2021年11月4日木曜日

分からないと言う人たち

日本宣教の鍵?

福音を聞いても、「難しい、分からない」という人が多い。また、教会に長年通っていても、決心を迫ると同じことを言う人がいる。もちろん、聖書の背景が日本とは違うユダヤの背景があり、違う文化や世界観があるので異質に感じるだろう。しかし、一方、ストレートな福音を聞いて、すぐに信じる人もいる。最終的には霊的な問題だ。霊的に用意のできている人は日本人だろうが、どの国の人だろうが、福音に応答する。

 

自分も振り返ってみると、高校2年の時に福音を聞き、すべてが理解できたわけではないが、決心を迫られた時、「信じならこのお方だ」という不思議な確信が与えられ、手をあげて招きに応答した。聖霊のお働きとしか言いようがない。後で考えれば、キリスト教系の学校に行っていたなど、いろいろ伏線はあったし、先行的恩寵があったことも分かる。

 

長年、宣教団体のスタッフとして伝道活動に関わってきた者として、海外からの宣教師やワーカーによく聞かれた。「日本では何が効果的か?」「日本宣教の鍵は?」と。それが分かれば苦労しないのだ。表面的な答えはできても実は難しい。今になっても、よく分からないし、逆に聖書の世界観や歴史観が分かってくるほど、この膨大な情報をどうお伝えできるのだろうかと悩んでさえいる。

 

イエスへのPoint of contact (接点)は癒しでも、「4つの法則」でも、コンサートでも何でもいいのかも知れない。むしろ、決心してから聖書的世界観、歴史観をバイブルスタディの中で築いていくことが大事なのだ。

 

 

全ての人が信じるわけではない

「しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。」

                (ローマ10:16)

 

残念なことに、神からのメッセージを聞いた全ての人が信じるわけではない。ノアの洪水の時、人々は神のメッセージを無視した。旧約時代、預言者は常に迫害された。イエス様が地上で宣教した時でさえ、笛を吹いても踊らなかったし、雌鶏が雛を集めようとしたが、人々はそれを望まなかった。(マタイ23:34−37)。また、あのパウロが昼夜説得しても、全てのユダヤ人が信じたわけではない。

 

そこで彼らは日を定めて、さらに大勢でパウロの宿にやって来た。パウロは、神の国のことを証しし、モーセの律法と預言者たちの書からイエスについて彼らを説得しようと、朝から晩まで説明を続けた。ある人たちは彼が語ることを受け入れたが、ほかの人たちは信じようとしなかった (使徒28:24)

 

残念だが、「信じようとしない」人々は常にいる。それはある意味、仕方のないことだ。伝道して信じないからといって心配しすぎなくてもいい。人々は光よりも闇を愛する性質がある。イエス・キリストの福音というのは人を2分する。(マタイ10:34−35)イエスに救われ、イエスを愛する人々とイエスを拒否し、憎む人々。終わりの時代は、それが極端に分かれていく。

 

ただ、蒔かないところからは芽は出ないので種まきは必要だ。(ローマ10:14)だから私達は「ただ単に、聖霊の力でキリストをお伝えし、結果は神にお委ねする」ことが重要なのだ。

 

 

福音を拒む理由

福音を体験した者から言うと、何でこんな「良い知らせ」を拒むのだろうと思ってしまうが、拒む理由はいくつか考えられる。

 

1.      福音に覆いがかかっている。

霊の戦いであり、敵であるサタンは福音を聞かないように、根付かないように働いている。宣教の前に祈りが必要な理由がここにある。真理はシンプルなのに、サタンは未信者を複雑な迷路に導き入れる。聖書が分からないからと書店に行って聖書関係の本(多くはリベラル神学に基づく)を読むと余計に分からなくなり、懐疑的になる。

             (IIコリント4:4、マタイ13:4)

 

2.      求めがない。偽りのもので満足してしまっている。

そもそも求めがない、乾きがなければ、キリストの下には来ない。無理強いしても、信じない。祈って、時を待つのが必要なこともある。もっとも、それは偽りの満足なので、やはりサタンの騙しのテクニックにやられているということだろう。(エペソ2:1−2)

 

3.      罪を認めたくない。

聖書の矛盾を指摘したり、十字軍の罪や、カトリックとプロテスタントの違いなどを質問してくる人は、個人的な罪の問題を避けるため自分に関わらない話題に終始している場合が多い。罪人には光を憎む性質がある。(ヨハネ3:19−20)信じられないのではなく、信じたくないのだ。

