2014年6月25日水曜日

地震国の原発


「この国のために祈るシリーズ」


 2011年の国連大学のリポートによると日本は自然災害リスクランキングで世界第5位。つまり、世界で5番目に危ない国とされている。日本には活断層が2000あると言われ、そのうち長期評価がされているのは110本。世界の地震の2割が日本周辺で起っていることだけみても納得がいく。そんな日本に原発が54基。一番多いのはアメリカの104基、続いてフランスの59基、日本は3番目に多い。

2007年の新潟県中越沖地震では、震度6強の地震が稼働中の刈羽原発を襲った。稼働中の原発に震度6強が襲ったのは世界初。その結果3億ベクレルの放射能漏れ、3100カ所に故障ありとされ、その後、運転再開まで2年を費やしている。たが、その経験が生かされない中、福島の事故が起ってしまった。


(震災後の福島3号機)

今回、福島第一原発事故では「想定外の津波」が問題視されているが、ここで注目したいのは、刈羽原発では津波の被害はなかったが激震により変圧器火災が起ったという事実。実は東日本大震災では青森県東通り、宮城県女川、福島第一第二、それに東海村第二原発で震度6を観測。その5つの原発すべてで事故が起っていることだ。津波の被害はそのうち1つ。あと4つの原発は激震で事故が起っている。4カ所で電源を失い、1カ所で爆発ということだ。以前に起った刈羽原発事故、志賀原発事故を含むと日本の原発は震度6以上で100%事故が発生したことになる。


福島では今だに、毎日300トンの汚染地下水が海に流出し、汚染水貯蔵タンクからも汚染水漏れ(それも1つのタンクだけではない)がシリアスな問題になっている。原子力規制委員会はこの事故を「重大な異常事象」であるレベル3とした。実は汚水タンクだけではない。そもそもメルトダウンした1号機から3号機までの内部が現在どうなっているのか誰もわからないという異常事態なのだ。京大原子力実験所の小出助教授によると、すでに大気中にあの広島原発の168発分の放射性物質が放出されてしまったという。日本の原発の19基はすでに築30年を経過している。廃炉にするのに40年、放射性物質の放出が止まるまでに100万年と言われている。小出助教授は「原発はトイレの無いマンション」と表現している。途方も無いものを背負ってしまったことになる。

さて、事故は起ってしまった。しかし、今大事なのは「同じ事故を繰り返さない」ということではないだろうか。地震は来る。昨今話題の「南海トラフ地震」の北の部分の震源域(つまり東海地震の震源域)のまっただ中に浜岡原発がある。発生確率は今後30年で70%。震度予測では6強。東日本大震災をうけて、22mの堤防を建設中だが、写真のように砂地に立っている。大丈夫なのか?

  (浜岡原発)


また、説明したように、事故は津波で起るだけではない。原発内は蜘蛛の巣のようにパイプが張り巡らされている。冷却装置が故障すればたちまち燃料棒の温度は上がる。もし爆発ということになると大気中に放出された放射性物質は8時間−10時間で東京に届く。首都東京が汚染地域となるのだ。南海トラフの震源域は今回の東日本大震災の2倍の1000km。千葉から鹿児島までの広範囲に激震が襲う。東京新聞の記事にあるように、その被害総額は220兆円という天文学的数字となる。しかも、それは原発事故を含んでいない。現在福島のタンク汚染漏れ処理だけで100数十億の税金が投入される。国の年間予算は99兆円。一体どうするのか?


最近、静岡市が出した試算では危険地域からの住民の避難に30時間かかるという。しかし、福島の場合は地震後18時間で爆発している。つまり同じ事が起れば、被曝する人が出るのは必至なのだ。それでも再稼働するのか?

防災関係者の間では、「復旧」と「復興」とは区別されている。「復旧」は現状回復だが、「復興」は、震災の体験を生かし、以前より質の高い状態にすることを意味する。つまり、そこには復興に関わる「意識」や「理念」、「価値観」などが含まれてくる。

大震災が起ると今まで通りでいいのだろうかとの疑問が生まれる。東日本大震災後、こんな発言があった。

この大震災は日本の次の生き方を考えなさいと神が与えたチャンスと考えるべきだ。   
                   (安斎隆 セブン銀行会長  読売新聞2012年1月18日論点)

