「トンデモ」シリーズ(3)の前にどうしても上記のテーマを語らざるを得ない。これに答えるのには、7年間の「患難時代」の災害と「今日」の災害の性質の違い、あるいは「出所」の違いを理解することが重要である。
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大患難時代は「神の怒り」の時
これまで患難時代について語ってきた。人類が今後、通過する歴史上最も困難な暗黒の時代である。それは7年続く。この「大患難時代」は「神の怒り」が下る時なのである。
「・・・御座にいる方の御顔と子羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。
御怒りの大いなる日が来たのだ。誰がそれに耐えられよう。」
(黙示6:16−17)
「神の激しい怒りはここに極まるのである。」(黙示15:1)
苦難の「出所」は神ご自身なのだ。そして、その苦難を実行するために、み使いが災害を携えてくる。(15:1)
これは旧約聖書でいう「主の日」と同じ概念である。
「ああ、その日よ、主の日は近い。全能者からの破壊のようにその日が来る。」(ヨエル1:15)
さらに詳しい記述が2:2にある。この主の日は「このようなことは昔から起こったことがなく、これから後」の時代にも再び起こらない。」
とあり、終わりの日に来る、大患難時代のこととなる。大患難時代には巨大地震、飢饉、戦争、疫病により多くの人が死ぬ。それは全能者からの破壊なのだ。
「見よ、主の日が来る。憤りと燃える怒りの、残酷な日が。地は荒廃に帰し、主は罪びとどもをそこから根絶やしにする。」(イザヤ13:9)
ここで分かるのは、主の日=患難時代の目的は悪と罪人(反キリスト勢力)を滅ぼし、その後、キリストご自身が王として統治するメシア王国を樹立することである。
まとめてみると大患難時代とは
1. 神の怒りの時。災害の「出所」は神。
2. その目的は悪を滅ぼすこと。
3. そして最終的にメシア王国を樹立すること。
4. 期間は7年間と限定付きの特別な期間。
5. 患難期に信じたクリスチャンは反キリストから激しい迫害を受ける。
つまり、反キリストはクリスチャンに苦難を与え、神は反キリストとそれに組する者に怒りを下すという構造になっている。
ちなみに、出エジプトにしろ、ソドムにしろ、ニネベにしろ、神の裁きが下る時は前もって具体的に説明がある。それをする理由が特定されている。その裁きは特定な人(人々)に下る。そこにいる人を滅ぼしたり、害を与えることが目的となっている。そして期限限定である。ソドムのロトや出エジプトのイスラエル民族、ノアの家族のように、信者は災害を免れたり、その中で守られたりする。しかし、今日の台風、地震やウイルス災害は特定の理由もなしに、どこにでも起こり得るし、そこに住むすべての人を襲う。
また時間軸的には、主の日(大患難時代)はこれからやってくる。ということは、現在はまだ「主の日=大患難時代」ではないということになる。聖書預言では、患難時代は反キリストがイスラエルと平和条約をむすぶ時から始まる。(ダニエル9:27)それはまだ起こっていない。
つまり、今日起こっている災害は「主の日=大患難時代」の災害ではない!
・・・ということは今日の災害は「出所」が神ではない。では何なのか?考えられ得ることは・・・
1.人間の罪ゆえに呪われてしまい、歪んでしまった世界のリズムで起こって
いる。パンクした自転車に乗れば誰であってもお尻を痛めるだろう。特に
ノアの洪水以降、地球の自然環境は大きく変化した。それで地震、台風、
老化、病気が始まったものと思われる。洪水前の人は長寿だった。今日の
災害は、特定の人や地域の人の罪ゆえではない。したがって災害はクリス
チャンにもノンクリスチャンにも及ぶ。事実、コロナウイルスで亡くなっ
た牧師もいる。大地震で亡くなるクリスチャンもいるだろう。
2.人間の不完全さや罪深さによる災害=人災。交通事故、飛行機事故、原発
事故、大気汚染などはその類だろう。
3.ショッキングな事実だが、エデンの園にはサタンがすでにいた!以来、
千年王国後に滅ぼされるまでサタンは存在し、人類を破滅させようとして
いる。「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけの
ためです。」(ヨハネ10:10)特にクリスチャンとイスラエル人を迫害
し滅亡させようと働いている。サタンの存在を勘定に入れないと全て神
のせいにすることになってしまう。かつて無神論哲学者がこう言った。「も
し神が存在するなら、それは悪魔である。」この世に神しか存在せず、しか
も、この不条理な世界を何もせずに放って置かれるなら、それは悪魔だろ
う。しかし、神はこの世界の回復計画を着々と進めておられる。
今は恵の時、救いの日
患難期は「神の怒りの時」。それでは「今」はどんな時なのだろうか?聖書はこう語る。
「確かに、今は恵の時、今は救いの日です。」(IIコリント6:2)
また、ヨハネ12:47−48には、
「だれかがわたしの言うことを聞いて守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世を裁くために来たのではなく、世を救うために来たからです。」
とある。今はさばきの時ではないのだ。
そして48節には「・・終わりの日にその人を裁くのです」とある。終わりの日の患難時代そして、最終的な白い御座のさばきで裁かれる。しかし、今ではない。
「まだしばらくの間、光はあなたがたと共にあります。闇があなたがたを襲うことのないように、光がある間に歩きなさい。あなたがたに光がある間に、光の子供となるために光を信じなさい。」(ヨハネ12:35−36)
闇(患難時代)が襲う前にイエスを信じて神の子となることが勧められている。
「主はある人が遅いと思っているように、その約束のこと(再臨)を遅らせているのではありません。かえってあなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。・・」
(IIペテロ3:9−10)
これらの聖句から「今の時」は、さばきや神の怒りの時ではなく、恵みと救いの時であることが明らかです。
今日の「災害」を神はどう見ておられるのか?
