~第一のアダムと第二のアダム~
創造された人間の栄光とほまれ
詩篇8篇3−4
「あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますの
に、人とは何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。
人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。」
宇宙創造の神がこれに目を留めるとは!詩篇の著者の質問は当然な質問であり、当然の驚きなのだ。
さらに5節
「あなたは人を神よりいくらか劣るものとし」、(新改訳第3版)
2017年版では「御使よりいくらか劣る」となっている。原語はどちらにも訳せるが、ここでは「神より」がふさわしい。御使は人に使える霊で、すでに人より低いポジションにいる。(ヘブル1:14)また、詩篇8章の以下の部分につなげるには、神の似姿に作られた人(創世記1:27)というイメージでなければならない。人間には被造物の頂点に立つ「栄光」が、本来あったのだ。
「これに栄光と誉の冠をかぶらせました。」
6−8節は人間の被造物管理権について書いている。
「あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。すべて、羊も牛も、また野の獣も、空の鳥、海の魚、海路を通うものも。」(詩篇8:6−8)
詩篇の著者がこれを書いた時、創世記1章27−28が頭にあったに違いない。そこと完全に呼応している。
• 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女に彼らを創造した。(神より少し劣るもの)
• 神はまた彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」 (万物を彼の足の下に)
第一のアダムの失敗
アダムが犯した罪の代償はあまりにも大きい。
● 神に不従順、罪を犯し、栄光を失い、死と呪いをもたらした。結果、死が全人類に広がった。(ローマ5:12)アダムは罪を犯した人類の代表
● 敗者—罪と死とサタンの奴隷
(ヘブ3:15、コロサイ1:3、ローマ8:7)
● 自然界にも呪いが広がる。
(創世記3:18、4:12)自然災害、疫病の発生?
● 霊的な死:神と裁きと死への恐怖(創世記3:10、エペソ2:1−2, ローマ6:23,ヘブル9:27)
● 肉体的呪い:病、老い、死 (ヘブル9:27, Iコリ15:50)
● 人間関係の亀裂:妬み、裏切り、憎しみ、殺人、差別、弾圧、(創世4:8、
テトス3:3、ヤコブ4:2)
● 人と被造物(動物)の敵対関係と不信(ローマ8:22、黙示6:8)
● 被造物管理権(創世記1:28)をサタンに略奪され、今はサタンがこの世の神。(創世記1:28, エペ2:1、ルカ4:6)
こうして、人間のオリジナルな「栄光」と「ほまれ」、そして「被造物管理権」が失われた。
ヘブル書2章は第二のアダムの上書き。
ヘブル2章は難解な箇所だ。通常、詩篇8篇の引用をメシアなるキリストに置き換えて読み、キリストが全てをその足の下に置くと結論つける。しかし、この箇所はもっと深いのだ。メシアが栄光、ほまれを回復し、全てのものを足元に置くのはある意味当然なのだ。しかし、ここでは第一のアダムができなかったことを第二のアダム(人間の代表としてのイエス)が贖い、回復し、人間のために、人間の失った「尊厳」と「ほまれ」、そして「被造物管理権」を奪回したという宣言なのだ。
• 詩篇8篇は「人」について語っている。人は罪を犯し堕落し、オリジナルな姿を失っている。上記で見たように代償はあまりに大きい。
• 現在、人間は、元々有った「栄光」を失っている。地を完全には、統治していない。
• 第一のアダムができなかったことを第二のアダム=キリスト(人となった神)がまず初穂として成し遂げ、次に人を贖い、回復して「新人類」の長兄となり、人を御国の「共同相続人」として下さった。今、私たちはアダムの系統の旧人類に属しているのではなく、第二のアダム(キリスト)系統の新人類に属しているのだ。(エペソ2:15、19)旧人類は御国を相続できないが、新人類は御国を相続する。
このようにキリストの苦しみは、ご自分の栄光回復のためだけではない。初穂としてのキリストが通った苦しみは、「多くの子たちを栄光に導くため。」(10節)であったのだ。キリストは神の姿に作られた本来の人間の栄光を取り戻すのだ。やがて人は地の支配権を取り戻し、キリストと共に万物を足の下に置く。(7節)事になる。8節の「まだ、見ていない。」(英語 “Do not yet see”)は、「今は見ていないが、やがて見るようになる。」という意味だ。キリストは人を贖い、回復し、共同相続人として共にメシア王国を統治させる。人間は、キリストと共に文字通り、すべてのものを従わせ、統治するようになる。
第二のアダム=キリストが回復したもの
* 最後のアダムは生かす御霊(Iコリ15:45)。キリストは神に完全に従順な全き人(第二のアダム)。従って「命」そのもの。(ヨハネ1:4、14:6)命にあって支配する。だから人の栄光の回復をもたらす。(ローマ5:14-19)新生した新人類の代表、長兄となった。(エペ2:15、ヘブ2:10-11)
* 勝利者—人に圧倒的な勝利をもたらす。(ローマ8:37、Iコリ15:54-57、
ヨハネ16:33)
* 自然界の回復をもたらす。(ローマ8:21、黙示22:3、エゼ47:9-12)
* 死から解放し、神との霊的関係を回復し、「アバ父」と呼ぶ関係にして
くださる。(ローマ8:1、8:14-16、Iコリ15:54-55、ヘブル2:15)
* 復活の体を与える。(Iコリ15:26-55、ヨハネ11:25)朽ちるものが朽ち
ないものへ。本来、人間は霊と体で出来ている。霊だけで存在する
のは不完全。御霊の体を頂く。
* 愛する者にしてくださる。(IIテサ1:3、ローマ5:5、ガラテヤ5:22)
* エデンの園での動物との信頼関係を回復する。(創世記3:19、イザヤ65:25)
* 人間をご自分との共同相続人とし、被造物管理権を回復し、やがて王として御国を治めさせる。(ローマ8:17、黙示20:6、詩篇8:5-6、ヘブル2:10-11)
人としてこられたメシアの意味は単に私たちの罪を赦し、地獄の代わりに天国へ行けるようにしてくださったということではない。アダムが失ったものをすべて回復するために来られたのだ。そのため、キリストは人となり、第二のアダムとなり、私たちの兄弟となったのだ。
王様マインドで生きる
やがて、キリストと共に「王」として御国(千年王国)を治めることになる。新生イスラエル王国では、王キリストの下、ダビデ首相やネヘミヤ建設大臣、マタイ財務大臣などが任命されるのだろうか?千年王国時代、日本に住むクリスチャンは少ないかも知れない。キリシタン時代殉教した信者も復活して、そこにいるだろう。この地上で生活するとなれば、それなりに仕事がある。患難時代に大災害で荒廃した町の復興事業に取り組むようになるかも知れない。仕事はあるのだ。そういう自覚があるだろうか?
今は言ってみれば「王」になる見習い期間なのだ。良き王は国民の安全と幸せを常に考え、そのように行動する。キリストはそうするだろう。それに習い、今から「王様マインド」で、私たちの社会と関わっていく必要がある。「携挙」があればすべて解決、この世はどうでもいい?これが前の時代の携挙待望論者たちが犯した過ちなのだ。携挙の後には、この地上に戻ってきて「御国」を治める責任がある。そう「この地上に」だ。天に上げられたままでは無い!つまり、今の未完成の仕事は「やがて来る御国」で、完成されてゆく。だからパウロは言った。
「主にあっての(この地での)労苦は無駄でない。」(Iコリント15:58)
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