というコンセプトがなかったという。教会が始め生み出されるための
「伝道集会」というものは確かにあったが、教会の通常の集まりは
「信徒」の集まりであり、プロフェッショナルによる説教を中心とした
礼拝儀式ではなかったという。初代教会を特徴づけるしるしは、
「お互いに」(新約では60回以上使われている言葉)というコンセプト
であった。神の言葉を語ることに関しても、例えばパウロは「あなたがた
はみなが、かわるがわる預言できるのであって。。。」(Iコリ14:31)
と言っている。預言だけでなく、様々な霊的賜物が「自由」に教会の徳を
高めるため使われるべきと薦められている。コリントの教会の集まりに
おける混乱があったこと自体が、当時の教会が人間のプログラムによって
統制されていなかったことの証拠でもある。(そして、神は秩序の神で
あるとパウロは言い、人間の権威やプログラムではなく、神が聖霊に
よって秩序をもって、導くことを示唆している。)ともあれ、この
「お互いに」コンセプトが信徒の成長に大きく貢献するとバイオラは
考えている。
しかし、それに反して多くの典型的な制度的教会では信徒を「成長」
させる手段は牧師や教会学校の先生によって学問的に準備され、一方的に
語られるメッセージだけに限られてしまっており、結果、人生の変革を
見ることが少ないことを指摘している。最後にバイオラが指摘する、
教会が健全に機能しているときに見られる要素を紹介しよう。
- Interdependence instead of independence
(孤立ではなく、健全な相互依存—「お互いに」教会)
- Wholeness instead of fragmentation
(断片的であるより、全体的、包括的)
- participation instead of spectatorship
(お客さんでなく、全員参加型)
- connectedness instead of isolation
(孤独でなく、結び合うこと)
- solidarity instead of individualism
(個人主義でなく、団結、連帯)
- spontaneity instead of institutionalization
(ガチガチの制度ではなく、聖霊による自由さ、柔軟さがある)
- relationship instead of programs.
(プログラムより人間関係)
- servitude instead of dominance
(支配でなく、仕える態度)
- enrichment instead of insecurity
(権威や恐れによる押さえつけでなく、個人を解放し、豊かにする)
- freedom instead of bondage
(縛り付けることより自由さ)
- community instead of corporation
(組織というよりコミュニティ)
- bonding instead of detachment.
(バラバラでなく、絆があること)
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TMCでは毎月土曜日に赤坂で、定例会を持っています。東京
を変革してゆくために、失われた魂にどのように届いてゆけるか、
どのようにキリストの体であるクリスチャンコミュニティを
形成していったらいいのかについて話し合う「場」を持っています。
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