「やっぱり、霊性というのは、互いに人格的に養われ合うものだと思うんですよね。かかわりの中で。・・どういうところで一番養われていたかというと、例えば自分は学生時代、先輩のクリスチャンの家に招かれて、みんなでああでもない、こうでもないと雑談する中で・・・教会の伝統とか、大切なものが伝えられていったと思うんですね。」(34)
これも極めて大事な指摘ですね。「皆で、ああでもない、こうでもないと雑談する中で」大切なものが伝えられていく。きっと初代教会もそうだったのだと思います。それが段々、「学校形式」になってしまったのです。知識を詰め込んでも自分のものにならないのです。御言葉を今の自分の生き方やこの時代の社会問題とつなげて「ああでもない、こうでもない」の分かち合いが大事なのです。
これがオーガニックチャーチのカルチャーなのです。私達は、エクレシアで集った後の帰りの電車の中で「集団的自衛権」について話したりしています。
「現場に出た牧師がドロップアウトするというのは、能力やいろいろな問題もあるかもしれないけれど、本当の意味での友という関係、フレンドシップを築けない、同労者の間でさえも築けていないところに、問題があるのではないでしょうか?」(48)
痛いところを突かれましたね。私達のエクレシアでは私を含め3名の宣教師がただのメンバーの一人として毎週、他の信徒の方と集っています。最後はお互いの祈り課題を出し合って祈ります。働き人同士でも毎週顔を会わせ、祈り合えるチャンスは意外と少ないのではないでしょうか?多くの働き人が孤立して働き、孤独を感じています。こうしてチームとして働ける事に感謝しています。
「教会の中に小さな交わりといったものを形成していくとともに、その交わりの中で自分自身の人生を見つめるとか、お互いの人生を見つめる、あるいはそれに対してレスポンスしていくという方法もあります。(50)
まさに、エクレシアではこれをしています。「イエスを中心に一緒に人生を生きる仲間」と定義しています。
「極端な話、伝道集会とかやらなくても初代教会があったように、交わりが祝福されて愛に満たされていくときに教会は伸びていくのではないかと思うんですよね。そういうふうに教会をというものが体質改善していかなければ、今までのプログラムを実行していく、そのためには委員会をつくって、予算を集めて、活動して、ということだけを追求していくと、もう行き詰まりが来るのではないかということは感じていますよね。信徒の方々も本当はそう思っているのかもしれませんけど。」(51)
これも大事な指摘です。その通り。人は愛のあるところに集まってきます。プログラムにフォーカスするのではなく「人」にフォーカスします。立派な会堂は無くても、私達はイエスにあっての「魅力ある人間集団」になりたいのです。この本質を追求したいのです。「祈りと人間関係によって広がるエクレシア」
最後に結論をまとめてくれています。
「初代教会は、ローマ人への手紙16章でパウロが書いているように、互いに名前を知り、互いの置かれた状況や戦い、祝福を共有していました。その初代教会の回復を現代の教会は求められているように思います。」(62)
実は興味深いことに、救世軍の災害支援コーディネーターのケビン・エラーズの著「危機対応—最初の48時間」の中で、同じような趣旨のことが述べられています。
「私達は人間関係よりもプログラムに関心がいきがちです。しかし私は、人をいやすのは、プログラムや神学的に深められた理解ではなく、人間関係によると確信しています。神は教会を選び、私たちへの神の愛と、周りの人々への私たちの愛を目に見える形で示しました。『問題を解決します』ではなく、『あなたと一緒にいます』というメッセージとともに、傷ついた人々の生活に入っていくことが、神が教会に願うことの力強い実践なのです。」(48)
「困難の中にいる人と『一緒にいることを極める』ことを求めてください。そうすれば神は、神の栄光のために、そして周りの人々に測り知れない永続的な違いをもたらすためにあなたを用いてくださいます。あなたは、だれかにとっての天使かもしれないのです!」(48)
自然災害による被災であろうと、人生の中の困難であろうと、人生を一緒にあゆむ仲間が必要であることには変わりありません。これを求めていくのがオーガニックチャーチなのです。別に新しい事ではありません。初代教会への回復です。キリスト教歴史の中で藤壷のようにフナ底にくっついてしまった人間的な伝統や儀式を取払い、シンプルな初代教会のあり方に戻ることなのです。
「あなたは、だれかにとっての天使かもしれないのです!」
これって素敵な生き方じゃないですか?
———————————————————————————
祈り課題
1.クリスチャンが律法主義、「宗教」から解放され福音に生かされるよう。
2.クリスチャンの働き人を含めすべてのクリスチャンがイエスを中心として人生を共に歩む仲間(コミュニティ=エクレシア)を持てるよう。
3.「教室型」の弟子訓練ではなく、「関係」の中で癒され、主の前にへりくだり、砕かれ、正直になることで霊的に成長できるよう。
4.お互いの存在を、心から感謝できるよう。
——————————
関連テーマ参考本
「今日における『霊性』と教会」片岡伸光 他3名著 いのちのことば社
「福音の再発見」 スコット・マクナイト著 キリスト新聞社
「Becoming a TRUE Spiritual Community Larry Crabb Thomas
Nelson
「星のように、砂のように」 ラルフ・モア 著 新生宣教団
————————————————
「その日からこの町の名は、『主はここにおられる』と呼ばれる。
(エゼキエル48:35)
東京を神の街に・・・
For His Kingdom
Tokyo Metro Community (TMC)