2011年5月1日日曜日

「フランク・バイオラを読んで」



いままで、アメリカのオーガニックチャーチ推進者のフランク・バイオラの教会革命シリーズの数冊をご紹介した。どういう感想を持たれただろうか?私はかなり影響されたものの、やはり100%同意できない部分もある。

1.教会のリーダーについて
キリスト中心でなければならないことはよく分かる。人間的要素を排除しなけれ
ならない事も分かる。しかし、集まって礼拝するとき、意図的にリーダーを立
てないというのはどうか?ファシリテーターさえ立てるべきでないとする。
しかし、人間が集まるところにはリーダー的役割をする人は必要だし、群れを牧
する人は自然とそれが、サーバントリーダーになるのではないだろうか。リー
ダーが自体が悪いのではなく、リーダーの質ではないだろうか。集会を牛耳った
り、自分のカリスマだけでひっぱってゆくのはマズいだろうが、サーバントリー
ダーは聖書的だろう。またサーバントリーダーならチームを大事にするので、
おのずとチームリーダーシップの形を取るのではないだろうか。歴史を見ると、
やはりビジョンが与えられたリーダーがその時代の様々なムーブメントを起こ
してきたことは事実である。神がモーセやヨシュアを用いたように、神はある
人を召し、ビジョンを与え、リーダーとしての賜物を与え、群れを導くことを
させるのではないだろうか。ただ、独走しないように、そのリーダーを取り巻
くアカウンタビリティを持つ仲間のリーダーたちがいる必要がある。与えられ
たビジョンを吟味する人々が必要だろう。

バイオラは教会の決定は「全員」ですべきで、トップダウンはありえないと
する。しかし、モーセの出エジプトのように、緊急時に決断を下し、民を導く
こともありだろう。常にデモクラティックに皆の意見をまとめてという訳で
はない。バイオラを読んでいると、リーダーシップが使徒に集中してしまい、
ローカルチャーチのパスターは全く権威がなくなってしまうようだ。逆に
これも危険ではないか?

2.賛美リーダーについて
  バイオラは賛美リーダーや専属のワーシップチームが礼拝を導くことに反対
       している。確かに聖霊がすべての信者に住まわれており、賛美もすべての
        信徒に与えられているだろう。しかし、賜物を持った人が賛美リードすること
        が聖書的でないとは思えない。確かに大教会の場合、プロ的なミュージシャン
        によるショー的なワーシップになる可能性は否定できないが、だから
        ワーシップチームは要らないという論法にはなるまい。礼拝の中で、預言や
        賛美が自由にできる時間を設けるなど、フレキシブルなワーシップの時間に
        することはチームを持ちながらも十分できるのではないだろうか?音楽に
  よるワーシップの場合、やはり音楽の賜物ある人がやらないと礼拝の障害と
        なってしまうこともあるうる。

3.大教会、既存教会について
  私は大教会や既存教会の良さもあると思っている。大教会はとにかく、
       リソース,経済、人材)がある。災害時の支援などはアクションが起こしやすい。
       教団があるがゆえに、全国に散らばる教会との連絡が取りやすい。ハウス
        チャーチの場合、独立していることが多いので、どこにどういう教会があるの
        かわかりにくい。また、既存教会は、目立つので求めている人が教会を探しや
       すい。商店街のお店が看板を出しているので何の店かわかるように、教会に
        看板があり宣伝がされていると「ああ、キリスト教の教会」と分かりやすい
       メリットがある。また、個人の家のハウスチャーチの場合、プライバシーのこと
        もあり、公に宣伝する難しさがある。不特定多数の人が集う礼拝は、公共の場で
       礼拝を持つ事には良い面がある。私は東京都心のような場所では大教会方式か、
       職場近くのカフェ(あるいはクリスチャンカフェ)などで持つ、スモール
        グループ的な方式かどちらかが有効と考えている。中途半端な既存教会は難 
  しくなるのではと予想している。いずれにしても最後は召しなので、どういう形
        で教会形成するのか、主に聞いていくしかない。

バイオラの本を読んで思うのは、こうでなければならないと思っているキリスト教・
教会の伝統のかなりの部分は聖書的根拠がないということで、ならば、キリスト教
への誤解を取り除き、教会のあり方をかなり変えることで、この時代に切り込んで
ゆくことは可能なのではないかという希望である。教会が組織より、キリストの
体的表現(人生と生活を分かち合うコミュニティ)を実践すること、神の国の祝福
が教会の壁を越えて社会に流れ出す事。「日曜クリスチャン」から「365日の主」
への転換(聖と俗の垣根を外すこと)は必要だろう。
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東京を変革してゆくために、失われた魂にどのように届いて
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