東京には広大な土地に3つの霊場があるのです。皇居(かつて現人神として崇拝された天皇の住まい)、明治神宮(明治天皇を祀る)そして、戦没者の英霊を祀るとする靖国神社。靖国神社では天皇のために死んだ魂は英霊とし、靖国に合祀(他の戦没者の霊と合体)され1つの護国霊となって崇められるとしています。また初詣には慣習とは言え、元旦の参拝者一位を誇る明治神宮。東京で神の国を広めようとするクリスチャンにとって避けて通れない課題なのです。
人為的に創作された国家神道
前回お話した通り、江戸時代にはキリシタン取り締まりのために幕府は仏教を国教とする政策を取ったのです。ところが明治時代になると明治政府は天皇を権力の基とするため、神道を担ぎ出した。そして全国的な廃仏毀釈運動が展開されたのです。神社はすべて国家公共の祭祀施設であるとして、地域の小規模な神社に多かった民俗信仰的な祭神を、記紀神話に基ずく国家的祭神に差し替える操作が行われたのです。その後、国家的英雄を神とする新しい形態の神社神道が続々と誕生しました。神武天皇を祀る神社は1890年に、平安神宮も1895年に設立などなど。こうした神社は古代日本からあるように思われますが、皆、明治時代以降の創作なのです。戦没者が国家の神となって永久に靖国に留まるといった信仰は従来の民衆の祖霊信仰にはなかったのです。しかし、それが国定教科書に書き込まれ、そういう教えを吹き込まれていったのです。近代国家をアッピールしたい明治政府は、憲法では海外の手前、政教分離、信仰の自由をうたっていましたが、神社参拝は宗教でもなく、道徳である、愛国の発露であるということで、宗教分離の中、堂々と行われていたのです。
靖国神社の生い立ち
もともと靖国は、戊辰戦争の時の官軍の戦死者を英霊として祀ることがはじまりで、公のものだったのです。官軍側なので、幕府側の新撰組や後で明治政府に反抗した西郷隆盛などは入っていません。明治以来、政府は「神社は宗教にあらず」の立場を取り、国家的に英霊を追悼する場となっていきました。味方の戦死者を死後まもなく神として祀り、以降永久にそこに霊を留める場としての「招魂社」が靖国の前身です。地方の招魂社は護国寺と名前を変えてゆきました。1879年に東京招魂社は靖国神社と名前を変更しましたが、陸海軍が管轄するという特殊な立場だったのです。その後、日本軍の戦死者を合祀する場となってゆきます。
神道には教義が無いと言われますが、実質、明治天皇の下で作られた1883年の軍人勅諭(軍人の心構え)、1890年の教育勅語が国家神道の事実上の教典となったのです。ちなみに、内村鑑三はこの教育勅語にある天皇の署名に教師が皆、最敬礼をさせられている時、心の準備も無く会釈しただけであったことが大問題として取り上げられ「不敬事件」として新聞記事となってしまったのです。このように官製の新しい国家神道は明治政府の国民統合の政治的意図と密接に結びついた人為的宗教なのです。これは従来のローカルな神道神社と矛盾さえするのです。
敗戦後、軍国主義の温床である国家神道、靖国神社は占領軍によって解体される運命にあったのです。GHQとの生き残りをかけての折衝があったのですが、結局は「靖国は宗教」という立場で(つまり明治以来の解釈を反転させて)一宗教法人として生き残ったのです。これが混乱の元となっています。
GHQは靖国をどう見ていたのか?
