2009年5月10日日曜日

でも教会に行かなくては?

「でも教会に行かなくては」との質問が当然出てくる。それに対し、
バナーはこう答える。

* 聖書には今日私達が知っているような教会の姿は描写されて
  いないし、勧められてもいないことにお気づきだろうか。現在の     
  ような「教会」は何世紀も前に、宗教指導者たちが人々をより     
  よいキリスト教徒にするために作り出したものである。しかし、
  多くの人たちが重要だと思っている教会―礼拝、職務、行事、
  建物、儀式―は聖書的でも非聖書的でもない。教会は無聖書的
  なのである。すなわち教会組織は聖書には書かれていないのだ。                                                               
                                     (44)
* もっと端的に言うならば、革命とは私達が教会に「行く」ために     
  召されているのではないことを認識することである。私達は一人     
  一人が教会に「なる」ために召されている。  (46)

* 事実、聖書が一緒に集まらなければならないと言う時、教会の    
   礼拝やイベントを指して言っているのではない。ヘブル10:25.    
   このような集まりは教会の礼拝だけでなく、スターバックスでも    
   行うことが出来る。クリスチャンの友人宅でごちそうになりながら    
   行うことができる。 (121)

* 事実、神を礼拝することと、「教会における集会」を結びつける     
  聖句は聖書にはない。 (121)私達は霊とまことをもって純粋に    
   定期的に神を礼拝しなければならないと書いてあるだけである。    
  (121)つまり、弟子たちと一致して生きる方法を自由につくり    
  上げてもいいということである. (123)


クリスチャンが交わりの中にいることは絶対に必要だ。またミニチャーチ
やハウスチャーチのリーダーたちが共に研修したり、励ましあったりする
ネットワークも必要だ。カルト化しないために、アカウンタビリティは必要で
ある。 しかし、そのやり方は多様性があるのではないか。郊外型の教会
の形だけが 唯一絶対という訳ではないだろう。

皆さんはどう思われるだろうか?

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