2011年5月29日日曜日

「世界観—World View」 その1



しばらくチャーチプランティングの話をしてきたが、現代の都会で伝道するためには、現代人の考え方を知る必要がある。しばらく、そういうテーマで書いてみたい。

東京には多種多様の人々が生きている。海外の人も多い。日本人の中ですら、実は、よって立つ世界観によって、見える世界が違ってくる。世界観とはポストモダン的に言えば「大きな物語」(Meta-narrative)といってもいいだろう。神は居るのかいないのか?人間はどこから、どう生まれたのか。死んだらどこにいくのか?道徳の基準は?よって立つ世界観にり、これらの質問の答えがそれぞれ違ってくる訳だ。

Dr.James Sire”The Universe next door”が世界観カタログのクラッシックになってる。Sireは、8つの世界観を披露している。それは、

1. Christian theism  キリスト教的有神論
2. Deism            理神論
3. Naturalism       自然主義
4. Nihilism          虚無主義
5. Existentialism    実存主義
6. Eastern Pantheism  東洋的汎神論
7. New Age          ニューエイジ
8. Postmodern       ポストモダン

それぞれの人がいろいろな主張をするのは構わないのだが、世界観は単なる頭の中の考えではなく、生き方であり、コミットメントなのだ。つまり、それらの世界観が真実かどうか、テストする必要がある。

トリニティ神学校のDr. Paul Feinbergは以下のクライテリアを提唱している。

1. Logical consistency  論理的な一貫性があるか?
2. Adequate factual support  その論をサポートする十分な事実があるか?
3. Fit with human experience  我々の体験にそぐうものか?
4. Consistency with other field of knowledge  他の学問分野との一貫性があるか?  
5. Comprehensiveness   理解可能か?
6. Livability     その世界観で生きられるのか?
7. Fruitfulness   実を結んでいるか?

特にlivabilityは重要で、 ニーチェのように、「神はいない、神なき世代では、人は超人になるべし。」と宣言しても、果たして超人として生きられる人がどれ程いるのかということになる。フランシス・シェーファーが指摘しているように、人は神無し、と言いながら、その世界観に生きられないので、ある意味で「信仰の飛躍」をして根拠無き愛や善行を人間の徳として唱い上げている。(「愛は地球を救う」のスローガンなど。)まったく機械のようには生きられないのだ。そうすると言っていることと、行っていること(生き様)に一貫性が無くなってしまう。学問が蛸壺化して、専門バカが増え、すべてがフラグメント(断片化)されていく中で、すべてのパズルのピースをはめ込める一貫した世界観は無いのだろうか? 次回は、先ずはキリスト教的有神論を見てみよう。
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コメントお待ちしております。asktmc@gmail.com (栗原)まで、
TMCでは毎月土曜日に、定例会を持っています。東京を変革して
ゆくために、失われた魂にどのように届いてゆけるか、どのように
キリストの体であるクリスチャンコミュニティを形成していったら
いいのかについて話し合う「場」を持っています。ご関心のある方は
メールください。ご案内をお送りします。


2011年5月22日日曜日

「星のように砂のように」 その2


前回、アメリカの教会成長のかげりについて触れた。ラフルはこの解決策は初代教会のような教会に鍵があると見ている。

1. 会堂やプログラム中心ではなく、人間関係中心。興味ある人たちが集まることから始まる教会。

2. 伝動は単発のイベントではなく、ノンクリスチャンと友達になることから。彼らに仕えることで人間関係を築くことから。

3. 信頼ある人間関係の中での弟子訓練。神学校は教師をつくる。「教師」は「教師」を生み出し、魂をケアできる牧師を生み出さない。現場から離れた神学校教育をしない「牧会の働きへの登龍門である神学校は最近アメリカで生み出されたものなのです。」(P245)それ以前には信徒が実際の牧会の働きや集会のリードをしていたし、テントメーカー牧師もいた。制度化したシステムに依存しないほうが成長した。(p246)南部バプテストは今日も「信徒牧会者」を用いている。

4. 自然にリーダーしている人(追従者がいる)が教会開拓者になるのが自然。必ずしもフォーマルな神学校教育は必要なく、はじめから有給の牧師である必要もない。教会が小さいうちは仕事を持つ牧師のほうが有益な場合がる。(人間関係も広がるし)

5. はじめに「会堂」ありきではない。家でもマンションルームでも、時にはバーでも始められる。

6. その人々の文化を考慮する。ストリートギャングと裕福層は一緒に礼拝したがらない。その文化からクリスチャンになったひとが「リーダー」として、その文化の人々を導くのがふさわしい。長老とは「そこで」より経験が有るもの。年齢だけのことではない。若者を長老(群れのリーダー)として立てることもあり得る。

7. イエスは群衆への広い伝動と限られた弟子たちとの個人的な関係、両方を重視された。教会も広く種を蒔きつつも、可能性あるリーダーを養成することを忘れない。また、目標は世界宣教であることを忘れない。Think globally, act locally.