アメリカ国内には靖国(Military Shrine)軍国主義のカルトの温床という認識がありました。バンザイ突撃、神風特攻、玉砕を目の当たりにしたアメリカ軍は「お国のため、天皇のため」に命を落とす日本兵の背後に、それを支える精神的支柱としての靖国=国家神道があることを認識していたのです。従って国家神道である靖国を破壊することは当然、アメリカのアジェンダにはあった訳です。
明治時代以来、政府は「国家神道は宗教ではない」という立場を取って来ました。むしろ「愛国精神の発露である」と繰り返し主張してきたのです。そうであれば天皇崇拝カルトの温床となることは避けられない。そして、そうであるからこそ、アメリカGHQは靖国の抹殺を考えていたのです。(特に強行派にそれが強かった)。現に、未遂に終わりましたが、アメリカ将校による靖国「焼き討ち」計画もあったのです。フランクキャプラ監督の戦時プロパガンダ映画「汝の敵を知れ」のナレーションで「近年、神道を悪用する人が現れ、1870年以降、日本国家は神道の教えを狂信的な教義にねじ曲げてしまった。その教義が現在、何百万もの罪の無いアジア人、それに何千ものアメリカ人に苦しみや死をもたらせている。」と語られています。プロパガンダ映画(つまりアメリカ兵の戦意高揚)であるので、一方的に日本が悪者にされていますが、「ねじ曲げられた」の部分は考慮に値します。つまり、もともとの神道はもっと穏やかなものであったとの認識なのです。
無害な原始的アニミズムである古神道に国家主義的天皇崇拝を上乗せした国家神道。(国学者、平田篤胤が聖書を盗用して神学的体系作りをしたとの見解もあります。)そこに一神道神社(宗教法人)としての靖国と軍国主義への国家装置/国民的慰霊所としての(公共)の靖国という矛盾が内在するようになったのです。このアメリカの解釈は的を得ていると思われます。
結局靖国は生き残った
GHQ宗教課では靖国を早い段階で「全面廃止」すべきだったとの共通認識を持ち続けていました。靖国を宗教としてではなく、軍国主義の「装置」として、認識していたからです。しかし、宗教的側面を捨てきれない部分もあり、GHQとしても宗教課を立ちあげ、相当に慎重な調査と検討をしています。よくGHQに宗教法人にさせられたという意見がありますが、私の調べたところでは、GHQ側も専門家の間でよく検討し、靖国の宮司とも懇談し、妥協点を見いだして行ったとう印象です。「公共的でなくていい、あくまで一神社でいい。そのほうが国民感情にかなっているのだ。」として民間の神社にすることにこだわったのは日本側だったといいます。(「靖国神社問題の原点」P.208 三土修平 日本評論社)
国民からの靖国廃止に対する嘆願書なども多数届き国民の反発を恐れ、アメリカも廃止できなくなり、結局、靖国は宗教法人として生き残ります。靖国生き残りの攻防は面白いのですが、紙面の関係でここでは詳しく書けません。興味ある方は「靖国知らせざる占領下の攻防」 中村直文 NHK出版をお読み下さい。さて、1948年にはGHQの非軍事化、民主化政策は終わりを告げて、米ソの冷戦の進行によってアメリカの占領政策が大きく転換(逆コース)してゆくのです。つまり、日本を共産主義に対する「防波堤」とするための日本の再軍備化です。これは憲法9条の縛りから「警察予備隊」という型で出現しました。(今日、自衛隊として残っています) この時勢の中、GHQは、軍国神社に国有地の供与をしないとする条項を削除。(明治政府は神社の境内を国有化し無償供与していたが、GHQは、軍国神社である靖国を例外として扱った。しかし、その例外条項も削除された。)今日に至っています。
問題は続く・・・
国の援助を受けない、一宗教法人なのか、国家的追悼の場なのか?その矛盾のまま今日に至っている訳です。ならば、宗教性を取り除いて公共の追悼の場にしてしまえば・・とも思います。しかし、歴史的な流れから、一部の靖国を支持する遺族会の気持ちから全く宗教性を抜く事は不可能だと思います。つまり、現在、宗教法人であるゆえに、国家の介入を法的に禁じられるという、捻れたメリットがあるのです。靖国の精神だけ残して公共物にするとかえって、国家に利用されやすくなるデメリットがあるのです。合祀を嫌う牧師やクリスチャンもいます。しかし、靖国は分祀に反対しています。神道神学としては分祀しても、御霊は残るという解釈です。靖国の理論でいうと、戦争で天皇のために死んだ霊が、合祀され、天皇の参拝により正式に1つとなり護国の霊となるという。それは1つの合体した霊であり、分ける事が出来ないという「宗教法人」としての主張があるのです。宗教法人である以上、その神学に文句は言えませんが、それならなぜ、国家的に一方的に戦没者をすべて靖国に合祀してしまったのか問題が残ります。
