教会にとって避けて通れない難しい問題(3)
セカンド・チャンス論?
日本のキリスト教界を代表するような牧師が最近セカンド・チャンス論を公式に宣言し物議を醸している。
「死んだ先祖はどうなるんですか?」よくある質問だ。その時「安心してください、陰府で福音を聞くチャンスがありますよ。」と言われれば何と安心することだろう。日本のような土壌では、死んだ人にも福音のチャンスがあって欲しいというのは心情的には痛いほど分かる。逆に「それなら勝手に生きて、死んだあとゆっくり考えるよ。」という人も必ず出てくるだろう。
フランスの観光地、モン・サン・ミシェルの修道院には「陰府を訪れるキリストの絵」が展示されている。イエスは本当に陰府に行って、福音を語ったのか?もっともカトリックには、そもそも「煉獄」という特異な教理があるが・・。
果たして、セカンド・チャンスはあるのだろうか?彼らの根拠としているのは・・・
1. なぜ罪人はすぐに地獄に行かないでハデスと言う中間地(拘置所)にいるのか?最終審判は「白い御座の裁き」で下る。それまでは最終審判は下ってないので、拘置所(ハデス)で悔い改める機会があってもいいのでは?なぜ、「白い御座の裁き」で「いのちの書」が開かれ、(黙示20:12)未信者かどうか、もう一度確認する必要があるのか?それは、ハデスで悔い改める人が出る可能性があるからではないか?
「その霊において、キリストは囚われの霊たちのところに行って、みこと
ばを語られたのです。」(Iペテロ3:19 新改訳第3阪)
ほら、キリストはハデスにいる罪人たちのところに行って、福音を宣べ伝えたでしょう?
ただ、「囚われの霊」が人々なのか、「悪霊」なのか議論が分かれる。ただ、20節に「従わなかった霊」との対比に方舟で救われた8名の話がされているので、従わなかった「人々」と解釈する方が自然な気がする。
また、「みことばを語られた」も解釈が難しい。そのまま読むと「福音を語った。」と解釈できそうだ。また、「宣べ伝えられました。」という別訳もある。そうすると「福音を宣べ伝えた。」と解釈でき得ることなる。
しかし、新改訳2017年版では単に「宣言されました。」になっている。原語は中立的な言葉で必ずしも「福音を語った」ことにはならないようだ。2017年版では、「囚われの霊」のところに行って、十字架上でのイエスの勝利を「宣言した」と解釈できる。翻訳には常に翻訳者の神学が反映されるので難しいところだ。
2. 「・・死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていたのですが、・・」
(Iペテロ4:6 新改訳第3版)
ほら、「死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていた・・」と明確に書いてあるでしょ?
しかし、新改訳2017年版では誤解を避けるためか「死んだ人々にも生前、福音が宣べ伝えられていたのです。」に直されている。ただし「生前」は原文にないので補足である。
3. 「天と地と地の下と海にいるすべての造られたもの、それらの中にあるすべてのものがこう言うのを聞いた。『御座についておられる方と子羊に、賛美と誉れと栄光と力が世よ限りなくあるように。』(黙示5:13)
ここでは「地の下」にいるすべての造られたものが賛美するとあるので、「地の下」=ハデスで悔い改め、賛美する者達がいるということだ。
反対論者は、これは神の全的支配そして、創造者と被造物との関係を示す表現だと弁明する。
皆さんはどう考えるだろうか?大事なことは聖書全体から見ていくことだろう。
「御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神の
ひとり子の名を信じなかったからである。」(ヨハネ3:18、参照3:36)
このような聖句を見ると、「すでに」地上での御子イエスに対する態度で、「さばき」が決まっているように思える。さらに言うと、ある意味での「さばき」はすでに地上で始まっているとも言える。闇を愛する歩みには、それなりの苦痛が伴うからだ。(3:19)
LGBTに関しても聖書の「再解釈」や「冷静」な議論が勧められている今日、福音派が当たり前に解釈してきたことが「再解釈」される可能性がある。今後、どうなって行くのか?
最終的には神のご判断だが、聖書全体からはセカンド・チャンスを支持するのは難しいのではないか?
Q. 神は公平なお方です。「福音」を一度も聞いたことのない人をそのまま「地
獄へ直行」はあり得ない。あくまで、「福音」にどう応答するかで運命が決
まるはずです。福音に触れなかった人に、最終的裁きである「白い御座の裁
き」に出頭する前に、ハデス(中間地=拘置所)で福音を聞くチャンスがあ
るのは妥当だと思います。それを示唆するような聖書の箇所もあるじゃない
ですか?
あなたならどう答えますか?
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Tokyo Metro Community (TMC)
執筆者:栗原一芳
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