顔の表情 55%
声の質(高低)大きさ、テンポ 38%
話す言葉の内容 7%
そう、言葉で伝わるのは7%だけ。考えてみてください。「面白いですよ」とつまらなそうな顔で言えば、つまらないということです。逆に女の子が「もうあんたなんか嫌い」と潤んだ瞳で言えば、「好き」ということですよね。実は言葉はあまり頼りになりません。目は口ほどにモノを言うは本当で、喋らなくても好意や敵意は伝わります。その人の醸し出す雰囲気みたいなものもありますね。パントマイム(無言劇)を見ると、表情と体の動きだけで、あそこまで表現できるとはと感動します。
こういう言語以外のコミュニケーションをノンバーバルコミュニケーションといいます。よく私も無言で12歳の息子の肩を抱きます。これで「お前のことを愛してるよ」は伝わります。さて、伝道に関してはどうでしょう?
3:11東日本大震災を越えて、牧師や宣教師から「私達はことばによる伝道に頼りすぎていた」とう言葉をよく聞きました。今まではどちらかと言うと、私達は福音の内容を伝えさえすればいい。後は神様とその人の責任だとばかりに言葉による伝道を重視していました。こんな話を聞きました。在る中小企業で働いているクリスチャンのOLが教会の活動に忙しく、会社の人々との付き合いもない状態の中、教会の伝道会が近づいたので、社長さんのところにチラシを持って行き、是非来てくださいと言ったのです。しかし、社長さんは普段のそのOLの姿を見ていて、「こういう時だけ、誘われてもねえ」と言ったそうです。会社の人への愛が伝わってないまま、伝道会に誘ったのでシラケでしまったのでしょう。
恥ずかしい話ですが、実際、私も公園などであまり興味なさそうな人にも、ほとんど無理矢理「4つの法則」を読んで伝道したこともありました。伝えなければという使命感はあったのですが相手の気持ちを理解しての会話のキャッチボールが無かったのです。最近、違うアプローチをしてみました。代々木公園でオジサンに話しかけ、フツーの話を30分くらいしました。以前ならば3分くらいでイントロは切り上げて、すぐに伝道冊子を取り出し伝道し始めました。今回は、会話のキャッチボールをやってみました。自分もリラックスできたし、相手も親しげにいろいろ話してくれました。そこから自然に、キリスト教や仏教、果ては死や復活の話まで展開しました。相手の事も沢山聞きました。何より伝道してやろうという気負いが無かったので相手もそれを感じてリラックスしてくれたのだと思います。
高校生の時、クリスチャンになって行き始めた教会の牧師婦人が帰り際、無言でいつもニコニコして送り出してくれたのを今でも覚えています。自分の存在を喜んでくれているのがわかり嬉しかったです。
私達は日々、ノンクリスチャンの方々の中で生活しながら、どういう味を出しているのでしょうか?いい映画はカメラワークでコミュニケートします。ダサイ映画は役者のセリフで全部言ってしまいます。そこは何も言わないで去ったほうがグッとくるのなあ・・そういうのあるでしょう。沢山の言葉より、何気ないしぐさに愛が伝わることもあります。被災地の仮設住宅では、言葉で激しく伝道しようとしたグループは追い出されてしまいました。しかし、ひたすら仕えていたクリスチャンボランティアは信頼を得て、感謝されました。長期戦なのです。教会が市民権を得るには、社会のために貢献してくれている姿が「見えて」くる必要があるのではないでしょうか?
このブログで以前、「良きわざ宣証体」の記事を載せました。私は、自分の住んでいる東久留米で防災のための教会のネットワークを構築しています。また、地域の自主防災訓練などにも参加し、コミュニティリーダーの方々と顔を合わせるようにしています。今度、東久留米市の社会福祉協議会のリーダーの方々とお会いします。震災前に防災ボランティアを社協と協力してできないか提案するためです。そして、この地域の教会防災ネットワークからボランティアを募集する予定です。そうすると教会と市の福祉行政が繋がります。そうやって震災前から高齢者や障害者の方々の家の防災をお手伝いできれば、大きな証となります。ノンバーバル伝道ですよね。
神の愛を伝えるのは、言葉によるだけではありません。いや、言葉だけでは伝わらないのではないでしょうか?言葉は溢れているので、時に、<愛してる>という言葉はチープに聞こえてしまいます。それより、1つの親切、微笑みが多くを語ることがあります。伝道イベントでも、メッセージ以上に、そこにいる人々の雰囲気や音楽、美的センスが大きくモノを言ってしまいます。あなたの93%のコミュニケーション能力を使って始めませんか、ノンバーバル伝道。
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asktmc@gmail.com(栗原)