2013年6月22日土曜日

「ノンバーバル伝道」



 一体何だこりゃ?と思われる方もいらっしゃるでしょう。でも以下のことを見ると、なるほどと納得してくださると思います。アメリカの心理学者 アルバート・マレービアン博士によると、人間のコミュニケーションの大部分は言葉以外で為されているというのです。

顔の表情 55%
声の質(高低)大きさ、テンポ 38%
話す言葉の内容 7%

そう、言葉で伝わるのは7%だけ。考えてみてください。「面白いですよ」とつまらなそうな顔で言えば、つまらないということです。逆に女の子が「もうあんたなんか嫌い」と潤んだ瞳で言えば、「好き」ということですよね。実は言葉はあまり頼りになりません。目は口ほどにモノを言うは本当で、喋らなくても好意や敵意は伝わります。その人の醸し出す雰囲気みたいなものもありますね。パントマイム(無言劇)を見ると、表情と体の動きだけで、あそこまで表現できるとはと感動します。

こういう言語以外のコミュニケーションをノンバーバルコミュニケーションといいます。よく私も無言で12歳の息子の肩を抱きます。これで「お前のことを愛してるよ」は伝わります。さて、伝道に関してはどうでしょう?

3:11東日本大震災を越えて、牧師や宣教師から「私達はことばによる伝道に頼りすぎていた」とう言葉をよく聞きました。今まではどちらかと言うと、私達は福音の内容を伝えさえすればいい。後は神様とその人の責任だとばかりに言葉による伝道を重視していました。こんな話を聞きました。在る中小企業で働いているクリスチャンのOLが教会の活動に忙しく、会社の人々との付き合いもない状態の中、教会の伝道会が近づいたので、社長さんのところにチラシを持って行き、是非来てくださいと言ったのです。しかし、社長さんは普段のそのOLの姿を見ていて、「こういう時だけ、誘われてもねえ」と言ったそうです。会社の人への愛が伝わってないまま、伝道会に誘ったのでシラケでしまったのでしょう。

恥ずかしい話ですが、実際、私も公園などであまり興味なさそうな人にも、ほとんど無理矢理「4つの法則」を読んで伝道したこともありました。伝えなければという使命感はあったのですが相手の気持ちを理解しての会話のキャッチボールが無かったのです。最近、違うアプローチをしてみました。代々木公園でオジサンに話しかけ、フツーの話を30分くらいしました。以前ならば3分くらいでイントロは切り上げて、すぐに伝道冊子を取り出し伝道し始めました。今回は、会話のキャッチボールをやってみました。自分もリラックスできたし、相手も親しげにいろいろ話してくれました。そこから自然に、キリスト教や仏教、果ては死や復活の話まで展開しました。相手の事も沢山聞きました。何より伝道してやろうという気負いが無かったので相手もそれを感じてリラックスしてくれたのだと思います。

高校生の時、クリスチャンになって行き始めた教会の牧師婦人が帰り際、無言でいつもニコニコして送り出してくれたのを今でも覚えています。自分の存在を喜んでくれているのがわかり嬉しかったです。

私達は日々、ノンクリスチャンの方々の中で生活しながら、どういう味を出しているのでしょうか?いい映画はカメラワークでコミュニケートします。ダサイ映画は役者のセリフで全部言ってしまいます。そこは何も言わないで去ったほうがグッとくるのなあ・・そういうのあるでしょう。沢山の言葉より、何気ないしぐさに愛が伝わることもあります。被災地の仮設住宅では、言葉で激しく伝道しようとしたグループは追い出されてしまいました。しかし、ひたすら仕えていたクリスチャンボランティアは信頼を得て、感謝されました。長期戦なのです。教会が市民権を得るには、社会のために貢献してくれている姿が「見えて」くる必要があるのではないでしょうか? 

このブログで以前、「良きわざ宣証体」の記事を載せました。私は、自分の住んでいる東久留米で防災のための教会のネットワークを構築しています。また、地域の自主防災訓練などにも参加し、コミュニティリーダーの方々と顔を合わせるようにしています。今度、東久留米市の社会福祉協議会のリーダーの方々とお会いします。震災前に防災ボランティアを社協と協力してできないか提案するためです。そして、この地域の教会防災ネットワークからボランティアを募集する予定です。そうすると教会と市の福祉行政が繋がります。そうやって震災前から高齢者や障害者の方々の家の防災をお手伝いできれば、大きな証となります。ノンバーバル伝道ですよね。

神の愛を伝えるのは、言葉によるだけではありません。いや、言葉だけでは伝わらないのではないでしょうか?言葉は溢れているので、時に、<愛してる>という言葉はチープに聞こえてしまいます。それより、1つの親切、微笑みが多くを語ることがあります。伝道イベントでも、メッセージ以上に、そこにいる人々の雰囲気や音楽、美的センスが大きくモノを言ってしまいます。あなたの93%のコミュニケーション能力を使って始めませんか、ノンバーバル伝道。
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asktmc@gmail.com(栗原)

