2021年7月1日木曜日

実はよく分からない「十人の娘」の喩え


マタイ25:1−13

そこで、天の御国は、それぞれともしびを持って花婿を迎えに出る、十人の娘にたとえることができます。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を持って来ていなかった。賢い娘たちは自分のともしびと一緒に、入れ物に油を入れて持っていた。花婿が来るのが遅くなったので、娘たちはみな眠くなり寝入ってしまった。ところが夜中になって、『さあ、花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで娘たちはみな起きて、自分のともしびを整えた。愚かな娘たちは賢い娘たちに言った。『私たちのともしびが消えそうなので、あなたがたの油を分けてください。』しかし、賢い娘たちは答えた。『いいえ、分けてあげるにはとても足りません。それより、店に行って自分の分を買ってください。』そこで娘たちが買いに行くと、その間に花婿が来た。用意ができていた娘たちは彼と一緒に婚礼の祝宴に入り、戸が閉じられた。その後で残りの娘たちも来て、『ご主人様、ご主人様、開けてください』と言った。しかし、主人は答えた。『まことに、あなたがたに言います。私はあなたがたを知りません。』ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなたがたは知らないのですから。





 よくある解釈

主の再臨はいつあるか分からないのだから、我々クリスチャンは常に聖霊に満たされて(油を用意して)主をお迎えする準備をしていなければならない。いい加減な信者は「携挙」に与れない。

 

コンテキスト

マタイ24章から25章までは1括りとなっている。24章で弟子たちがイエスに近寄り「世の終わる時のしるし」について質問したことに対するイエスの答えが綴られている。26章1節で「イエスはこれらのことばをすべて語り終えると・・」とあり、24章から25章46節までが1つの括りであることが分かる。13章から「天の御国は・・」シリーズが始まっている。奥義としての御国=ペンテコステから地上再臨までの信徒の群れ=エクレシアの話だ。前半はペンテコステから携挙までの時代。25章からは終わりの終わりの時、すなわち艱難時代の信徒の話に移っている。

 

マタイ12章の「ベルゼブル論争」後、イエスは弟子たちの訓練にフォーカスし始める。13章からは、「奥義としての神の国」つまり、旧約では言及されていなかった教会時代を「喩え」で弟子たちに語っている。24章からは「終末」のコンテキストで「神の国」を語っている。24章では、

 

  すぐに起こる終末、すなわちAD70年に起こったエルサレムの神殿破壊(2節)

  携挙(37節から44節)

  地上再臨(29−35節)と大きく3つの時代について言及している。

 

このテーマが続く25章は3つの区分の最後の部分、すなわち教会の携挙後、イエスの再臨直前までの時代(大艱難時代)に関連する喩え話を描いているものと思われる。

 

 

よくある解釈の問題点

1)聖書では一貫して「教会」はキリストの「花嫁」として描かれている。こ

  の喩えでは「花嫁」がいない。「花嫁」が「花婿」を迎える話ではない!

 

2)婚礼の「祝宴」の話で、「婚姻」(結婚式)の話ではない。祝宴に行くと言

  うことは、すでに「結婚式=婚姻」は終わっていることになる。つまり、

  花婿が花嫁を迎えに来て、これから結婚式を挙げるという文脈ではない!


 

文化的背景

まず、この喩え話を理解するにはユダヤの結婚の風習を知らなければならない。

 

1)      婚約の段階:まず父同士の合意により「いいなずけ」の関係になる。

花婿の父が花嫁の父に「花嫁料」を払う。キリストが私達のために十字架で代価を払い、信じる者の群れ(エクレシア=教会)をキリストの花嫁とした。ユダヤでは婚約期間は通常、最低1年。法律的には夫婦だが、

結婚式はまだ先ということになる。同じように花嫁とされた「教会=信者」はすでにキリストのものだが、終末期に天にて子羊の婚姻(黙示19:7−8)が行われるまで待っている。最終的には子羊の「妻」となる。(黙示21:9)

 

2)      いよいよ結婚の日取りが決まると、花婿が花嫁を迎えに行く。そして、

新居へ案内する。これは「携挙」を表している。キリストは「場所」を備えたら我々を迎えに来られると約束した。(ヨハネ14:2−3)

 

3)      婚姻=結婚式が執り行われる。通常これは内輪の者、少数で行われる。

キリストと教会の結婚式(子羊の婚姻)はキリストの地上再臨直前に行われる。(黙示19:6−8)

 

4)      婚宴=披露宴 これは婚姻より大人数で、7日間ほど行われる。イエス

が最初の奇跡を行われたのはカナでの「婚宴」であった。「子羊の婚宴」は「メシア王国=千年王国」(黙示20:4−6)での祝宴と考えられる。

 

 

これらの背景を理解した上での解釈

「10人の娘」の喩え話は、「キリストの地上再臨」が背景となっている。つまり、花婿(キリスト)が花嫁(教会=信者達)を連れて地上再臨(ユダ14)し、婚宴(メシア王国)に向かう場面だ。地上で待っている人物に「花嫁」が出てこないのは、すでに携挙され花婿と一緒にいるからだ。10人の「娘たち」は「花嫁」ではない。大艱難時代を通過している人々と考えられる。

 

「油」を持つとは「信仰」のある人で、「油」を持たないのは「不信者」だ。信仰がなければ、「聖霊=油」もない。婚宴の主人の冷たい答え「私はあなたがたを知りません。」から分かるように、最後までキリストを信じなかった不信者、つまり主人である「父なる神」と関わりのない人々ということになる。

 

艱難時代にあっても真の信仰を持った人達はキリスト再臨時にキリストを迎える用意ができており、そのまま婚宴(千年王国)へ招待される。ただその時代の信者は大変困難な時代を生き抜くことになり、多くは殉教するものと思われる。(黙示20:4)

 

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今回のネタ元

ハーベストミニストリーズ 

メシアの生涯(170)〜 オリーブ山の説教(6)

 

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意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ

東京メトロ・コミュニティ

Tokyo Metro Community (TMC)

執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

 

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