 

4.      周囲からのプレッシャーと恐れ

日本人は同調圧力に弱い。クリスチャンになることは時に家族の中で、会社の中で、軋轢を生む。信じることをためらっていた学生に、宣教師が「あなたの心の願う通りにしなさい。」と言っていたのが印象に残っている。ただ、同調圧力ということはクリスチャン人口が25%を超えれば、クリスチャンでいることはさして稀なことではなく、さらに過半数を超えれば、クリスチャンでいる方が得だという見解になってくるということで、本質的な問題というより、環境が変われば解決する問題でもある。

 

5.      プライド

正に人が罪人であるとはこのことだろう。自分を神より上に置いて上目視線で神を見下す。自分の基準で神を評価し、査定し、判定する。被造物が創造者に判定を下す。「十字架から降りてきてもうおう、そうしたら信じるから。」(マタイ27:42)的な態度だ。これと対照的なのがピリピの獄の看守の言葉だ。「救われるためには何をしなければなりませんか?」(使徒16:30)神はへりくだる者に恵みを賜う。高慢な心では神が分からない。聖書が分からないのは、自分が世界の中心におり、自分の論理の世界へ神を引っ張り入れようとするからだ。自分が神の下にへりくだり、聖書の世界へ入るなら全く違った世界が見えてくる。

 

死んで4日経ったラザロの墓の前で、イエスは「石を取り除きなさい」と言われた。心の石を取り除き、「出てきなさい!」というイエスのお言葉に応答する時、奇跡が起こり、死人は復活する。霊的生まれ変わり(Born again)を体験し、聖霊を受け救われる。救われるとは「聖霊を受ける」霊的体験であり、知的理解だけではない。

 

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私に洗礼を授けてくれた母教会の牧師の救いの証。

Kさんは若い頃から弁が立つ理論家だった。学生時代に伝道会に誘われた。無神論だった彼は「よし、牧師を論破してやろう」と意気込んで伝道会に参加した。それだけ自信があったのだ。伝道集会が終わると、説教者との個人的な会話が始まった。Kさんは1時間ほど、なぜ自分は無神論者かを得々と弁論した。説教者は黙って聞いていたが、最後に「時に、Kさん、あなたは幸せですか?」と聞かれた。Kさんは答えた「いや、幸せじゃないです。」すると説教者は「それではお祈りしましょう。」と言って頭を垂れてしまった。数分の沈黙。Kさんは腹が煮えくり返った。今、1時間もかけて等々と無神論をぶちかました自分に対して「祈れ」とは何事ぞ!しかし、次の瞬間、全く予期しない言葉が口をついて出た。「イエス様、傲慢でした。十字架のゆえに感謝します!」そして彼はクリスチャンになり、なんと翌日の集会の献身の招きに応答して牧師になる決心をしてしまったのだ。周りからは「パウロ的回心だ!」と言われたそうだ。説教者が議論で反撃していたら信じなかったかも知れない。心を変えるのは聖霊のワザなのだ。議論に負けて、聖霊で勝つ。

 

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Believe and receive!

聖書はBelieve and receive。永遠の命とは神とイエス・キリストとを知ることだが(ヨハネ17:1)、この「知る=ギノスコー」は言語では体験的に知るという意味だ。「知的に理解しろ」ではない。だいたい、知的に三位一体を理解することは不可能だろう。どうやって体験するのか?Believe and Receiveだ。

 

聖書は「信じるものは救われる」のである。ただし、この信仰は盲信ではない。神が人類に送ったメッセージである聖書の言葉を信じることだ。自分も福音のメッセージを信じてキリストを受け入れた。(福音の3要素:イエスが私の罪のために十字架で死に、葬られ、3日目に蘇った。)聖書を空想非科学小説だとヤジっていた自分が、御言葉を愛するものに一瞬で変えられた。翌日からは熱心に聖書を読みだした。それが楽しくなった。信じたら見えてくる世界がある。キリスト教弁証論は、むしろ、信じた後に役立つことが多い。後で勉強することで、自分の立っている岩がいかに堅固なものか分かってくる。さらに、その後の主との歩みの中で、確信が深まる。

 

聖書の目的は知識を増すことではなく、命を与えることだ。

 

これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。  (ヨハネ20:31)

 

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意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ

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執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

 

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