同じ事を繰り返さないための「次の生き方」が復興の鍵となる。


福島では多くの住民が今だに故郷に帰れない。福島原発で被曝している作業員の9割は東電社員以外の流れ労働者で、被曝保障も十分にされていないという。しかし、政府は原発を「ベース電源」と位置づけ、原発輸出ビジネスまで展開しようとしている。「命より経済」の価値観に逆戻りなのか? いや、トータルで見ると経済的にも原発は安くない。ウランの埋蔵量には限界があり将来性が無いとも言われる。いち早く、浜岡原発が廃炉作業に入ることを切望する。


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祈り課題
1. 国が国民の生命と健康を第一とする政策を取れるよう。
2. 危険が指摘される浜岡原発が即、廃炉作業に入れるよう。
3. 福島の子供達の健康が守られるよう。

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「わたしがこの国を滅ぼさないように、わたしは、この国のために、わたしの前で石垣を築き、破れ口を修復するものを彼らの間に探し求めたが、見つからなかった。」(エゼキエル22:30)

シングルイシューのセミプロ化。ここでもクリスチャンの関与する場があります。この記事を契機に関心を持って頂ければ幸いです。


「放射能列島 日本でこれから起きること」武田邦彦 朝日新書
「福島原発メルトダウン」         広瀬隆 朝日新書
「原子力事故 自衛マニュアル」      桜井淳 青春新書
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御心が天になるごとく、地にも成りますように。
For His Kingdom
Tokyo Metro Community (TMC)
asktmc@gmail.com(栗原)



2014年6月18日水曜日

日本の岐路ー9条の論点



「この国のために祈るシリーズ」


いつの時点の9条を守るのか?

改憲か護憲かという粗い議論は意味がありません。もう少し、中身を見て行きましょう。

まず、9条はいつの9条の話しかです。ご存知のように9条制定直後は、マッカーサーも吉田首相も「自衛戦争を含む戦争放棄」で全く軍隊を持たないという解釈でした。吉田は「先の戦争も自衛という名で始まった」とも言っています。もちろん戦争直後で7年は占領下だったので、米軍が駐屯し、海外からの侵略行為などあれば、米軍が対処した訳でしょう。

しかし、朝鮮戦争勃発時に、GHQはいわゆる「逆コース」をたどり、日本に再軍備を迫った訳です。吉田首相は玩として拒否。結局、警察予備隊という型になりました。が、その後それが保安隊、そして今の自衛隊になっています。そして、サンフランシスコ講和条約以降、独立国家なのだから自衛権はあるだろうとの解釈に立ち、最小限の武力は装備しようとなった訳です。いわゆる自衛隊合憲説です。しかし、自衛隊とは名ばかりで誰もが陸海空軍を持っている事を否定できないほど強大な軍備を備えるようになっているし、米軍との共同訓練もやっている訳です。防衛予算は4.6兆円で世界5位。今では警察予備隊とは似ても似つかない立派なJapanese army(外国ではそう呼ばれている)になっているのです。さて、論点を明確にするため、あえて2つの極論を出してみましょう。


1.絶対平和主義オリジナル9条

9条制定直後の純粋解釈に立ち、自衛戦争含め、戦争の放棄と軍隊の不所持を貫く。すなわち、国との紛争を外交努力のみで解決せんとする。これをするには、70年代の社会党の言っていた「非武装中立、全方位外交」をやるしかありません。さらに、純粋に軍隊を所持しないと言うなら、米軍の駐屯も認められない事になります。そうしないと自己矛盾になります。実は9条で軍の不所持を言っていながら今のいままで、米軍という「軍」を国内に置き、それで近隣諸国との軍備バランスをとっているのが事実です。沖縄への負担を無くすためにも完全なる軍の放棄をしなければならなくなります。しかし、そこまでの「外交力」が今の日本にあるのか?そこまでの国際的信頼が日本にあるのか? 攻め込まれたらどうするのか?日米同盟に頼ったままの「ずるい9条」なのかという問題が残ります。非武装中立は、軍を持つより覚悟がいるでしょうね。国民全体が死ぬ覚悟で立ち上がらない限りできないでしょう。あまりに理想的にも思えます。ただ、これを死ぬ覚悟で貫けば、それはそれで、世界からの尊敬を受ける事、間違いないでしょう。


