関西生まれの中澤氏が東北に遣わされて、現地で聞いた言葉は「3年住んでから、そういうこと(伝道)をしてくれ」であった。被災地に来たクリスチャンボランティアが「祈っていいですか」と聞いた時、「膝を交えて話した事の無い人に祈って欲しくない」と言われたという。それで、中澤さんは、「自分は祭りや弔いなどで、地域にかかわっているだろうか?」と思わされた。ねぶた祭があると、企業ごとに参加する土地柄。礼拝者の数ががたんと減るという。その人の土台である宗教を否定することから始めたら関係が築けない。否定ではなく、その人を受け入れる事から始める。イエスの愛をできるだけ外に表すことをし始めた。駆け引き無しに、ノンクリスチャンと共に歩むことを始めたという。今では、人間関係、信頼関係によって変革が起ると確信している。私達がまず、福音に生きることで福音を提示したいという。
次に話したのはイザヤ58ネット代表で福音伝道教団牧師の鈴木真さん。今までの西洋式の宣教を批判しつつ、「個人と神との関係だけで見る視点が、この世を断罪的に見て、逆に教会はいつも地域コミュニティにとけ込まないまま、家出人集団のようになっていくことに注意が必要。」と言う。地域に浸透する教会の形成のための「パラダイム転換」が鍵になるという。東北では先祖代々「講」というローカルコミュニティがあり、冠婚葬祭人生のすべてが「講」に組み込まれている。そこから抜ければ村八分的扱いになる。果たして、そうやって教会に個人を引っこ抜いてきて新しい教会コミュニティを作る事が効果的なのかという疑問にぶち当たった。教会が人々を呼び込み、囲い込むのではなく、地域の中に出てゆくことが必要なのではないか。「よき業を通して文化への浸透を図る福音提示が必要なのではないか。クリスチャンの社会貢献が必要なのではないか。そうでなければいつまでたっても「よそ者の宗教」、「西洋の宗教」という見られ方は変わらないだろうと。教会が市民権を得る。西洋と違って、日本ではそこからではないか。
最後のプレゼンターはVIPインターナショナルの市村和夫さん。コミュニティと繋がるため、聖書で禁じてないことは何でもやってみるという積極的な姿勢が印象的。神社で行われているラジオ体操にも参加するという。ノンクリスチャンと積極的に関係を作っている。関係なくして、良きニュースも聞いてくれない。仏教徒の中にも聖書に関心ある人達がいるという。(大乗仏教や神道は聖書の影響があるので)また、市村さんはインサイダームーブメントについて分かち合った。これは、イスラム圏でイスラム文化に留まりつつイエスを礼拝する、仏教圏で僧侶のまま、ハレルヤと礼拝する、ヒンズーがカーストに留まりつつイエスを礼拝する運動である。今までは、信仰持った「閉じられた国」のクリスチャンはアメリカなど自由圏に移り住んで信仰を保った。しかし、それでは周りに影響を与えられない。日本でも創価学会に留まりつつ主イエスを証している人のケースも話された。確かに学生でも、部活をやめてクリスチャンクラブに入ったりする。そうするとクリスチャンに囲まれて気持ちはいいが、ノンクリスチャンとの接点を失ってゆくことになる。このムーブメントは世界に広がっているが、シンクレティズム(混合宗教)などの危険性もあり、クリスチャンの間の評価は定まっていない。
ともあれ、刺激的な内容で面白かった。前回の記事に書いた3:11のメッセージを被災地以外の教会はどう受け取っているのだろうか?どう変革を始めているのだろうか?いずれにしても、東京でこのようなセミナーが開かれたことには大きな意義があると感じている。以下、最後に東北で立ち上がった「宣証」の動きを紹介しよう。
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東日本大震災の被災地から、支援と宣教を一体のものとして福音に基づく良き業を実践し、神の救いの計画を実現する「宣証」に取り組もうと、「良き業、宣証共同体プロジェクト21」が立ち上がった。良き業に基づき貢献する活動を通じて、「生き方」に関する問いかけが起こり、「宣証」の実を結ぶことを願っているという。具体的には「宣証」のための次世代リーダーを育てる研修・訓練をし、地域・町の復興に寄与・貢献する共同体を建て上げるためにボランティア・宣教チームを派遣できる体制を整えてゆく。
これが3:11を超えて東北で起っている動きなのだ。2011年3月に8000の教会を対象に調査したクリスチャンデータブックの報告によるとプロテスタントの教は・・・
日本の人口:127057860人
教会数:7981
平均礼拝数:40人 (1教会あたりの平均信徒数は63名)
推定信徒総数:507714人 (国民の0.4%)
一昨年と比較して教会の数は16教会減。
依然として厳しい状況である。なぜ、そうなのか?いろいろ理由はあるだろうが、教会が地域コミュニティから孤立しているということが挙げられないだろうか?昨年の夏、筆者が東京の22の教会の防災準備状況を調査した結果、6割の教会が地域コミュニティとの関係を持っていないことが明らかになった。町に掲載されている地域防災マップには神社仏閣のマークはあっても教会のマークはない。少なくも防災に関して行政側からはカウントされていないのである。教会の地域での存在感が薄いのである。それは裏を返せば地域にインパクトを及ぼしていないということになる。特に都心の教会では日曜の朝に電車にのって集まって来て礼拝し、また解散してゆく。そこで礼拝していても週日そのエリアにいないことが多い。大震災の時は礼拝をしている場所より、自分が通常多くの時間を過ごしている場所、すなわち会社や住居のある地域コミュニティとの関係が大事になる。もう少し普段いるエリアでのクリスチャン同士の連携や周りの人々との連携を強められないか?
東北では震災後、地域との繋がりが強まった。3:11があって、今度、首都圏直下や南海トラフという話なので、震災後では遅すぎる。今から防災というすべての人にとって関心のある分野で共に取り組み、町ぐるみの防災に教会が加担するという型ができないか?都心部では大混乱になるので、クリスチャンが主導権を取って、備えや連携を推進できないか?南海トラフや首都直下は国の存亡にかかわる「国難」となる。この時代のニーズを共に担うことがクリスチャンの今の使命なのではないだろうか?
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