2013年5月13日月曜日

「この地を治めるクリスチャン」



 最近タイで行われたBusiness as Mission (BAM)のGlobal BAM congressに参加したビジネスマンクリスチャンから報告を聞いた。カンファレンスではよく「Creation care」というフレーズが聞かれたという。神はアダムとエバにエデンの園を耕し(develop)、治めるよう命じられた。人間は神の作られた世界を管理する役目がある。地球温暖化の問題、生物多様性の問題、再生エネルギーの問題。すべてクリスチャンに関係あるのだ。

当然、王として地を治めることには危機管理も含まれる。地震そのものは止められないが、危機管理、防災をすることで減災できる。それは、人間の側の責任。 自然のリズムである限り、自然現象そのものは中立的なもの。ただ人が多く住んでいるところには結果、悪をもたらす。しかし、その悪(被害)の程度は、人間の側の脆弱性による。

例えば、阪神淡路大震災の時、1981年前の建築物と後の建築物では被害に大きな差が出た。現在の建築基準で立てられた建物は震度6強まで倒れない設計になっている。以前なら倒れて大きな被害が出たが、同じ震度の地震でも、耐震設計の建物の被害は軽微で済む。こうやって被害の違いが出るものを神の裁きと言えるだろうか?実は、人間の責任でリスクを減らせる部分が多い。阪神淡路の際、8割は家の倒壊や家の中の家具による圧死であった。しかし、家を耐震化し、家具を固定していれば、その人達は助かったかもしれない。備えることでリスクを減らせる。8月31日、内閣府中央防災会議が南海トラフ地震被害予測の見直しを正式発表した。東京新聞では「M9、最悪で死者32万人、7割が津波被害。」950万人の避難民。国民の6割が被災者になるという。まさに国難。しかし、その後に「対策、避難で6万人に減」と報じられた。

人間が地震そのものを止めることはできない。しかし、対策を取る事で大幅に死傷者を減らす事は出来るのだ。死者32万人が6万人になるのだ。防災することで減災できる。それは、人間の被造物管理権の問題なのだ。言い換えれば神のかたちに造られた人間の責任である。自然現象が悪をもたらすなら、私達クリスチャンは神の側に立ち、神チームとして悪を少しでも減らすよう努めるべきではないか?


聖書では「管理」ということを重視している。今、そして後に来る世で管理することが必要ないなら、ミナの話(ルカ19:15−23)意味をなさないように思われる。むしろこの箇所は、今から管理能力が問われ、その管理能力に従い、町の管理が任されるという将来の訓練的ニュアンスが高い。


後に来る世は誰のもの?
ヘブル2:6からを見ると、後に来る御国の管理権を天使には渡さないとある。それでは誰に渡すのか?文面文字通りには「人間」とある。しかし、現実、すべてのものが人間に(まだ)従わされてないとある。しかし、御使いよりもしばらくの間、低いものとされたイエスのことは見ていますと。人間に従わせられているのを見てない、でもイエス様のことは見ている。ニュアンスは最終的に人間も・・ということではないか?実際、11節には神と私達は同じ側、同じ神様チームのメンバーというメッセージが受け取れる。


私達はキリストとの共同相続人
さらに、ローマ 8:15-­17読んでみると、相続権のある子供について書いてある。聖書はクリスチャンになる前の人間の姿を「奴隷」と描写している。(ヘブル 2:15) 奴隷と「子たち」とは何が違うのか。子どもには相続権があるが、奴隷にはない、ということだ。しかし、私達は、「神の相続人であり、キリストとの共同相続人」。私達はキリストと一緒に相続するのだ。一体何を相続するのか?神の造られた世界ではないか。父の創られた世界、つまり被造物の相続権の話なのだ。造られた世界を受け継ぎ、その統治権をキリストと共に受け継ぐということ。父の御国を長兄であるキリストと共に共同相続人となる。又、当然、相続するということは管理も任されるということだ。


私達は王の見習い人
さらに、エペソ2:5−6を見ると、「罪過の中に死んでいた私たちをキリストとともに生かし、・・・キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」とある。まず、キリストだが、キリストに続いて、キリストと一緒にプロセスを経ている。一緒に死に、一緒によみがえり、一緒に天のところに座っている。天のところとは、その前の章エペ1:20に書いてある。「キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。」その所に私達もキリストと共に座している。(未来系ではなく、完了型で書かれている、すなわち今現在霊的に居るところ)いわば、キリストの隣にすわっている「王」見習い人。


良い王ならば自分の国民をすべての災いから守る。当然、危機管理が入ってくる。実は、日本には沢山の危機がある。自然災害リスク 世界ワースト5の国。国土の7割は山、しかも降雨量は世界第4位で世界平均の2倍もある。それに、2000もある断層。近いうちに起る南海トラフ、首都直下型地震。さらに政治的には、センカク問題、北朝鮮、サイバーテロ、核テロ。またパンデミック、長期的には少子化人口問題、国家的財政赤字(1000兆)問題。 今まではクリスチャンは霊のことだけ、教会で祈ってればいい的な、伝道して魂救われればそれでいい的な、そういう態度ではなかったか。でも全世界は神のガーデン。クリスチャンはこの地を治める責任がある。無関心ではいられない。

3:11を通して、被災地の教会は文字通り揺さぶられ、それを通して沢山神様から教えられた。3:11は神の裁きではないが、神のメッセージとして受け取れる。揺さぶられ、目が開かれ、新しい価値に気ずかされる。町作りも現状復帰の「復旧」ではなく、新しい価値と思想による「復興」が大事と言われている。昔あったように戻ればいいのではない。教会も今までのような「教会」「宣教」でいいのか。震災を通して教会論、宣教論が根本から問い直された。仙台の神学校の校長は「パラダイムシフトが必要」とまで言っている。自分達の教会の成長という狭い視野から、地域社会の人と一緒に問題を背負い、一緒に生きてゆくという姿勢に変えられてきている。さて、東京の教会はそのシフトの必要をどこまで感じているだろうか。

今こそ、日本のクリスチャンがInitiativeをとって地元のコミュニティとかかわり、町ぐるみで、次期災害の備えをしてゆくことが期待されているのではないだろうか。危機Danger Opportunity。来るべき災害に一緒に備えることは、クリスチャンがコミュニティと繋がり、影響を与えられるいい機会。今がその時なのではないだろうか。            

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asktmc@gmail.com (栗原)

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