2.改憲=フツーの国=国防軍

朝鮮戦争後、サンフランシスコ条約後の9条。すなわち自衛隊合憲説に立つ場合。この場合、名前はともあれ、「武力」を保持しているのだから、そして、自衛隊の海外派遣など、9条の拡大解釈は限界にきているので、いっそう、「国防軍」と明記し、そのように機能させるか?事実、自衛隊合憲説は、非常に中途半端なのです。あくまで自衛隊は拡大警察なので、できることが限られています。戦場で戦う軍隊ルールで動けないのです。専守防衛で本当に日本が守れるのかという問題もあります?北がミサイルを発射すれば10数分で着弾するわけですから、「みなし防衛」をしないと間に合いません。しかし、そうすると先制攻撃になり戦争を仕掛けることに繋がります。また、海外に邦人がいるし、連携国のパートナーは世界のあらゆるところに広がってゆくので、どうしても「集団的自衛権」という考えが出てきます。他の国の若者は戦場で命をかけて戦っているのに、日本は「金」だけ出せばいいのか?という批判も出てくるでしょう。

ただ、国防軍にすると、いずれは少子化の中で、徴兵制にせざるを得なくなる。あるいは格差社会でワーキングプアや無職の若者の就職口としての軍。そして、精神的支柱として「靖国、国体、天皇」がまた顔を出す。軍備を持っていれば使いたくなる。そういう訳で、この路線、いずれは、改憲、集団的自衛権へと移行せざるを得ないのではと思います。朝鮮戦争以降、すでに9条は「あいまい」な路線を進み始めました。いまの強大な自衛隊(武力装備)が、その到達したところです。「あいまいさ」を無くしたいなら「国防軍」にするしかありません。完全独立国家として軍隊を持ち、米軍の国外撤去。アメリカと対等にパートナーを結び、世界の警察として国連の要請のもと、兵士の海外派遣もいとわない。やるなら、そうするしかありません。自衛のための軍隊を持つと憲法に明記すれば、解釈上はすっきりします。


3つ目のチョイスがあるとすれば、あえて「あいまい」をキープする。私が感じているところは、多くの護憲派は実はこの立場ではないかということです。自衛隊は残したい。自衛の武力はキープしたい。日米安保も残したい。なんとか、このままで行けるなら・・・ただ、この立場の担保は米軍の駐屯です。このチョイスにいるかぎり、米軍駐屯問題は解決できません。う〜ん、難しいですね。簡単には答えが出ません。


9条チョイス 要約すると・・・

1)独立、丸腰 オリジナル9条  非武装中立全方位外交
  理想だが、国民全体の覚悟が必要。その段階ではないので現実的ではないし、危険。
  実際、全く中立はありえるのか?

2)反米独立 武装  自立
  アメリカを敵にまわすのは賢くない。とくに、中国、韓国との仲が冷えている中、ア
  メリカとも疎遠になるのは危険。アメリカ軍が駐屯するという防衛戦略としての意
  味。そもそも日本だけで自国が守れるのか?

3)親米 武装 国防軍 日米同等パートナー 集団的自衛権行使
  安倍内閣の方向性。理論的にわかりやすい。一体化した日米軍事演習はアメリカの意
  向にも沿うのだろう。ただ、9条改憲についてはアメリカでも賛否あるようだ。日本
  の軍事大国化は「警戒」と受け取られるだろう。アジア諸国との緊張も高まる。ま
  た、この路線を突き進むと憲法9条の精神は生かされなくなる。戦争できる「フツー
  の国」になるから。そして、当然、海外での戦争に巻き込まれる。集団的自衛権が進
  めば、アメリカの敵は日本の敵となり、日本がテロも含めて攻撃されやすくなる。こ
  の路線を進むと自衛隊で留まれるのかが問われる。段階を踏み、やがて、「国防軍」
  ということになるだろう。法学者によると、今の安倍政権の解釈改憲による集団的自
  衛権の行使は違憲だという。やるなら正々堂々と改憲しかない。軍は以前のような天
  皇の統帥権のもとではなく、シビリアンコントロールが効くようにするだろうが、緊
  急事態時には国会を開いているヒマはないので総理大臣がリーダーシップを取ること
  になる。

4)親米、自衛隊   自衛のみ   現状維持
  現在の憲法解釈では自衛権はあり、自衛隊は合憲。ただし、集団的自衛権は行使でき
  ない。(海外での戦闘活動に参加できない)日米安保を重視が前提。自衛のみの戦
  力。海外派遣は平和目的のみ。ただし、このチョイスも課題が山積している。現在の
  自衛隊、ハードは軍でも、ソフトが警察。自衛隊法改正で実践に則したものにする必
  要あり。(ある時期までは戦車も道路交通法により、赤信号で停止しなければならな
  かった。)さらに考えるべき事として、ミサイル攻撃などを考慮すると、国防は専守
  防衛だけでいいのか?領域侵犯に関して毅然とした武力威嚇ができるようにすべきで
  はないか? 現在では領域侵犯されても攻撃を受けない限り、スピーカーで警告する
  だけ。米軍が駐屯し続けるなら、日米地位協定の見直しも必要。沖縄への負担をどう
  する? 安保あっての自衛隊なので、アメリカ軍が撤退した場合、どうするか?
  (フィリピンでは米軍が一端撤退したが、その後、中国の領海進出の脅威が高まり米
  軍の再駐屯を要請したという経緯がある。)米軍が日本を去れば、軍事勢力バランス
  は大きく崩れ、中国が進出することは確かだろう。また、海外での邦人救出に武力は
  使えないのか?などなど


