教会にとって避けて通れない難しい問題(2)
教会に突きつけられてくる以下の課題は簡単には答えが出ない。自分も悩んでいる部分があるので、今回は回答ではなく、問題を考える視点を分かち合うことにします。
自衛戦争と非暴力
尖閣問題が浮上し、ここ数年で一気に「改憲論者」が増えた。この時代、誰も侵略戦争は肯定しないだろうが、国際ルールを無視して、力による現状変更をしてくる輩にどう対処したらいいのか?
イエスは「あなたの敵を愛しなさい、迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)と言われた。
少なくもコンスタンチン皇帝の時代までの初代クリスチャンはイエスの教えに忠実に一切の殺人(戦争、中絶、死刑)には加わらなかったようだ。その後、アウグスティヌスやトマス・アクイナスなどが正統的な「戦争」はありうるとし、宗教改革時のルターやカルビンも「正戦論」を踏襲している。今日までクリスチャンの間でも意見は2分している。「十字軍」の暴挙を行った中世カトリックだが、今日、方向転換したようだ。サイダーによると、「カトリック教会のカテキズム」も平和主義を支持しており、教皇ベネディクト16世は2007年に「敵を愛することは『クリスチャン革命』の核心なのです。」と語ったという。
クリスチャンはイエスの教えを守り戦争、死刑を含め一切の殺人を拒否すべきか?私が大学時代に出会った宣教師は「『命には命』、死刑制度は聖書も支持している。」と聞いたことを今でも覚えている。あるいは、自国民を守るために戦うことは正しいことか?アメリカのキリスト教右派では「共産主義を叩くことは正戦」という思想がある。また、テロ集団を叩くのは正しいことなのか?今なら「イスラム原理主義テロを叩くことは正戦か?」となるだろう。
個人レベルでも、暴漢に襲われた時、抵抗しないのか?そもそも非戦、非暴力は現実的じゃないのでは?悪がはびこるこの世では役に立たないのではという意見もある。いや、そうやってイエスの教えを無力化するのかという反論もある。
サイダーは「クリスチャンが非暴力を選択する根拠は、費用対効果の計算ではなく、十字架にある。」と言い切っている。
クリスチャンの間でも見解に幅がある。悪を見過ごすことが正しいこととも思えない。非暴力による「抵抗」運動という考えもある。ガンジーや、キング牧師を思い浮かべるだろう。彼らは文字通り、命をかけた。非暴力抵抗が「弱々しい」というとこにはならない。口先だけの「抵抗」なら大きな力にはならなかったろう。
「戦場で死の危険にさらされる兵士と同じリスクを取って、不正や抑圧と戦う非暴力運動に挺身しない限り、イエスが教える平和構築に従うと言ったところで何の重みもない。」(191)とサイダー(下欄の参考本紹介参照)が語っているごとくだ。
確かに、彼らの努力で、社会が変わった。ただ、かつての天安門事件や、今日の香港での民主化運動の結末を見ると、なんともやるせない。結局、「力」がねじ伏せるのか?
戦争を考える時、もう一つの大事な側面は「平和構築」という視点だ。テロリスト集団は社会的、経済的に抑圧されていることが多い。未成年たちが生きるために武器を渡されて戦うこともあるだろう。「平和構築」では戦争が起きる原因(例えば人種差別や貧困、教育の格差など)を前もって取り除き、戦争が起きない国作りを支援する。「平和をつくるものは幸いだ。神の子供と呼ばれる。」(マタイ5:9)
今後の戦争はドンパチより情報戦。オーストラリアでは中国共産党の「静かなる侵略=Silent Invasion」が話題となった。知らないうちに軍施設近辺の土地が外国人に買われていたり、若い人への左翼教育が広がったりする。静かに革命分子を育てていく。さらにそれに関連してサイバーテロという形での戦争がある。アメリカでは安全保障の観点から中国への理解を深める目的(?)で設立された「孔子学園」を閉鎖した。日本はスパイ天国と言われている。スパイ活動をどう監視するのか。サイバーテロは軍事施設を狙うよりライフラインを狙う。水道、電気、原発・・どうサイバーテロから守るのか?隣国との「親和」と「不信」をどう現実的にバランス取るのか?考えることは沢山ありそうだ。
Q: 地引網出版「キリスト者の戦争論」(富岡幸一郎氏x岡山英雄氏の対談)の中で岡山氏はこう語っている。「私は、絶対非戦、絶対平和主義、つまり、たとえ自分は殺されても相手を殺さないというのが聖書の教えだと思います。新約聖書に従うなら、それ以外の立場は取れないと思います。・・・私は実際にできるかどうかは、わかりませんが、家族を守るためであっても人を殺さないという立場を貫きたいと思います。(p.66)
あなたなら、なんと応答しますか?
=============================
このテーマでさらに学びたい人は・・・
「イエスは戦争について何を教えたか」〜暴力に時代に敵を愛するということ
ロナルド・J・サイダー著 あおぞら書房
「キリスト者の戦争論」 岡山英雄、富岡幸一郎 地引網出版
「非戦論」 富岡幸一郎 NTT出版
「聖書と戦争」 ピーター・C・クレイギ著 すぐ書房
「キリスト教と戦争」 石川明人著 中公新書
「日本の戦争と宗教 1899−1945」 小川原正道 著 講談社選書
「植民地化・デモクラシー・再臨運動」 キリスト教史学会編 教文館
「キリストが主だから」いま求められる告白と抵抗
山口陽一・朝岡勝 共著 新教出版社
「告白と抵抗」ボンヘッファーの十字架の神学
森野善右衛門 著 新教出版社
「平和構築とは何か」紛争地域の再生のために
山田満 著 平凡社新書
===================================
意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ
東京メトロ・コミュニティ
Tokyo Metro Community (TMC)
執筆者:栗原一芳
0 件のコメント:
コメントを投稿