2013年6月8日土曜日

「心とからだ」


最近の新書の売れはダイエット、健康本だそうだ。つまりはカラダの本。「人はパンのみにて生くるにあらず。」は誤解されている聖書の箇所の1つで、決してパンがいらないと言っている訳ではない。新約の神学がギリシア哲学の影響で肉体軽視のほうに傾いたが、元来、旧約聖書には肉体軽視の思想はないし、禁欲思想もない。「雅歌」を読めば一目瞭然だ。だいいち、体を造ったのは創造主である神なのだ。日本にキリスト教が入った時もピューリタンの影響が強く、禁欲、肉体軽視の部分があったようだ。霊的なクリスチャンはこの世のこと、肉体的なことにはあたかも関心がないといったような。しかし、神が造った肉体ならば大事にケアする必要があるし、大事に葬る必要もある。(アブラハムは大金を払って妻サライのためにそうした。)主が聖餐を命じられた事は興味深い。パンを取り「これはわたしのからだ」と言い、ぶどう酒を取り「これはわたしの血である」と言った。それを弟子達に分け与え、弟子は食し、飲んだ。これ以上tangibleな表現があろうか?神が肉体に関心ないなら、これはあり得ない。食べる、飲むという最も肉体的な行動を通して霊的な真理をリマインドしようとしたのだ。

さて、現代のクリスチャンはどれほど肉体のケアを重んじているだろう。先ずは姿勢。西洋人はさっそうと歩くのに、日本人は肩を狭めてちょこちょこ歩いている印象がありませんか?先日、駅地下道で2人の日本人らしき男女が話し合っているのを遠くから見て、立ち方で日系アメリカ人だなとわかりました。案の定近くに寄って会話を聞くと英語でした。それほど立ち方が違うのです。アメリカ人は胸を張って大股で堂々と歩きます。自己主張もよくします。歩いていても頭があまり動きません。声も大きくよく通ります。体の構造もあるんでしょうが、姿勢もあると思います。アジアの人は猫背の人が多い様です。日本人は何となく自信なさそうな、申し訳なさそうな「姿勢」をしています。自己主張もあまりしないし、「仕方が無い」という解決をしてしまう傾向があります。そして、日本人はパソコンを使うようになって、ますます猫背になってきました。猫背になると胸郭が狭まり、呼吸が浅く、短くなりキレやすくなる。

神の息吹きを吹き込まれて生きるものになった人間。肉体の塊だけでは生きていません。息が大事なのです。息している間中、人は生きるのです。そして、「息を引き取って」死にます。ヘブル語やギリシア語では霊と息、空気は同じ言葉が使われています。正しく呼吸をすることは非常に霊的な事なのです。神は鼻に息を吹き込まれましたが、正しい呼吸と言われる腹式呼吸では鼻から息を吸い、空気をお腹深くに入れ、口から吐き出すのです。そうすると脳にも体中にも酸素が行き渡る。心も落ち着く。そう心と体は関係しているのです。心の問題を「霊的」な問題としてとらえ、カウンセリングや、「薬」で癒そうとする傾向があります。しかし、多くは背筋を伸ばして正しく立ち、正しく歩き、正しく呼吸することでかなりの改善ができるのではないかと思います。といいますか、どれくらい体の指導をしているのでしょうか。パントマイムで悲しい肩を落とした姿、よろこびを体で表している姿を想像してください。心が体で表現されますよね。同時に体が心をコントロールすることもあるのです。バカにしないでラジオ体操をすれば、心はすっきりします。ずっとパソコンの前でじっとしていれば、血行も悪くなり、鬱的になります。「人は歩かないと病気になる」とうフレーズをある時、本で読んで、これを心がけています。真実だと思います。

人間の体は動くようにできているので、長時間動かないとエコノミー症候群になり、やがては生活不活発病になります。これは被災地の仮設住宅で高齢者を中心に起りました。じっとしていると体が硬直します。リラックスするには手や足、体を振ったり、捻ったりすることが必要です。ダンスなんかは非常にいい訳です。深呼吸するだけで、血圧が下がります。ふくらはぎは第二の心臓と言います。休憩時間にはスクワットなどやって血流を良くしましょう。セミナーなどで缶詰になるときは、私は出来るだけ休憩時間には外に出て歩くようにしています。聞き逃したくない午後のセミナーの時、ランチはサンドイッチ程度の軽食にすると午後眠くなりません。これは霊や心でがんばる話ではなく、単純にお腹にモノを入れ過ぎないという肉体の問題なのです。

「身体能力を高める 和の所作」(安田登著 ちくま文庫)は能楽師が書いた姿勢や呼吸の本で有益です。能楽師は70歳、80歳で舞台に長時間舞台に立ち演技をし、時に垂直跳びをするといいます。(高齢の役者が垂直跳びしている写真は圧倒されました。)それができるのは彼らが正しく立って、正しく歩き、正しく呼吸しているからです。また、能楽での発声は普段、日本人が話している発声と違います。よく日本のポップ歌手が喉で唱っていますが、能の腹から出る声は全く違う質の声です。すり足のような微妙な動きをすることで、普段鍛えられない内部の筋肉(体の芯)を鍛え強める事ができるといいます。

天では御霊のからだをもらうとあります。死んで、霊が肉体を離れるのは一時的な現象であって、人間は霊と体の一体化した存在なのです。(Iコリ15:39−44)

ともあれ、背筋を伸ばして、アゴをもう2センチ引いて歩いてみてください。
気持ちも変わるし、なんか見える世界が変わりますよ。
asktmc@gmail.com (栗原)