ところで、安倍首相の「戦後レジームの脱却」はGHQ占領前の「大日本帝国」に戻ることをイメージしているように思えて仕方ないのです。多くの右派の人は、日本の主権独立を願いつつも、アメリカの支配下から抜け出せない屈折した思いがあるようです。「戦争のできる国へ安倍政権の正体」(斉藤貴男著 朝日新書)の中でこの思いをうまく表現しています。

「従軍慰安婦の問題をはじめ、安倍首相が韓国や中国の人々にことさらに居丈高な態度を取りたがるのも、この文脈で理解できるように思われる。全国戦没者追悼式で、<不戦の誓い>を敢えて省略したのも、天皇や日の丸、君が代に拘り続ける態度も同様だ。日本の保守政治家の骨の随まで染み付いた屈辱が、だからといって(アメリカへの)反発を許されない分だけ、日本よりも遅れていると思い込んでいる相手に対する蔑視となって顕われる。<積極的平和主義>などという美辞麗句で飾ってみても、所詮は米国の超一流への属国への道でしかない現実を熟知しているから、<衛星プチ>の形容詞の伴わなかった大日本帝国時代のしかも、己の一族が率いた輝かしい栄光に酔いしれたがる」(p233)

どうしても、「天皇」「靖国」「国体」「愛国」という大日本帝国に回帰してゆくのです。それでありながら、かつての敵であり、日本を負かせた国であるアメリカにしっぽを振る「親米愛国」という歪んだ心理になっているという訳です。

「東アジアで緊張が高まっている」と訴える安倍首相は、靖国に拘り、自ら靖国参拝を強行して緊張を高めている張本人だという皮肉。それに対してアメリカが「失望した」と言っている限り、9条の改憲など許してもらえないでしょうね。それで、急に改憲ではなく、「解釈改憲」を言い出した感がありますね。


解釈改憲は限界にきている?

護憲派の人も、国防戦略はシリアスに考えなければならないと思います。日本の領土が侵犯される可能性はゼロではないのですから。そんな中、自衛隊の海外派遣や次にくる集団的自衛権など、もう解釈改憲は限界にきているという見解もあります。つまり現実と、もともとの憲法の精神の乖離が大きくなって来ていると。もともと吉田首相はまったくの非武装、つまり自衛権の発動としての戦争、また交戦権も放棄するとしていた訳です。(少なくも憲法制定時は)実態が法と乖離している今、選択としては、戦争直後の9条制定の精神に戻って、非武装、非戦をつらぬくか、改憲して、自衛のための軍隊を持つと明記するかとなるのです。陸海空軍を保持せずと言っても、すでに自衛隊はそれらを持っている訳です。解釈改憲で自衛隊は合憲ということになっています。ただどの程度なら合憲なのかあいまいです。また、9条に守られて来たと言っても、実は、日米安保があり、国内に正式な「軍隊」であるアメリカ軍の基地を置いていたことが、今まで日本が攻撃されなかった大きな要因でしょう。つまり、日本は、国内にアメリカ軍という「軍隊」を持っているのです。「軍隊は持っていませんよ」というのは矛盾になってしまいます。

比類なき平和憲法9条を絶対平和主義のコンテキストで言うのなら、米軍も自衛隊も国内に置いてはいけないことになります。軍隊が無ければ戦争もできない訳です。しかし、今の護憲派の人達は本当に「丸腰し非武装」をする覚悟で言っているのでしょうか?丸腰のまま、唯一の被爆国として世界に非戦メッセージを強烈に発信してゆく。国民がその覚悟で立ち上がるなら、それはそれで立派な事だとは思いますが、しかし、国民の多くも「丸腰」でいいとは思っていないでしょう。