では、神は今日の病気や災害をどう思っておられるのでしょうか?盲目の人に
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。」(ヨハネ9:3)
と断定されている。障害や病気は「裁き」や「神の怒り」ではない。事実、イエスは地上にいた時、深く憐れんで、全ての病を癒されている。(裁きならその災害は癒されてはならない、地獄の炎を消してはならないように。)
「民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。」
(マタイ4:23)
癒すことがイエスのお心だった。すべての病が癒されているのは来るべき「御国」の予表だからだ。カミュの「ペスト」が再ブームだ。大変よくできた面白い小説だ。ただ登場するパヌルー神父はオラン市を襲ったペストは「神の裁き」という捉え方をしている。神は御顔を背けられたのだと。
「・・・実に長い間、この町の人々にそのあわれみの御顔を臨ませたもうていられた神も、待つことに倦み、永劫の期待を裏切られて、今やその目を背けたのであります。神の御光を奪われて、私どもは今後長くペストの暗黒の中に落ちてしまいました!」(パヌルー神父の説教より)
この神父には同意できません。これは大患難時代前の神の姿勢ではないからです。今日のコロナも特定の地域の人に下る神の怒りとは考えてはならないのです。(人間の限界を知り、神に心を向ける機会にはなるが・・・)
今日の災害・病は神の目にもあってはならない(本来は無いはずの)ものであり、それに侵されている人々をイエスは憐れんで癒されたのです。それが今日の神の御心です。
・・・とすれば、震災被災地の人々を助けるのと同様、今日ウイルスに感染されている人々を助けるのは神の御心であり(裁きなら助けてはいけないのです。)、癒しを祈るのはイエス様の御心なのです。戦後、たくさんのキリスト教系の病院や福祉施設が建てられ、イエスの御心を実践して来たのです。神は「癒しの神」「回復」の神なのです。私たちも神様チームに入って、そのみ業に参与すべきです。
今は宣教の言葉の愚かしさを通して「福音」が語られている。(Iコリ1:21)悔い改めが勧告されている。(IIペテロ3:9)やがて、口で言っても分からない頑固な子供にはスパンクが待っているように、神からのスパンク(患難時代の苦難)が来る。それさえ、不信者への悔い改めのチャンスなのだ。事実、患難期にも信者になるものが起こされる。「わたしは決して、悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。」(エゼキエル33:11)
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重要なメッセージ
聖書の預言は100%成就してきた。7年間の患難時代は必ず来る。しかし、
それは通らなくていい苦難なのだ!
患難時代の患難は、神に反抗し、信じない人々への神の怒りなのだ。(黙示6:16−17)つまり苦難の「出所」は神御自身だと言うことだ。
同時に神は教会に向かい「地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。」(黙示3:10)とも言っている。キリストを信じ神の側につくものは守られる。もっと正確に言えば、患難時代の前に信者は天に引き上げられる。これを携挙という。(Iテサロニケ4:16—17)反対にサタンにつき、神に逆らう「反キリスト」勢力側につくなら苦難を通らなければならないことになる。
終末が近づくに連れ、キリストに付くのか、反キリストに付くのかはっきりさせなければならなくなる。
今こそ、創造主に立ち返り、創造主に祈る時なのだ。
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