祝福してゆくなら、

神にゆだねられた大事な働きをしていることになるのです。

人間として、関心を示し、その人の全的必要に答えてゆくとき、福音に対しても

自然に心を開くのではないでしょうか? イエス様がそうであったように、

私は「罪人の友」だろうか?

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