護憲の場合は日米同盟をどうするか、沖縄に負担をかけたままでいいのか、アメリカ一辺倒の安保でいいのかが問われます。世界でのアメリカの立ち位置は変化しています。

中国の「尖閣占領」、北朝鮮からの「本土攻撃」があった場合は自衛隊が出動するのが当然でしょう。独立国として自分の国は自分で守るのは当然だからです。それは個別的自衛権の範囲です。そして同盟を組んでいるアメリカが援護することはあり得るでしょう。アジアで緊張が高まっているから集団的自衛権という話では無いのです。この辺の整理が必要です。

憲法改正(現、内閣は解釈改憲でやろうとしていますが・・)され、集団的自衛権が行使されれば、戦争に巻き込まれ、日本の兵士も相手国の兵士の命も失われる可能性があるのです。外国の戦場に加わる訳ですから。日米同盟の上の集団的自衛権となればアメリカの戦争に巻き込まれます。先日の化学兵器疑惑のシリア攻撃に関しては同盟国のイギリスが降りてしまい、早くから支持を打ち出していた日本がフライングのようになってしまいました。日本が英国と同じ立場ならNOと言えたか心配です。また、戦死者が出れば、戦没者慰霊、すなわち靖国問題が出てきます。また退役軍人のケアや経費。アメリカでは、このための年間予算が9兆円!です。そういった側面は議論されていません。


現実的護憲派の提案は、1。米国オンリーの軍事同盟関係を見直す。2。支援と投資で世界の諸国との友好関係を積極的に築く。3。戦争を起こさせない関係つくりに努める。敵がいなければ戦争はない。中国が脅威ならば、だからこそ緊張感を高める方向ではなく、友好を築く。当然、閣僚の靖国参拝はしない。4。軍備の拡張より、世界の情報通になること。インテリジェンス(国家的決断をするときの有効情報)を強めること。5。「大日本帝国」への回帰ではなく、偏狭なナショナリズムから解放されて、地球村の一国として新しい価値観で未来の日本像を描いてゆくこと。などでしょうか。



最後に、小海キリスト教会の水草修治先生が示された「私たちが9条を失う時」のポイントを紹介しておきます。

「解釈改憲」よってであれ、本格的改憲によってであれ、憲法9条を失う時、私たちの国には具体的に何が起こるだろうか。

(1) 9条を失うと、格差社会のなかで職にありつけない若者たちが自衛隊(国防軍)
   に就職し、戦場で「敵」を殺し「敵」に殺されることになる
   米国ではベトナム戦争後、徴兵制はやめた。その代わり、2030歳代の「ワ
   ーキングプア」を政策的につくりだすことによって、彼らを兵士としてリクルー
   トしている。米国では軍隊が高校にリクルートにやって来て、軍隊に行けば退役
   後、奨学金や就職の世話をするといって宣伝している。しかし、その約束はしば
   しば空手形に終わる。戦死するか、戦死しなくても、戦地で心的外傷PTSDを負
   って人格が破壊され、ある人たちは自殺してしまうからである。

(2) 9条を失うと、戦死者を祀るために靖国神社・護国神社が息を吹き返し、憲法
   20条(政教分離・信教の自由)は有名無実となる。
   「国が戦死者を顕彰しないで、だれが戦争に行くものか」と中曽根総理が言った
    とおり。戦死者が出れば靖国神社に戦死者を祀るべきだという世論が支配的に
    なり、靖国国家護持という動きになろう。そして政教分離・信教の自由はない
    がしろにされる。 

(3)9条を失うと、人道支援に出かけている医師・ボランティア・駐在員たちが信用
   を失い危険な目にあうことになる。
  「9条があるから、海外では、これまで絶対に、銃を撃たなかった日本。それが、
   ほんとうの日本の強味なんですよ。具体的に、リアルに、何よりも物理的に、僕
   らを守ってくれているものを、なんで手放す必要があるんでしょうか。危険だと
   言われる地域で活動していると、その9条のありがたさを、つくづく感じるんで
   す。日本は、その9条にのっとった行動をしてきた。だから、アフガンでも中東
   でも、いまでも親近感を持たれている。これを、外交の基礎にするべきだと、僕
   は強く思います。」(中村哲 アフガニスタンで、水源確保事業など、現地での
   支援活動を続ける中村医師の言葉)危険な目にあうのは、医師・ボランティアだ
   けでなく、海外駐在員も同じである。首相は海外に住む国民を守るというが、か
   えって危険な目にあわせることになる。ちなみに、紛争時には自衛隊機は邦人保
   護のために海外に出動できるとすでに自衛隊法に定められている。

