「神の国」シリーズ (1)
昨今、神学界でも「神の国ーKingdom」がテーマになっている。一時、教会成長論がはやったが、教会員が数字的に肥大化すれば、それでいいのだろうか?彼らがキリストの弟子となって、この現実に行きている社会に、この国にどのくらいのインパクを与えているのかが問われるであろう。今回は、「教会」と「神の国」の関係について見てみよう。
キリストの体は「すべての信徒」により成り立っている。そして、社会のすべての主要構成要素となる分野に、キリストにあるリーダーたちが配置されている。神がすべてにおける最終的コンダクターであるから、ご自身のご計画に基づきCITYを勝ち取るための戦士を配置しておられるのだ。ただし、働き(天命)は一人で行うものではなく、チームで行うよう定められている。従って、彼らを、お互いを励まし合う「購いのコミュニティ」の中に置かれる。この購いのコミュニティこそ「教会」なのだ。そもそも「教会」という翻訳は適切ではない。教会はエクレシアすなわち、目的にため神によって集まられた人々の群れである。キリストの体はミニストリー組織の中だけでなく、どこにおいても見いだされる神の民すべてなのである。
我々は1つのローカルチャーチ、1つの教団を超えて、<神の国>の視野を保たねばならない。我々のゴールを達成するためにキリストの体の他の部分と力を合わせなければならないのである。(以下は国際CCCのLeaders led Movementの教材より抜粋)
キリストの体に関して真実なこと
1. キリストの体とは、教会とは何であるかを我々に描くために聖書が用いている多くの例えの一つである。(1コリ12:12−27、エペ1:22−23、4:15−16、コロサイ1:18、2:19)それは霊的なキリストを頭とする生命体であり、ペンテコステから携挙までのすべての新生した人々からなる。従って、真の信徒はすべてキリストの体(教会)の部分なのである。
2. キリストの体は地域的であり、かつ普遍的である。聖書では、ハウスチャーチから地域にあるすべての教会、さらに全世界の教会を含め、すべてのサイズでの信徒の群れを指すのに用いられている表現である。(1コリ16:19、使徒9:31、エペ5:25) キリストの体は、会社、政府、教育、近隣、宣教団体を含め、社会の主要構成要素のすべての分野に現れる。信徒の集まりは2−3人が子供のような謙遜さ、見捨てられたものへの憐れみを持って集まることもあるだろう。イエスの名によって地上でどんなことについてでも心を合わせて祈るところにキリストの体は現れる。
3. 神の国は主には、神の王としての支配、力ある統治のことである。教会は神の国のコミュニティであるが、神の国そのものと同一視してはならない。神の国は神の統治のことであり、教会は人々の集まりである。
要約すると:
○ 1。教会は神の国そのものではない。イエスは神の国が近づいたとの福音を述べた。教会
の福音でもなく、教会が近づいたとも述べなかった。(使徒8:12、19:8)
○ 2。神の国は教会を生み出す。神の国に入った人々は教会の人々の集まりに加わる。
○ 3。教会は神の国を証する。イエスは御国の福音が全世界に伝えられると言われた。
(マタ 24:14)
○ 4。教会は神の国の出先機関。御国の力の現れとしての聖霊が弟子たちを通して働き、病人を癒し、悪 霊を追い出した。イエス様の働きの時と同様である。
(マタ10:8、ルカ 10:17)
○ 5。教会は神の国の管理者である。教会には天の御国の鍵が預けられている。
(マタ16: 19)
○ 6。教会の目的は神を礼拝すること(コロサイ3:16)、信徒を養うこと(エペ4:12
−13)、そして伝道すること(マタ28:19)、そして世に憐れみを示すこと(使徒1
1:2 9;ルカ6:35−36)
7。教会はできるだけ正確にイエス様を模倣(反映)する。だから、すべての信徒は聖なる祭司とし て神への礼拝として自らを捧げる。(第一ペテ2:5)
○ 1)すべての信徒はキリストの体から自分の意味や役割を見いだす。
(ローマ12:4−5)
○ 2)すべての信徒は、それぞれの賜物が与えられており、御体を建て上げるためそれら
を用いるよう期待されている。(1コリ14:26、ローマ12:6−8)
○ 3)すべての信徒は失われた世界にキリストを提示するため遣わされているミッショナ リーである。(マタ28:18−19)
○ 4)すべての信徒は神の創造された世界を管理することが期待されている。
(創1:26−28)そして、世界を祝福するよう、堕落した世界の購いに参与する
よう期待されている。(イザヤ61:1、マタ5:13−16、ヨハネ10:10)
○ 5)すべての信徒はその謙遜さと恵みによって知られ(ローマ12:3)、神は個人に
も体全体にも語るので、個人的な従順や証よりも成熟した群れとしての一致した従
順、証のほうがより効果的で力がある。(ヨハネ5:19、エペ4:11−16)
神が与えたビジョンを達成するには、すなわち、全世界に全的福音を伝えるには全教会の動員が必要との認識に立たねばならない。
これを成すには、我々は他のすべての真の信徒も同様にキリストの体の一部であるという真理に立って考え、行動しなければならない。キリストの体を成熟にむかって建て上げるために、すべての信徒が賜物を持っており、その賜物が用いられる必要のあるという真理に基づいて考え、行動しなければならない。
もし、すべての信徒が賜物を表現しないならキリストの体は不完全で未成熟であるという真理に基づいて考え、行動しなければならない。聞く用意があるすべての信徒に神は語るという真理に基づいて考え、行動しなければならない。もし、彼らが聞けば、彼らの深い願い(夢)を生きることで霊的ムーブメントに貢献し、神に栄光を帰することができるのである。
すべての社会の主要構成要素に変革をもたらすキリスト中心のムーブメントに火をつけ、促進させるシティのリーダーたちのネットワークを構築し、キリストの体の様々なメンバーが関わる必要があるという真理に基づいて考え、行動する必要がある。
神の国を立て上げることは直接的伝道という狭い範囲に限らない。他にもいろいろな働きはある。癌の研究、都市設計、貧困層の援助などは、神が与えたすべての命令を達成するためにキリストの体の多くの部分によって担われる必要があるのだ。従って、我々はそれらの働きに価値を置き、祝福しなければならない。
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