2022年8月11日木曜日

安息日は守るべき?


聖書の神は「契約」の神

聖書の神は「契約」の神なのだ。創世記15:12−21を見ると神がアブラハムと「契約」を結んでいる様子が書かれている。「申命記」は宗主権契約(王と臣民)の形で書かれている。日本人には神との関係に「契約」を持ち込むことに違和感があるだろう。ましては「血の契約」となると・・・しかし、キリスト教の救いを理解するには「血による贖い」を理解しないと分からない。

 

罪の報酬は死であり(ローマ6:23)、死は命を要求する。血は命。従って血が流されないと赦されない。(レビ17:11、ヘブル9:22)それで旧約時代は民の罪のため動物の犠牲が毎年捧げられた。しかし、ついに救い主が来られ、罪なき子羊、イエスが十字架で血を流したので、ただ「一度」(ヘブル9:12)で、「完全」(ヘブル7:25)で「永遠」(ヘブル9:12)の贖いが成された。子羊の血は「契約の血」である。(マタイ26:28)従ってこの神が恵みを持って提供している「救い」を「信仰」によって受け取る者は、救われることになる。

 

契約の概念が分からないと聖書が分からない。旧約聖書の旧約とは古い「契約」のこと。契約である以上、契約の当事者を明確にしなければならない。旧約聖書の契約は、神と選民「イスラエル」との契約。新約聖書の新約とは、新しい「契約」のこと。この契約には「異邦人」も含まれる。新しい「契約」の時代に入ったら、古い「契約」は破棄される。シナイ契約(律法)の時代は終わり、人類の罪のため子羊の血が流されたことによる、「恵みと信仰」による「救い」の時代に入っている。

 

この事をしっかり理解しないと、旧約の律法を新約に時代に持ち込むことになり混乱する。ある人は「安息日」を守ることを「日曜礼拝」を守ることと勘違いしている。これもこの区別をつけないことから来る混乱だ。では、1つ1つ見てみよう。

 

シナイ契約を理解する

シナイ山の麓でモーセを介して神とイスラエルの間で締結された「契約」だ。

律法を理解するため、シナイ契約を理解することが極めて重要だ。これを取り扱っているのは出エジプト20:1から申命記28:68。

 

  契約の当事者:「神」と「イスラエル」である。この契約は「教会」や「異邦人」と結ばれたのもではない!(申命記4:7−8、詩篇147:19−20、マラキ4:4)

  契約の内容:合計613の規定からなる「モーセの律法」従順なものには祝福、不従順なものには呪いが下るという条件付き契約。ちなみに十戒は、この613の律法セットの一部。

  モーセ律法の重要な要素:血のいけにえ(レビ17:11)

 

その他、食物規定などあるが、その中の1つが「安息日」の規定。

 

安息日の規定

契約の当事者を思い出して頂きたい。これは神とイスラエルとの契約で、異邦人や新約の教会に対してではない!

 

安息日に関する重要な事

 

  異邦人信者や教会には適応できない。

  安息日の順守はモーセの時代から始まった。創世記2:1〜3は、単に神がどうされたかを記しているだけで、命令ではない。

  アダムからモーセまでの間、安息日を順守したという記録がない。

  安息日は「礼拝」を捧げる日ではなく「休息」の日。(創世記31:15)民にとっては徹底した休息を取る日であった。

  安息日に集まって礼拝せよとの命令は無い。その習慣はバビロン捕囚以降。

  安息日に関連して「聖なる会合」という表現が出ているが、これに参加したのは祭司だけ。

  モーセ律法では集団で礼拝する機会は「過越の祭り」「7週の祭り」「仮庵の祭り」の三大例祭。

  安息日冒涜の罰は死刑

 

シナイ契約は終了した〜律法からの解放

大事な事は、シナイ契約が終了すると安息日順守の義務も無くなるという事。

シナイ契約は律法の時代の「土台」となっていた。しかし、メシアの死と共に終了した。(ローマ10:4、IIコリント3:3−11、ヘブル7:11−12)

 

それでは現在、どうなっているのか?613の規定のうち、儀式的規定は廃棄されたが、道徳的規定は残っていると主張する人もいる。しかし、律法は613の戒律のセットなのであり、一部だけ残すというのは不可能だ。

 

律法全体を守っても、一つの点で過ちを犯すなら、その人はすべてについて責任を問われるからです。 (ヤコブ2:10)

 

むしろ、新約聖書が主張するところはモーセの律法がメシアの十字架の業により無効になったという事であり、イエスをキリストと信じるものは律法から解放されているという事である。そして道徳規定はキリストの律法(Iコリント9:21、ガラテヤ6:2)でリライトされている。キリストが律法の成就者だからだ。

 

  ローマ7:5−6

  ローマ10:4

  ガラテヤ3:19

  ヘブル7:11−18

  ヘブル8:8−13

  エペソ2:14−15

  ガラテヤ3:23−4:7

  IIコリント3:2−11

 

マラキ書3:10をもって十一献金を強要できないように、「安息日」を持ち出して日曜礼拝を義務つける事はできない。それらの規定は終わっている。聖書は定期的に集まるよう勧めているが(ヘブル10:25)、時間、曜日の指定は無い。特別な日を定めるのではなく、初代教会では毎日集っていた。(使徒2:46)

 

百歩譲って、安息日を正確に守りたいなら、「土曜日」に実行しなければならない。また、安息日の精神を守りたいなら、「礼拝行事」への参加ではなく、週一度の徹底した「休息」を守るべし。「聖日厳守(日曜礼拝参加義務)」というフレーズもよく聞くが、初代教会の信者が、イエスの復活を覚えて日曜礼拝するようになったのであり(ただし、聖書に日曜礼拝の義務規定は無い)、旧約の「安息日」とは関係ない。従って、安息日厳守=聖日厳守ではない!

 

 

契約の話に戻ろう。新約聖書には「御国の世継ぎ」(エペソ1:11)とか「共同相続人」(ローマ8:17)など法律用語が出ている。契約だからだ。神はイエスを救い主として信じるものに聖霊を与えられる。この聖霊は御国を受け継ぐ「保証」となっている。(エペソ1:14)これは契約であり、聖霊は契約書の保証印(エペソ1:13)である。そして、締結者である神は偽ることができない。契約なので、自分の気分や感情による事なく、神の「真実」のゆえに「救いの確信」を持つことができる。ハレルヤ!

 

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参考本

「ディスペンセーショナリズムQ&A

中川健一著 ハーベストタイムミニストリーズ出版

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意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ

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執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

 

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