(4)9条を失うと、日本国内でもテロの恐怖に怯えて生活しなければならなくなる。
   米国社会、英国社会はテロに怯えながら生活をしている。たとえ戦場が遠くにあ
   っても、グローバル化した現代ではテロリストは国内に入ってきて防ぎようがな
   い。今、私たちがさほどテロに怯えた生活をしないでよいのは、日本の自衛隊が
   9条に制約されて敵を撃つことをしないからである。だが、米国の戦争に加担す
   る姿勢を小泉時代に見せたときから、日本は中東・中近東の人々からの信用を失
   いつつあって、海外で日本人もターゲットにされるようになっている。9条を失
   って、本格的に米国の戦争に加担するようになれば、日本国内でテロが起こるこ
   とは必然である。

(5)9条を失うと、PTSDで苦しむ帰還兵の差別と犯罪と自殺が増える。
   ベトナム戦争後、米国社会の深刻な問題は、戦地で心的外傷(PTSD)を負った
   帰還兵の問題である。数年前戦死者よりも、帰還兵の自殺者のほうが多くなった
   という報道に触れた。戦場は、殺人、強盗、破壊工作といったことが賞賛される
   という倒錯した価値観がある。帰国したとたん、それらが犯罪とされるので不適
   応を起こす。あたりまえのことである。人は、もともと隣人とともに生きるもの
   として作られているので、隣人を憎み殺すとき精神はおかしくなる。

(6)9条を失うと、日本国内での警察の取り締まりなどが厳しくなる
   テロリストを警戒して、警察官僚・公安官僚はいろめきたって、国民を保護する
   という名目でますます法律をたくさんつくり出すことになる。ひとつ事件があれ
   ば、スパイ防止法、共謀罪を取り締まる法律などは世論が後押しして、さっさと
   決められてしまう。そして、日本人は思想信条の自由、集会結社の自由、信教の
   自由、言論出版の自由といった基本的人権を自ら放棄することになる。

(7)9条を失うと、戦争中毒になる
   経団連所属団体など軍需産業によって一時的に景気がよくなり、軍需産業頼みの
   国家経済となっていく。ところが、兵器は戦争がないと消耗しないから、10年
   ごとに「在庫一掃セール」としての戦争をしなければならなくなる。財界は戦争
   をするように政府に圧力をかける。つまり、戦争依存症状態に陥ってしまう。米
   国はまさにその典型。

いかがですか? 論点がはっきりしましたか? 国民投票になった時、我々クリスチャンにも1票の責任があります。「知らなかった」では遅すぎます。
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祈り課題

1.関心を持ちましょう。安倍内閣の動きを注視し、祈りましょう。
2.偏狭なナショナリズムではなく、隣人愛に生きる日本であるよう。
3.緊張への対処だけでなく、「平和構築」を視野に入れた国防戦略のため。
4.どんな名目でも戦争にならないよう。犠牲者が出ないよう。
5. 9条を守るにしても現実いろいろな課題があります。
   9条を念仏にするのではなく、1つ1の課題に誠実に取り組んで行けるよう。

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「わたしがこの国を滅ぼさないように、わたしは、この国のために、わたしの前で石垣を築き、破れ口を修復するものを彼らの間に探し求めたが、見つからなかった。」
                          (エゼキエル22:30)

シングルイシューのセミプロ化。ここでもクリスチャンの関与する場があります。この記事を契機に関心を持って頂ければ幸いです。


お薦め本
「日本は戦争をするのか?集団的自衛権と自衛隊」  半田滋      岩波新書
「憲法が変わっても戦争にならない?」       高橋哲哉 斉藤貴男 ちくま文庫
「集団的自衛権の深層」              松竹伸幸      平凡社
「平和構築と何か」                 山田満      平凡社新書

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御心が天になるごとく、地にも成りますように。
For His Kingdom
Tokyo Metro Community (TMC)
asktmc@gmail.com(栗原)



2014年6月11日水曜日

「人権と信教の自由」


 この国のために祈るシリーズ


仏教、神道、キリスト教は生き残りをかけて進んで軍・政府に協力した。

かつてこの国でクリスチャン迫害があった。明治になり、キリシタン禁制の高札が取り除かれたものの、外国人の国内の「雑居」はキリスト教の流入をも意味するとして慎重になり、外国人を居留地に限定した。近代化のため、信教の自由を列強の手前上渋々認めつつも「治安警察法」(1900)などで明治政府は次々とキリスト教取り締まり対策を行っていた。

