2024年11月11日月曜日

霊的コミュニティを目指して (2)

 

霊的コミュニティは奇跡

ラリー・クラブは、霊的コミュニティは「奇跡」だという。人間的には作り出せない。参加者全員がへりくだり、キリストを見上げる(ワーシップ)態度が無いと起こりえない。形だけスモールグループをやっても、それが無いと全然違ったものになる。愛とは他人に関心を注ぐ事。そのためには他の人が言っていることに誠実に、耳を傾ける必要がある。スモールグループが失敗する一つの理由は、ある人が会話を牛耳ってしまい、自分のことばかり喋ってしまうことにある。「Are you really listening? Key to successful communication」(Paul J. Donoghue & Mary E. Siegel著)によると、アクティブリスニングは贅沢ではなく、必要であると。愛とはその人に注意を注ぐこと。それを妨げるものに4つあるという。

 

アクティブ・リスニングの障害となる4つのこと

1)     Defending (防御的になる)

2)     “Me, too” identifying (自分の事ばかり話す)

3)     advice giving (いわゆるお説教をする。)

4)     judging the speaker (相手を裁く)

 

霊的コミュニティの本質は「お互いに」

お互いに相手を自分より優れた者と思う謙遜さ(ピリピ2:3)が無いと、競争心が生まれる。お互いの業績(あるいはミニストリー)の自慢話になってしまう。また相手を裁いたり、見下したり、あるいはお説教したりが始まると一気に雰囲気が壊れてしまう。安全な場所でないと、正直になれないから。誰も正直になることは怖いので、貝のようにちょっとでもアブナイ雰囲気を感じると閉じてしまうのだ。だからお互いの謙遜さが絶対に必要となる。たとえ良い動機であっても一人の決まった人が一方的に長いメッセージを語って終わりというスタイルでは「お互いに」の部分が起こらない。その「お互いに」が霊的コミュニティの本質的な部分だからだ。ラリーは言う、霊的コミュニティがあまりに稀なので、人々はプロのカウンセラーに頼るようになると。逆に霊的コミュニティが機能すると、かなりの部分、お金を払って会いに行くカウンセリングが必要なくなるとラリーは見ている。しかし、また、あまりに仲良しグループになってしまうと、人間的なものが先行し、なあなあ主義になりチェック機能が効かなくなる危険がある。キリストの前に出ないとお互いの罪を容認してしまう危険があるのだ。愛をもって真理を語れる関係でなくてはならない。あるいは、注意しないと、単なるはけ口としての他人の批判や教会の批判、傷のなめ合い集団になる可能性もある。だから、霊的コミュニティは「奇跡」。しかし、追い求める価値あるもの。ラリーは言う。

 

It’s time to build the church, a community of people who take refuge in God and encourage each other never flee to another source of help, a community of folks who know the only way to live in this world is to focus on the spiritual life – our life with God and others. It won’t be easy, but it will be worth it. Our impact on the world is at stake.

(p.20)

 

今こそ、教会を建て上げる時だ。教会、すなわち神に隠れ場を求める人々のコミュニティ。

彼らはお互いに励まし合い、神以外のものに助けを求めに逃れない。彼らはこの世に生きる術は霊的生活  すなわち神と他者と共にある我々の人生  にフォーカスすることしかないことを知っている。それは容易ではない。しかし、価値あることだ。この世へのインパクトが懸かっているから。

 

2階の屋根裏部屋

ラリーは2つの部屋について説明している。1階と2階。1階は「この世」「肉」「現実の日常生活」と言ってもいいだろう。そこには常にコンフリクトがあり、罪があり、傷つけ合いがあり、痛みがある。なぜなら、人はそこでは自己中心であり、自分の価値を見せつけるプレッシャーの元にあり、自分を自分で守ることに精一杯だからだ。

 

「私の人生これだけなの?何かこれ以上のものがあるはず」と未信者でも2階の存在を意識している。アッパールーム(2階)には主がいて、COMMUNIONの用意が出来ている。そこはキリストによってのみ変えられた世界、変えられた自己がおり、自分中心の態度はキリストをワーシップする情熱に変えられ、人間不信はキリストへの信頼、自己破滅的な快楽はキリストにあって霊的に成長する情熱へと変えられる。自分の人生、自分でマネージできると思っていた自分は、キリストへ服従することへの思いが与えられる。

 