8. 若者にフォーカスする。次世代をみつめる。可能性を見てあげ、その方向にいくよう励ます。

ラフルはハウスチャーチ賛成派だが、既存の教会やメガチャーチも否定しない。いろいろ必要だという理解。それぞれの「召し」と「賜物」がある。彼が重荷を感じて推進しているやり方はあるが、こうでなければならないと1つのもの以外を否定はしていない。そこはフランク・バイオラと違うようだ。とにかく何人かで集い始めること。人生のわかち合いをすること。そこから主が何か始めてくださる。
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東京を変革してゆくために、失われた魂にどのように届いて
ゆけるか、どのようにキリストの体であるクリスチャン
コミュニティを形成していったらいいのかについて話し合う
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2011年5月15日日曜日

「星のように砂のように」 その1



ハワイ、ホープチャペル、カネオヘベイの牧師、ラフルモアの新書を紹介しよう。私個人的には、一番、バランスが取れていて健全なのではないかと思っている。バイオラから見れば、制度的教会の範疇に入ってしまうのだろうが、そうであっても、限りなくオーガニックにやることは可能なのではないか? ラルフのところはそのようにして、うまくやっている例だろう。この本の副題は「教会が教会を生み出す」で、英語タイトルはHow to multiply your church。日本語版は新生宣教団から出版されている。主の大宣教命令達成には教会を増やすことが最善とする。つまり宣教の基地を増やすこと。伝道は大切だし、伝道イベントも必要だが、伝道のやり逃げみたいなことにならないように、チャーチプランティングのコンテキストですれば無駄が少ない。ラルフの主張の要点は、教会は建物ではなく「人々」であり、「人間関係と祈り」で広がる教会ということ。

アメリカでさえも、90年代礼拝出席率が人口の25%であったのが、今は20%と下降現象は止まらない。(p78)ラフルによるとアメリカで唯一教会が成長しているのはハワイで、ホープチャペルとニューホープのチャーチプランティングによるという。ノンクリスチャンが救われ人生が変えられて教会が始まってゆくと、ものすごい力がある。ローマ時代には小さな教会の普通の人々が活発にされ、たった3世紀でローマ帝国をひっくり返してしまった。それは教会が増殖したからであり、単に教会員を増やして大きな教会をつくるより、教会を増殖させて、至る所に教会が存在するほうがインパクトがあるのである。

また、「現場」での「人間関係」による弟子訓練を強調している。以下の発言は考慮に値する。「日本は高い教育水準が逆の価値観を生み出しているのです。日本はフルタイムの聖職者のために世界でも最高水準の教育を保持しているにもかかわらず、結果を見ることができないでいます。日本の教会成長はフルタイムの訓練された聖職者がいるにもかかわらず世界でも最低レベルでした。しかし、信徒運動がフルタイムの働き人とパートナーを組んだ場合、大きな結果を刈り取っています。この国での真のリバイバルは地域教会で訓練された牧会者が効果的に働いたときのみ教会増殖を生み出してきたのです。」(p。248)

また、我々TMCの路線に同調するようなマンションルームチャーチの可能性についても触れている。その際、フルタイムのワーカー(伝統的な牧師)が教会開拓者たちの面倒をみてゆくという「使徒的な働き」をしてゆくことが解決の道となると提言している。(p。270)次回はラルフ牧師が描くあるべき教会、弟子訓練について見てゆこう。
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2011年5月8日日曜日

「オーガニックチャーチQ&A」



 日本でオーガニックチャーチを推進している一人、福田充男氏と2010年末に個人的にお会いする機会があった。自分の持っている質問をいろいろさせて頂いた。要約しよう。


Q.イエスは悪霊を追い出し、病人をいやし、神の国を述べ伝えた。弟子たちも。
        今の宣教は「ことばの宣教」に偏ってないか?

A.天の声を直接きくべし。神との直接関係が優先。人の声、それを邪魔する人
        の声やこの世の声が常に入ってくるので、聖書と教会(コミュニティ)を通
       して、吟味し、その声が入らないよう戦いをする。悪霊追い出しや、いやし
       や祈りはこの神のとの直接関係にの範疇に入る。これを本流とすべし。ところ
       で宮で仕えていた、少年サムエルは直接神の声を聞いた。信仰の先輩、エリが
        聞かなかった主の声を少年は聞けた。こういうことがある。


Q.エペソ書の使徒、預言者、牧師、伝道者、教師について

A.使徒は何も無いところに教会の業をはじめる先駆者、開拓者。チャーチ
        プランター。伝道者はピリポのように、あたりかまわず伝道する人。フォロー
        はしない。預言者は伝道される人のニーズを察知したり、平和の子を見つけ
        たりする。だから、使徒と預言者はカップルで働く。牧師はローカルチャーチ
        の長老で魂の見張り役。現在の神学校は教師を育てるところで、伝道者や
        牧会者を育てるところではない。神学校卒で開拓には、そもそも無理がある。
       伝道者や、使徒・預言者の先発部隊が必要であり、牧会者が後で任命され、
       教師がはじまったムーブメントを正当化してゆくのが望ましい。そう考えると、
       開拓チャーチプランティングチームがあるのが望ましい。斬り込み隊長は伝道者
       にやらせる。教師がやってはいけない。


Q.説教の役割

A.インターアクティブ・バイブルスタディで大体カバーする。VISION 
CASTINGは説教じゃなく、実際、宣教旅行やミニストリーにかかわる
中で与えられる。私(みつお)はブログは書くが説教をしてまわってはいない。
セントラルな「場所」を作らない。どこが中心かわからないほうがいい。
ラルフモアでさえ、結局は日曜礼拝の彼のメッセージで救われ、魂がミニ
チャーチに回されてくるので、信徒がミニストリーを十分やっているわけでは
ない。ラルフのミニストリーの一部になっている問題がある。それからミニ
チャーチは増えるがリーダーが足りない。本で教育しているから、倍加しない。
既存のスタイルだと、説教で食べさせてもらっているので、信徒が自主的に
食べることができなくなる。牧師のメッセージに主食を頼ってしまう。結果、
自分でミニストリーできなくなる。


Q.セレブレーション(日曜礼拝)は必要か?

A.    旧約、新約使徒時代は家が中心。家庭が教会。励ましのためセレブレーション
       はいいがイスラエルでは年3回が大集会だった。個々のエクレシアを阻害しない
       ならセレブレーションはいいが、セレブレーションはエネルギーがかかるし、
       それに伝道を頼ったり、養いを頼るようになるのならしないほうがいい。
       とにかく現場を充実させる。現場で満たされるとセレブレーションに行きたく
        なくなる。ちなみに、トレーニングは現場でする。セミナーでは育たない。
       救われた人は48時間以内に基礎的フォローアップを受け、ライフグループに
       入れる。後は、そのフェローシップの中で、やりながら覚える。


Q.フランクバイオラのフラットチャーチについて

A.ある文化的コンテキストでは完全フラットがうまくいく。カリフォルニアの
       ように「平等」が高い価値観になっているところではいいが、東洋では難しい。
       トップダウンはまずいが、リーダーがなるべく社長としてではなく、家族の父
       のように機能することはできる。自然にメンバーの尊敬と信頼を勝ち得ている
       姿が望ましい。ポジションでなく、関係から生まれる尊敬と信頼。世話役は
       必要。皆に認められる長老が任命されることはいい。プロフェッショナルな
       賛美チームが常に必要なわけではない。楽器弾く人は限られていてもワーシップ
      リードは誰がやってもいいではないか。大事なことはコミュニティと弟子育成。
      それを現場でやる。場所より人。プログラムより人。


とまあ、こんな具合でした。皆さんはどう思われますか?
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2011年5月1日日曜日

「フランク・バイオラを読んで」



いままで、アメリカのオーガニックチャーチ推進者のフランク・バイオラの教会革命シリーズの数冊をご紹介した。どういう感想を持たれただろうか?私はかなり影響されたものの、やはり100%同意できない部分もある。