大正期、日露戦争期に平和運動の主流を占めていたのは社会主義者、キリスト者だった。内村鑑三は「戦争は悪事」として非戦論を唱えた。内村の弟子の矢内原忠雄も「戦争は天下の公義を害する」として批判した。キリスト者の他にも自由主義者、石橋湛山(総理経験者)が植民地の全面放棄を唱えていた。

やがて満州国設立から太平洋戦争に突入する中、軍は宗教を利用して国民の戦気を高揚させた。これに神道はもとより、仏教、キリスト教のリーダー達までが同調し、戦争を「聖戦」として讃歌した。上智大学や立教といったキリスト教系大学でも靖国参拝が奨励され、ミッションスクールで神道儀礼が行われる異例の事態となった。信仰を貫いたホーリネスの牧師など少数派を除いては、宗教界全体が戦争支持、国体維持に傾いた。もちろんそこには激しい宗教弾圧があったからだ。「信仰の自由」、「人権」は「国体維持」の名の下、監視、統制、制限され、ついには弾圧された。ほんの70年前、「殉教」か「生き残りをかけての妥協」かというところまで追いつめられたのだ。

戦後はマッカーサーの政策でキリスト教は擁護される立場になって、長い年月を経てキリスト教界では当時の反省、悔い改めが行われるようになった。


押し付け憲法?

日本国憲法の押しつけ論がよく言われるが、明治憲法はある意味「押しつけ」であった。なにしろ新政府(尊王攘夷派)か幕府(開国派)かで日本を二分して戦っていた訳だから。武力で制圧した方が法を定めた。国民全体の同意とはいいがたい。1874年(明治7年)からの自由民権運動において、さまざまな憲法私案(私擬憲法)が各地で盛んに執筆された。しかし、政府はこれらの私擬憲法を持ち寄り議論することなく、大日本帝国憲法を起草したため、憲法に直接反映されることはなかった。国民投票もなく上から押し付けられた訳だ。

南北戦争後のアメリカも南部の人々にとっては奴隷廃止政策は不本意だった訳だが、北軍の勝利で国の政策となった。それが、「押しつけ」であったとしても結局、アメリカにとってはいい方向だった訳だ。未だに奴隷制度なんてやっていたのでは世界の尊敬は得られない。「自由の国」アメリカというアメリカ精神の理想が現実化していくのには時間がかかっている。理想に向かい、現実を変革していくのであって、現実に理想を引き下げるのではない。ある意味、日本は平和主義、戦争放棄を憲法に謳ってから、まだ70年なのだ。


日本国憲法で保障される人権、自由

少なくも日本国憲法は1945年に20歳以上のすべての国民に選挙権が認められ、国民によって選挙された議会で審議、可決している。選挙権が与えられた戦後、日本国憲法が制定され、憲法の三原則が確認された。

1.基本的人権の尊重
2.国民主権
3.平和主義

実はこれは大きなことで、明治憲法下では「国民」は「天皇の臣民=権力に支配される者」だったのだ。しかし、今、主権は国民にある。その国民の権利を守るため、権威を委任した国家機関が暴走しないよう、権力者を縛るのが立憲主義の憲法である。憲法は国民を縛るのではなく、国民の権利を守るため、権力者に憲法を守らせるものとなっている。そして、国民一人一人には天から授かった権利(自然権)があるとする。したがって、そこから以下の条文が出て来ている。


13条 個人の尊重、生命、自由、幸福追求の権利の尊重
19条 思想及び、良心の自由
20条 信教の自由、国の宗教活動の禁止


今日、9条が論議されているが、9条は後の記事に譲るとして、ここではあえて「人権」問題を取り扱いたい。現憲法では、「出版、その他一切の自由はこれを保障する」となっている。しかし、特定秘密保護法などが可決し、今後、例えば、原発の危険性を書いたら政府からプレッシャーがかかるようになったら危険信号である。


自民党改案で、憲法はどう変わる?

13条
すべての国民が「個人」として尊重される → ・・・「人」として尊重される。
「個人」から「人」に変わっている。理由:個人主義を増長させないため

現憲法では「国」が国民を個人として尊重するとなっているが、改正案では、「日本国民は、・・・基本的人権を尊重するとともに、和を尊び・・・」と基本的人権を尊重する「主体」が国民になっている。また、国民は国家権力者から「和を尊ぶ」よう要求されている。

11条
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。→ 基本的人権を享有する。
現憲法のほうが、基本的人権が「国家権力」に妨げられないメッセージが強く出ている。