未信者でも人生が1Fだけじゃないことを感じている。隠れ場を求めている。だから、スピリチュアルにハマる。すべての孤独は神への渇きだから。しかし、未信者には2階があることを知っていても鍵がかかって入れない。そこへの鍵はキリスト(ヨハネ14:6)だから。2Fを知っていることは何という幸いか。二階に行く事により、キリストと交わることにより、以下の移行が起こる。

 

1)自己にフォーカスする → 神をワーシップ

 

2)自分が判断基準 → 神のことばが判断基準

 

* ちなみに、人は善悪を知る木の実を食べて、(神なしに)善悪をわきまえる、すなわち、自分が判断基準となった。だから、人間は、「神はいない、信じるに足りない」と結論することさえできる。

 

3)自分の生活を自分のリソース(魂)によってのみ管理する → キリストを信頼する歩

み。与えられた無尽蔵のリソース(聖霊)による歩み。

 

それにより、自由になる。平安になる。Dead Endはない。行き詰まっても、常に2階がある。そこへ行けば、キリストがいる。祝宴の用意がある。だから、Spiritual communityとは、この2階を知っている者の交わりなのだ。

 

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意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ

東京メトロ・コミュニティ

Tokyo Metro Community (TMC)

執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

 

 

2024年11月7日木曜日

霊的コミュニティを目指して (1)


無表情な人々

アメリカの著名なカウンセラーであり、ライターであるラリー・クラブ著の「Becoming TRUE Spiritual Community」(真に霊的なコミュニティを目指して)から霊的コミュニティつくりについて、ご一緒に考えてみましょう。ラリー夫妻は最近、フロリダに引っ越した。ある日、マイアミビーチを散歩していた。そこで見た光景が忘れられないという。

15メートルくらいのベンチに年輩者たちが座っている。フロリダは退職後、老後を過ごすのに多くの人が選ぶ土地柄でもある。しかし、そこに座っている人々はまっすぐ前を向いたまま、隣の人とも話さず、誰にも触れず、前を通る人やバスにも注意を向けず、同じ姿勢で固まっている。コーヒーカップも見当たらず、新聞や本さえ読んでいない。人間関係をエンジョイするように、神のかたちに作られた人間の証拠がどこにもない。その悲しい姿にラリーはショックを受けたという。長い人生で恨み怒りが蓄積してしまったのか?友達や家族に裏切られ人を信用できなくなってしまったのか。ともあれ、そこに座っている人々は無表情でただ、遠くを眺めているだけだった。

 

日本でも老人が、アパートの一室で一人寂しく死んでゆく孤独死というのが話題になった。無縁社会という言葉も出ている。人ごとではないだろう。特に男性は会社に献身し、退職すればタダの人で、友達もなく、妻に死なれれば、一日テレビを見て、酒を飲むしかなくなる。心を開けるコミュニティがあったならと痛切に思う。教会こそが、それを提供できる場所なのではないか?人々は霊的なコミュニティを渇望しているに違いないのだ。ラリーに言わせると「孤独」とは「神への渇き」であると。霊的な生き物である人間は単なる仲良しコミュニティだけでも満足できない。渇きは癒せない。だからこそ、キリストを中心にする霊的コミュニティつくりが重要となる。

 

教会は霊的コミュニティ

ズバリ言ってしまえば、教会とは、神に向かう霊的なコミュニティなのである。教会とは人々のこと。そして、霊的とは砕かれている事。ここで鍵となるのは「砕かれている」(Brokenness)こと。霊的な人は愛の人。霊的コミュニティを出現させられる人はこういう人だ。

 

- Broken but Strong (砕かれているが、強さがある)

- Venerable but have Hope (弱さをわきまえているが、同時に希望を持っている)

- Respectfully Curious (他人を尊重しつつも、深い関心を持つ)

 

そこでは批判もなく、道徳論もなく、お互いに主を見上げることをする。ワーシップの心がある。SPIRITUALでなければ、単なる、仲良し関係か、仕事関係か、いやし、慰めを求める傷のなめあい集団か、神なきカンセリングか、道徳論集団になってしまう。

 

真の霊的コミュニティは、弱さをわきまえながら、正直に、謙虚に、あきらめず、主のもとに共に集い、主とお互いにコミットし、主と共に神に向かって人生の旅を共にしてゆく仲間たちなのだ。

 

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意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ

東京メトロ・コミュニティ

Tokyo Metro Community (TMC)

執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com