反対者が唱える問題点
1.天皇のために死んだ霊は「英霊」となり、神となる。新しく合祀された御霊は天皇の参拝より正式に靖国の御霊に合体され、護国神となる。これは、全く神道の教理(宗教問題、神学問題)であり、日本国民、全ての人がこの教理を受け入れている訳ではない。他の宗教の人に失礼。そこに合祀され、そのように取り扱われる事に抵抗がある。
2.A級戦犯(平和に対する犯罪)で死刑になった人達と一緒に祀られては困る。
3.戦犯を含む御霊を英霊として参拝することは前の戦争の反省が無く、戦争を正統化することとなる。これは東京裁判、またサンフランシスコ講和条約に反する。また、侵略されたアジア諸国の神経を逆なでする行為である。
4.靖国で祀られ、参拝されれば、戦没者の霊は慰められ、また遺族も満足できるとする考えは靖国側の一方的な解釈であり、傲慢でさえある。慰められ方を上から規定されたくない。全然慰めにならない遺族もいる。ここに祀られ「よくやった」と崇められても、「よくやったじゃない。あんたに殺されたんだ。」という思いの人もいるだろう。無意味な戦争、無謀な戦略で無駄に死んだ自分の家族は、そのようなカルトの温床となった靖国を憎みこそするが、感謝はしない。
5.戦中、戦後、国が一方的に合祀した。
6.本当に戦争の犠牲者の追悼というなら、戦場の戦没者だけでなく、戦災被災者、戦中の思想犯、迫害を受けて獄中で死んだ殉教者、外国人は含めないのか?彼らを追悼しないのか?
7.遺族会は宗教的ではないのか?遺族会パンフには遺族会の目的として「英霊、靖国のみたま安かれと祈る心を次代につたえてもらいたい」と書いてある。これは神学問題ではないのか?英霊と考えない人にとって抵抗があるのでは?ちなみに、日本遺族会には戦没者185世帯のうち104世帯が加盟。これは加盟率で56%。残りの44%はどういう気持ちなのだろうか?56%を日本国民の気持ちと理解してしまっていいのか?もの言わぬ遺族の声を聞き取ることも大事なのではないか?
などなど。皆さんはどう考えますか?
いずれにしても、戦争には「大義」が必要であり、そのための「教育」が必要になり、さらには「宗教的体系」がその精神的支柱となるということであり、既存の宗教がそれに利用されることがあり得るということは、歴史から学べることです。最近ではアメリカキリスト教原理主義の「聖戦」に関しても議論のテーブルに上がるようになってきました。確かに、旧約聖書には戦争が沢山出来てきます。しかし、今日、「聖戦」とよべる戦争が本当に存在するのでしょうか?
確かに「お国のために」と信じて、喜んで死んでいたった人もいるでしょう。しかし、すべてがそうであった訳ではありません。
ビルマで終戦を迎え、全員捕虜になった時の体験者の声をお聞き下さい。
「今や祖国には外国の軍隊が続々と進駐してくると知った時、愛する家族や女たちのことを思うと居たたまれない気持ちでした。彼女らの操に危険が迫っているなら、それに対してこそ、身を挺してでも戦いたい、戦車の前に身を投げ出しても悔いは無いと思いました。・・その時はじめて自分は何のために戦うべきだったかがわかりました。天皇のためなどと言われても死ぬ気になれなかったけど、『愛するものを守るため』ならば死ねる。こんな外国に攻め込んで来るためではなく、本当の意味で祖国を守るためにこそ戦うべきだったと思いました。」(「靖国神社問題の原点」三土修平 日本評論社)
「お国のため死ぬ」と言う時、「お国」の意味に2つあるのです、「愛する人々=国民」と「国体=天皇=一部指導者」そして、後者は宗教を利用するのです。この言葉の混同に騙されないようにしたいものです。
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東京を神の街に
Tokyo Metro Community (TMC)
asktmc@gmail.com (栗原)
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