さらに以下のように自民党改正案では「国民」に守らせる憲法内容となっている。憲法を守る主体が「国民」になっている。

3条2項 国民は国旗、および国歌を尊重しなければならない。
     (「君が代を国歌と定める」から一歩進んで「尊重」せよとなってい
       る点に注意。すでに公立学校で国歌の強要が為され、拒む者が
      職を失う事件が起っている。ちなみに現天皇は「強制でないほう
      がいい」と発言しておられる。)
9条の3 国は主権と独立を守るため、国民と協力して、領土を保全し・・ 
     (国を守るため、国民が犠牲になるイメージ。太平洋戦争末期、沖
      縄で実際起った。日本兵のため食料が取り上げられ、アメリカ兵
      が上陸すると国民を置き去りに兵隊が逃げた。「国」という非人
      格が主語になっているのも怖い。国と国民は違う。国とは一部の
      国家権力者層のことであり、その一部の層の利益のため多くの一
      般庶民が犠牲になることが多々ある。実際、戦争になると金持ち
      や政治家の息子は徴兵を免れるといったことが起る。)
12条  国民は・・常に公益及び、公の秩序に反してはならない。
     (一度、国が決めた戦争が始まると、反対できない。それが公益と
      なるからだ。一度、靖国参拝が制定されれば、公の秩序となり、
      反対できなくなる。)
19条  何人も、個人に関する情報を不当に取得し、保有し、または、利用
     してはならない。
     (主語は「何人」であり、「国家」ならやってもいいニュアンスが残
      る。治安の目的で個人の宗教背景などが調査されるようになる。)

現行憲法97条 「基本的人権の本質」は削除されている!

現法では、「天皇は日本国民統合の象徴」となっているが改正案では「天皇は日本国の元首」となっている。どうもきな臭い。なぜ、「象徴」のままでいけないのか?

102条  全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。


改正案では「規律」「協力」「責任、義務」「公益、及び公の秩序」「助け合い」「和を尊ぶ」というキーワードやキーなる思想が読み取れる。

とにかく現憲法と大きく異なるのは、憲法を守る主体が国家権力から国民の側に逆転していること。上記で見るように、個人より、国家がすることに国民が協力するよう言われている事。それを「和」、「公」という一見、よさそうな言葉で目的化している点。しかし、「国体」に合わぬキリスト教はあっと言う間に「和」を乱す存在、「公の秩序」を乱す存在として権力者から白い目で見られるようになる。国家のために死んだ英霊を靖国に参拝しない者は公の秩序を乱す者となってしまう。初頭に述べたように、「一億火の玉」となる「和」が尊ばれ国民が戦争に駆り出された事実がある。教会やキリスト教系学校さえ妥協して「和」のため、政府や軍に協力していったのだ。それが70年前の歴史的事実なのだ。国体に反するキリスト教出版物は「公益および、公の秩序を乱すもの」として出版禁止になるだろう。こういうブログも閉じられることになる。

最後に憲法改正には衆議院、参議院がそれぞれ、すべての議員の3分の2以上で憲法改正案を決議し、国民投票で過半数の賛成で改正となる。(憲法96条)
国の根幹にかかわる憲法が時の政府の意向で簡単に変えられたいためだ。そのぐらいの重みがあっていいのではないか? 近い将来、国民投票の日が来たときに、その1票の重みを知って頂きたい。



祈り課題

国民の一人一人の「人権」が守られるように。「信教の自由」、「思想の自由」、「表現、出版の自由」、「集会の自由」が守られるように。前の戦争の過ちを二度と繰り返さないためには、私達一人一人が関心を持って注意深く見守り続けていく必要があります。「関心な〜い」人達が一番、権力者にとってコントロールしやすいからです。ヘビのように聡く、ハトのように素直であれるよう。サタンの策略を見抜くことができるよう。総理に、国会議員に、主の知恵が備わるよう。国会に送られているクリスチャン議員のために。何よりも日本国民が、創造主なる神を礼拝し、神の声を聞けるよう祈りましょう!

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「わたしがこの国を滅ぼさないように、わたしは、この国のために、わたしの前で石垣を築き、破れ口を修復するものを彼らの間に探し求めたが、見つからなかった。」(エゼキエル22:30)

シングルイシューのセミプロ化。ここでもクリスチャンの関与する場があります。この記事を契機に関心を持って頂ければ幸いです。

推薦本
「憲法がヤバい」   白川敬裕  ディスカバリー携書
「日本の戦争と宗教」 小川原正道  講談社選書メチエ

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御心が天になるごとく、地にも成りますように。
For His Kingdom
Tokyo Metro Community (TMC)
asktmc@gmail.com(栗原)