2012年9月26日水曜日

神の国シリーズ — Kingdom story (1)



 キール&デリツェックの旧約聖書注解にはアダムについて次のように書かれています:

  地球は人間の手によって耕すものと定められていましたから、アダムは楽園で畑を耕すように命じられていました。人間が手を加えなければ、植物やその他、様々な異なった種類の豆は育たず、野生化してしまうからです。自然が荒廃する中ではやせてしまうしかない聖なる農園は、耕作することによって維持されたのでした。自然は人間のために造られました。人間の労働は作物の質を高めることに貢献しただけではなく、霊的な側面にも関わり、そこに神の栄光が現わされました。

神の姿に似た者とされたアダムの責任のひとつは、農園を開墾し、世話することでした。それだけではなく、彼の働きは全世界に対して、単なる庭仕事以上のものとなりました。アダムとその民族は世界を養っていくように計画され、神の特別なご臨在の下で価値あるものとされました。このようにして文明が作られていったのです。最初の人間の仕事内容が支配することであったことに注目してください。(創世記1:28)被造物は、停滞して不活発なものとされていたのではありません。神は何の歪みもない完全な始まりを与えられました。創世記から私たちは被造物を発展成長させていくように教えられていることがわかります。けれども、一体どこまででしょうか。神の造られた宇宙はどのようになるべきなのでしょうか。

人類は神のご支配の下で世界を発展させていくように望まれています。それによって、神がそこに反映され、神がほめたたえられるためです。また、私たちが神と神の造られた宇宙を楽しむためです。私たちは楽園に存在していた時と同じような秩序をこの世界にもたらして、パラダイス・メーカーとなるように期待されています。それは神への従順によって適切な統治権を実践することを通してのみ到達できるものです。ダラス・ウィラードは次のように説明しています。

  私たちはある適切な領域範囲において「統治権」を持つように造られています。これは私たちが神に似たものとして形造られているということの基本となるものです。

  私たちはすべて神の造られた偉大な宇宙において、永遠に滅びることのない霊的存在として造られました。神は私たちが神と意識的に個人的に応答する機能を私たちの中に組み立てられたのです。神は私たちと共に行動されるので、私たちは神とのつながりにおいてのみ「統治」することが許されます。私たちのこの地上での生活を通して、神はずっと私たちパートナーとして共にいてくださいます。このことを通して、私たちに対する神の愛が実践されているのです。

大切なこととして覚えなければならないことは、携帯電話、高層建築物、新聞などが堕落の結果ではないということです。私たちはずっと楽園の中にいるわけではありません。そうではなく、私達は地球の発展に貢献しなければならないのです。けれども残念なことに、私たちの住む世界の多くの領域は、神のご性質ではなく、堕落した人間の性質が色濃く反映されています。その結果、神にご栄光がもたらされず、神の存在はぼんやりとしたものになってしまいました。私たちクリスチャンは技術や建築、教育、ジャーナリズムを通して、この世界を発展させてゆく責任を果たしているでしょうか。ノンクリスチャンに対しては、どうでしょうか。もし果たしていないなら、なぜでしょうか、それによってどのような違いが起っているでしょうか。

創世記1:28に書かれている命令について考えてみてください。神が私たち人間にどのようなことをするように計画しておられたかがわかります。神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」


ウィクリフ聖書注解には神がアダムと人類に意図しておられたことについて、次のように書かれています:

 彼は神から創造主である神のみこころを行い、聖なる目的を果たすという責任を任された
 代表者で、この地球に仕える僕です。この世界を治める責任が人類に与えられました
(詩篇8:5-7)彼は地球を治め、人々で満たすようにという神のご計画に従うよう命令
 されました。信じられないほどの特権と重い責任を任せられたこの卓越した人類は賢い王
 のように生き、振る舞うべきでした。

人類が最初に与えられた仕事は統治するようにということでした。これはまずアダムに与えられましたが、全人類にも与えられたものでした。神に似た者とされたすべての人々は、途方もない特権と重い責任をいただいて、この地球に仕える僕の役割を担っているのです!何とやりがいのある仕事ではありませんか。このために私たちは造られたのです。これが神に似せて造られたという意味です。

では、今日生きる私たちにとって、これはどういう意味でしょうか。あなたは神の僕としての大きな特権をいただいていること、あなたの仕事は創造主のみこころを行い、聖なる目的を果たす手段であると信じていますか?そして、どの範囲まで? 被造物に対する人類が持つ影響はどうあるべきでしょうか?バーンズは次のように述べています:

  アダムと彼の民族はこの地球と動物王国を支配する力を行使するよう、創造主のことばによって権威が付与されました。征服、支配とは、自分たちの本来的必要を満たすためだけではなく、自分たちよりも劣った動物や同胞の人類に対しても、科学や慈善の様々な目的を果たすためのものです。それは個人の益に留まらず、一般大衆の益のために、知性、道徳的理由によって力を行使するということです。人間による統治は慈善的要素のあるものでなければなりません。

人類は地球全体を支配するように神から命令を受けていますが、それは横暴な権威によるものではなく、人々に益をもたらすものでなければなりません。

アダムひとりで地球をよくしていく命令を成就することはできません。アダムの子孫全員にも命じられていることです。堕落の前に与えられたこの命令は、神が世界と人類にどのような計画を持っておられたかがわかります。次の章では堕落を取り上げます。そこで私たちは罪が神のご計画の成就にどのような妨げとなったかを見ていきます。


創造についての要約ポイント

― 神は創造し、それを良しとされた
― 人類は神に似るものとして完全な形に造られた
― 創世記1:28は人類に与えられた最初の仕事が書かれている。それは支配、統治す
ることである。
― 創造の時点では、世界は完全であったが、それは汚されていないという意味であっ
  て、完全なものとなったという意味ではなかった。
― 神はご自分に似た者たちに生物を育て、開拓していくように願われた。

(キャンパスクルセード Leaders led movement教材より抜粋)
いかがでしたか? コメント、ご感想はこちらまで
asktmc@gmail.com

0 件のコメント: