2022年7月14日木曜日

霊的呼吸の必要性

 

「赦された罪人」は聖書的か?(4)

 

霊的呼吸の必要性

クリスチャンは「罪人」ではなく「聖徒」です。基本、罪を犯さないのです。だから以下のIヨハネでは、「もし」という言葉が使われています。罪を犯すのが「常態」ではないからです。「もし」、罪を犯してしまったら、そして、「もし」、その罪を告白(原語では「その罪の指摘に対して神に同意する」)するなら、神は、その罪を赦して下さるのです。

 

もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。  Iヨハネ1:9)

 

神の子供であるクリスチャンは、罪を犯し続けないのです。(Iヨハネ3:9)聖霊に罪を示された時点で、霊的呼吸(息を吐くこと=罪の告白 息を吸うこと=聖霊に満たされること)をすることにより、安定的なクリスチャン生活を送れます。何度までなら赦されるのでしょうか?限りはありません。(マタイ18:22)基本は「本線」なのです。脱線したら、なるべく早く「本線」に戻ります。脱線したままだと、どんどん「本線」からずれてしまい、戻りにくくなります。

 

神の願うベクトル

神の願うベクトルは「罪を犯さなくなること」(Iヨハネ2:1)です。再臨時までに完全に聖なるものにして下さるという約束もあります。(Iテサロニケ5:23−24、Iヨハネ4:17、コロサイ1:22)天国に行く前に可能だという示唆ですね。人にはできないが、神にはできるのです。ジョン・ウエスレーは「キリスト者の完全」という本の中で、「過失」は除き、「故意」の罪を犯さない「キリスト者の完全」の状態は、ありうると言っています。神への愛で心が満たされている状態です。「聖霊に満たされた」状態ということもできるでしょう。(エペソ5:18)

 

神の命令。神の願っていることは叶わないのでしょうか?神は神の願いを願ったら叶えてくださらないのでしょうか? (Iヨハネ5:14)

 

お父さん大好きの3歳の息子が、ある日、お父さんを喜ばせたいと思う一心で、

お父さんの靴磨きをしてあげようと思います。しかし、まだ3歳なので、チューブから黒い塗料をうまく出せません。玄関には、あちこち黒い手形が沢山ついてしまい、汚れてしまいました。それでも、お父さんは息子の愛に感動し息子を抱きしめたのです。私達も心は神様への愛で一杯でも、過失を犯してしまうことはあるのです。「過失」を罪というなら、死ぬまで罪は犯すでしょう。しかし、天の父は私達の心(動機)を見ておられるのです。

 

神の愛に溺れる生き方

成長は死ぬまで必要です。神の訓練は死ぬまで続くでしょう。しかし、死ぬまで「罪人」でいる必要もありません。ジョン・ウエスレーは、魂の清め(神の愛に全く満たされる状態)は「義認」から「死」までの間に起こりうると言っています。それは求めるべきものであり、御心である以上、神が与えないのもおかしなことです。

 

律法があるので「罪」が認識されます。律法が無ければ「罪」は存在しないのです。(ローマ7:8)「律法」違反が「罪」です。(Iヨハネ3:4)そして、十字架以降は、律法は「隣人を愛せよ」に要約されるのです。(ローマ13:9)だから、「愛は律法を全うする」のです。(ローマ13:10)心が神の愛によって満たされている状態では、隣人に害を与えず、律法を全うしているので「罪」を犯していないのです。(Iヨハネ3:6、3:9、4:15−17)それは前回、学んだ「聖霊に満たされた」状態ともいえるでしょう。

 

「しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。」(ガラテヤ5:18)

 

律法の下にいないなら、罪は生じないのです。なぜなら律法違反が「罪」だからです。御霊の実は律法を全うすることになるのです。(ガラテヤ5:23)

 

讃美歌作家のファニー・クロスビーはBlessed Assuranceの中で、Lost in His Loveというフレーズを使っています。讃美歌にしては、ちょっとロマンチックな表現ですが、とても素敵で印象深いフレーズです。そう、神の愛の大海に溺れてしまうような状態のことです。神の愛以外、考えられない状態です。ヨハネはこのように表現しています。「愛が私たちにおいても完全なものとなりました。」(Iヨハネ4:17)彼女もそれを体験し、賛美にしたのです。

 

私達は、「罪人」ではなく「神の子供」です!キリストを信じたことにより、「神の子供となったのです。」(ヨハネ1:12、ガラテヤ3:26)

 

朝起きたら、こう宣言してみましょう。

 

「私はもはや『罪人』ではない!イエス様の血潮によって贖われ、清められた『聖徒』なのだ!父なる神に愛されている『神の子供』なのだ!神から生まれたものは罪を犯さない。犯す必要もない。しかし、もし、弱さゆえに犯してしまったら、弁護人としてのイエス様がいらっしゃることを感謝します!」

 

「事実、今、私たちは神の子供です。」Iヨハネ3:1)

「私たちは今、すでに神の子供です。」(Iヨハネ3:2)

 

私達は、イエスの血潮によってサタンの支配から買い戻されたのです。(使徒20:28)暗闇の圧制から愛する御子のご支配の中に移ったのです。(コロサイ1:13)「神の子供」として、天のお父様を喜ばす生き方をしたいものです。

 

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「キリスト者の完全」 ジョン・ウエスレー著 藤本満 訳

         インマヌエル綜合伝道団出版事業部

 

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執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

 

 

 

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