「でも教会に行かなくては」との質問が当然出てくる。それに対し、
バナーはこう答える。
* 聖書には今日私達が知っているような教会の姿は描写されて
いないし、勧められてもいないことにお気づきだろうか。現在の
ような「教会」は何世紀も前に、宗教指導者たちが人々をより
よいキリスト教徒にするために作り出したものである。しかし、
多くの人たちが重要だと思っている教会―礼拝、職務、行事、
建物、儀式―は聖書的でも非聖書的でもない。教会は無聖書的
なのである。すなわち教会組織は聖書には書かれていないのだ。
(44)
* もっと端的に言うならば、革命とは私達が教会に「行く」ために
召されているのではないことを認識することである。私達は一人
一人が教会に「なる」ために召されている。 (46)
* 事実、聖書が一緒に集まらなければならないと言う時、教会の
礼拝やイベントを指して言っているのではない。ヘブル10:25.
このような集まりは教会の礼拝だけでなく、スターバックスでも
行うことが出来る。クリスチャンの友人宅でごちそうになりながら
行うことができる。 (121)
* 事実、神を礼拝することと、「教会における集会」を結びつける
聖句は聖書にはない。 (121)私達は霊とまことをもって純粋に
定期的に神を礼拝しなければならないと書いてあるだけである。
(121)つまり、弟子たちと一致して生きる方法を自由につくり
上げてもいいということである. (123)
クリスチャンが交わりの中にいることは絶対に必要だ。またミニチャーチ
やハウスチャーチのリーダーたちが共に研修したり、励ましあったりする
ネットワークも必要だ。カルト化しないために、アカウンタビリティは必要で
ある。 しかし、そのやり方は多様性があるのではないか。郊外型の教会
の形だけが 唯一絶対という訳ではないだろう。
皆さんはどう思われるだろうか?
0 件のコメント:
コメントを投稿