「キリスト教は人間至上主義で、自然搾取、環境破壊の原因になってるんじゃないですか?いわゆる先進国のあり方はそうでしょう。」
「聖書は人間が世界を支配せよと言っている。人間のために自然がある。だから、人間は自由に自然を望むがままに搾取していい。どうもキリスト教を土台とした西洋の文化にはそういうところがある。一神教より、汎神論のほうが平和的で、自然にやさしい。」よくある意見じゃないでしょうか。
では、この質問に答えてください。
1.はじめに神が創造した理想の園、エデンの園では人間と動物、あらゆる自然がバランス良く生活してたのではないですか? 神はそれを見て、「良し」とされたのではないですか?(創1:31)
2.なぜ、ノアの箱船には動物が乗っていたのでしょうか?神が動物も救うように命じました。神は動物をケアしないのでしょうか?(創6:19)
3.もし、神が英知を注ぎ込んで、この物質的な世界も造られたなら、(実際、この世界はすばらしくよく出来ています。)創造の主である神はご自分の創造した世界をケアしたいと思いませんか?(箴言8:30−31)
4.ローマ書、8章21−22節には、「被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子供達の栄光の自由のなかに入れられます。被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。」とあります。人間の罪によって呪いの下に置かれている被造物すべてが解放の時を待っているというのです。神の購いのご計画は人間のみならず、神が造られた世界全体を含んでいるのです。これは神が造られた世界を大事に思っておられるからではないですか?
宗教改革の神学者、カルビンはこう述べています。「人間を扱うと同様に動物に対しても正しく扱わなければならない。」
人間のために自然があるという解釈は聖書ではなく、アリストテレスの哲学から来ているのです。自然資源の搾取は、むしろ、ダーウインから発生した優性主義、社会進化論、適者生存などの思想から推進されるようになったのです。聖書が教えているのは人間が地上を占領するのではなく、責任もって統治するということです。(創世記1:28の正しい意味)イエスも焼いた魚を召し上がった。適切な食物連鎖は神の定めた自然界の秩序であるとも言えます。ただし、聖書は、人間のどん欲を戒めています。限りない欲望は人間を滅ぼします。
ちなみに、汎神論的な日本人がキリシタン迫害で、島原では20万人が雲仙の熱湯に入れて殺したといいます。汎神論者が平和主義とは限らないのです。また、一神教を否定する、無神論の共産主義も中国の文化大革命で多くの犠牲者を産み、キリスト教国でない、カンボジアのポルポト政権の下、大虐殺が起こりました。アジア的汎神論や多神教のほうが寛容で、平和でいいとは一概には言えません。
厳密にいうとキリスト教は1神教ではないのです。イスラムの神と同じではありません。あえて言えば三位一体教です。父、御子、御霊の3つのパーソナリティがあるから、関係があり、愛がありうるのです。その愛が被造物(人間を含め)に溢れ流れているのです。その神は搾取の神ではなく、その一人子さえ、お与えになる(ヨハネ3:16)惜しみなく与える神なのです。真にイエスに従えば、搾取より、与える者になるのではないでしょうか。
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