「あなたがたは地の塩です。」 (マタイ5:13)
「あなたがたは世の光です。」(マタイ5:14)
「地の塩、世の光」となれってプレッシャー?
この言葉を聞くと、マザーテレサやキング牧師、日本の賀川豊彦を思い出します。素晴らしい証を社会に残しました。まさに、「地の塩」、「世の光」となった人々です。「地の塩」、「世の光」とは何か社会奉仕をすることのように思ってしまいます。その通りだよなと思いつつ、自分には出来ないなと思うのです。どうでしょうか?皆さんはこの言葉を聞いて、ちょっと重荷に感じませんか?
「光」は漏れる
「世の光」となると言っても、自分で、よし「光ってやろう」と頑張っても光れるものではありません。内なるキリストに輝いてもらうしかないのです。そして、イエス様が言われたのは、「世の光になれ!」ではなく「あなた方は、世の光です。」「地の塩になれ!」ではなく「あなた方は地の塩です。」なのです。イエス様にあって、もうそういう存在なのだと宣言されているのです。DoingよりBeingです。
「朱に交われば赤くなる」というフレーズがありますね。悪い友達と関われば、関わるほど、悪くなってしまうという意味です。私は「主に交われば白くなる」というフレーズを作りました。主イエス様と交われば、交わるほど、清いイエス様の性質に影響されるということです。イエス様はあなたのうちに住んでおられます。そして、光は漏れるのです。真っ暗な家でも、電気をつけている部屋の襖の隙間から光は漏れるのです。あそこには光がある。あの部屋は電気がついていると分かるのです。心配しないでください。私のすべきことはイエス様と交わり、たっぷり時間を過ごすことです。あとはイエス様が輝いてくださいます。
内なるキリストが仕事をする
自分ごとで恐縮ですが、私は高校2年の時、クリスチャンになりました。大学3年の時のゼミの合宿の時のことです。クリスチャンになって4年目です。同じゼミの女子学生がこう言ったのです。「栗原くんって、キリスト様みたいね。」
こんな褒め言葉があるでしょうか?ただ、大人しかったからなのか分かりませんが、ともあれ嬉しい褒め言葉です。「悪魔のよう」と言われなくて良かったです(笑)。また、クリスチャン生活10数年目でしたか、母が友人の年配の未信者の男性を私に紹介した時に、彼は私の顔を見るや、「いや〜、あなたの目は澄んでいますね。何か違いますね。」と言いました。そんな事言われたことないので、びっくりしました。学生達に「自分発見セミナー」を行なっていた時です。休憩時間に、ある学生が近寄ってきて言いました。「僕もカズさんのように、いつも笑顔でいたいです。」実は普段、無愛想なので、いつも家内に注意されているのですが、こんなありがたいコメントも頂きました。不思議です。「何も言わなくても、内なるキリスト様が証ししてくださるのですね。
他の人の人生を美味しくする
「地の塩」となるとはどういう事でしょうか。塩のある言葉とは、「社会の不義に鋭くメスを入れ正しい批判を言って正義を正す。」それが1つ。防腐剤としての役割ですね。確かに今のアメリカを見てもクリスチャンがいるお陰で、社会が悪くなりすぎないという面があります。
「塩」は「味付け」をする役目があります。それがもう1つ。「味付け」の方をちょっと考えてみましょう。無味乾燥な味が塩をかけることで急に美味しくなることがありますね。イエスは最初の軌跡として「水」を「ワイン」に変えました。「水」は味気ない意味のない人生とも考えられます。イエスが人の人生にタッチすると「水」は「ワイン」に、すなわち「祝宴」のある人生へと変えられます。イエスを宿す私たちクリスチャンも他の人の「退屈で意味のないドライな人生」を「祝宴」の人生に変えるお手伝いができるのです。
祝福の基となる
アブラハムが召された時、神は「あなたは祝福の基となる」と言われました。英語ではblessed to be a blessingです。あなたや私の存在はキリストにあって他の人の「祝福」なのです。その笑顔で、その一言で、いやその「存在」そのもので他の人の祝福となり、他の人の人生を美味しく味付けする存在になり得るのです。あなたと会ったことで、その人の人生が「美味しくなる」って素敵じゃないですか?事実、あなたは、そのように召されているのです!神は出来ないことを命じません。内におられるキリストが仕事をします!
そして、それは自分が崇められるためではなく、最終的には「人々が、父なる神を崇める」ためです。(マタイ5:16)
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執筆者:栗原一芳