1.教会のリーダーについて
キリスト中心でなければならないことはよく分かる。人間的要素を排除しなけれ
ならない事も分かる。しかし、集まって礼拝するとき、意図的にリーダーを立
てないというのはどうか?ファシリテーターさえ立てるべきでないとする。
しかし、人間が集まるところにはリーダー的役割をする人は必要だし、群れを牧
する人は自然とそれが、サーバントリーダーになるのではないだろうか。リー
ダーが自体が悪いのではなく、リーダーの質ではないだろうか。集会を牛耳った
り、自分のカリスマだけでひっぱってゆくのはマズいだろうが、サーバントリー
ダーは聖書的だろう。またサーバントリーダーならチームを大事にするので、
おのずとチームリーダーシップの形を取るのではないだろうか。歴史を見ると、
やはりビジョンが与えられたリーダーがその時代の様々なムーブメントを起こ
してきたことは事実である。神がモーセやヨシュアを用いたように、神はある
人を召し、ビジョンを与え、リーダーとしての賜物を与え、群れを導くことを
させるのではないだろうか。ただ、独走しないように、そのリーダーを取り巻
くアカウンタビリティを持つ仲間のリーダーたちがいる必要がある。与えられ
たビジョンを吟味する人々が必要だろう。

バイオラは教会の決定は「全員」ですべきで、トップダウンはありえないと
する。しかし、モーセの出エジプトのように、緊急時に決断を下し、民を導く
こともありだろう。常にデモクラティックに皆の意見をまとめてという訳で
はない。バイオラを読んでいると、リーダーシップが使徒に集中してしまい、
ローカルチャーチのパスターは全く権威がなくなってしまうようだ。逆に
これも危険ではないか?

2.賛美リーダーについて
  バイオラは賛美リーダーや専属のワーシップチームが礼拝を導くことに反対
       している。確かに聖霊がすべての信者に住まわれており、賛美もすべての
        信徒に与えられているだろう。しかし、賜物を持った人が賛美リードすること
        が聖書的でないとは思えない。確かに大教会の場合、プロ的なミュージシャン
        によるショー的なワーシップになる可能性は否定できないが、だから
        ワーシップチームは要らないという論法にはなるまい。礼拝の中で、預言や
        賛美が自由にできる時間を設けるなど、フレキシブルなワーシップの時間に
        することはチームを持ちながらも十分できるのではないだろうか?音楽に
  よるワーシップの場合、やはり音楽の賜物ある人がやらないと礼拝の障害と
        なってしまうこともあるうる。

3.大教会、既存教会について
  私は大教会や既存教会の良さもあると思っている。大教会はとにかく、
       リソース,経済、人材)がある。災害時の支援などはアクションが起こしやすい。
       教団があるがゆえに、全国に散らばる教会との連絡が取りやすい。ハウス
        チャーチの場合、独立していることが多いので、どこにどういう教会があるの
        かわかりにくい。また、既存教会は、目立つので求めている人が教会を探しや
       すい。商店街のお店が看板を出しているので何の店かわかるように、教会に
        看板があり宣伝がされていると「ああ、キリスト教の教会」と分かりやすい
       メリットがある。また、個人の家のハウスチャーチの場合、プライバシーのこと
        もあり、公に宣伝する難しさがある。不特定多数の人が集う礼拝は、公共の場で
       礼拝を持つ事には良い面がある。私は東京都心のような場所では大教会方式か、
       職場近くのカフェ(あるいはクリスチャンカフェ)などで持つ、スモール
        グループ的な方式かどちらかが有効と考えている。中途半端な既存教会は難 
  しくなるのではと予想している。いずれにしても最後は召しなので、どういう形
        で教会形成するのか、主に聞いていくしかない。

バイオラの本を読んで思うのは、こうでなければならないと思っているキリスト教・
教会の伝統のかなりの部分は聖書的根拠がないということで、ならば、キリスト教
への誤解を取り除き、教会のあり方をかなり変えることで、この時代に切り込んで
ゆくことは可能なのではないかという希望である。教会が組織より、キリストの
体的表現(人生と生活を分かち合うコミュニティ)を実践すること、神の国の祝福
が教会の壁を越えて社会に流れ出す事。「日曜クリスチャン」から「365日の主」
への転換(聖と俗の垣根を外すこと)は必要だろう。
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