2023年2月23日木曜日

そこに愛はあるんか?

 

そこに愛はあるんか?

消費者金融のコマーシャルです。でも結構、使えるフレーズです。ハーベストの中川健一氏は、自分がメッセージをする時、一番に考えることは、「聴衆を愛しているか?」ということだそうです。これは自分にも刺さりました。単に聖書の真理を語ればいいのではなく、愛をもって語る必要があるのです。語るだけでなく、何をやるにも「そこに愛はあるんか?」と問う必要があるのです。

 

有名なIコリント13章でパウロは、「山を動かすほどの信仰があっても、愛がないなら、何の値打ちもありません。」と言い切っています。捉えようによっては厳しいお言葉です。ここでの愛は、キリストだけを見つめ、へりくだって神と人とに仕えることです。大きな集会で癒しの奇跡を行なっても、集まる人数や献金の額だけに興味があり、この愛がないなら意味がないのです。

 

愛のない教会への警告

黙示録2章−3章は当時のアジアにある7つの教会への励ましと警告のメッセージが語られています。エペソの教会は偽りの教えを見抜くほど、正確な教理を保持していました。キリストもこれを褒めておられます。しかし、彼らは「初めの愛」から落ちてしまったのです。イエスと共に行動した弟子たちや復活を目撃した弟子たちの時代から次世代への移行期だったのです。それで教理は継承していましたが、実際イエスと行動を共にしていた人々のような感動、愛をキープするのは難しくなっていたのでしょう。しかし、ここでのキリストの警告は厳しいものです。

 

けれども、あなたには責めるべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。そうせず、悔い改めないなら、わたしはあなたのところに行って、あなたの燭台をその場所から取り除く。 (黙示録2:4−5)

 

「初めの愛」とは、初めにあったキリストへの、そして兄弟姉妹に対しての愛です。方向転換し、「初めの愛」に戻らなければ、「燭台をその場所から取り除く」というのです。これはご臨在が去るとも解釈できますし、燭台を教会とするならば、教会としての本質や役割を消去するとも取れます。それほど厳しいものです。キリストのご臨在がなければ、立派な会堂はただの建築物にすぎません。おそらく、エペソの教会の状態を放置すると、正しいことは言っているけれど、キリストのご臨在のない、教会としては本質を失ったラオデキアの教会になってしまうからでしょう。(黙示録3:20)

 

今日でも「使徒信条」をお題目のように唱えてはいても、キリストへの情熱のない教会もあるのです。ある教会では礼拝が終わると皆、そそくさと帰ってしまうそうです。それで、心ある信徒が牧師に「礼拝後、2−3人でお互いのため祈る時間を持ちましょうよ」と提案し、それが役員会にかけられましたが、何と、否決されてしまったというのです。お互いの愛を強めることに、あまり関心がないのかも知れません。礼拝という儀式さえ無事、行われれば、「それで良し」ということなのでしょうか?悲しいですね。

 

愛の実践の場としてのエクレシア

初代教会は家々で集まっていました。家族のような付き合いだったのです。文字通り、「聖なる口づけをもって」(Iコリント16:20)挨拶を交わしていたのです。それがニコライ派の教えが入り込み、教職・信徒の「階級分け」が始まり、それこそソーシャルディスタンスが生まれてしまったのです。その後、中世カトリックにおいて、ディスタンスは決定的になります。もはや、口づけどころか、ローマ法王とは気軽に口も聞けない関係になってしまいました。

 

TMCエクレシアは「至近距離」と「等身大」をモットーにしています。皆、主にある兄弟姉妹として交わり、人生を分かち合います。祈り課題を出しあって、お互いのため、祈るので、メンバーはお互いどういう状況にあり、どういう必要があるのか知っているのです。スモールグループの人数なら関係も深まるし、ファーストネームで呼びあえる仲になれるのです。しかし、1000人も集まる礼拝であったら、お互い名前も分からないでしょう。愛を実践する場としてはスモールグループの方がいいのです。現代ではSNSで「つながって」はいますが、それでも孤独な人が多いのです。キリストを中心としたコミュニティが絶対に必要なのです。

 

愛は神から出ているのです

バイブルスタディグループのメンバーが「私には神を愛する愛がない。」と正直に告白しておられました。私には無いのです。愛は神から出ているのです。(Iヨハネ4:7)初めに私たちが神を愛したのではありません。神が先に、私たちを愛してくださったのです。それも口先だけではなく、犠牲を捧げてくださったのです。(Iヨハネ4:10)まず、神の愛を体験しなければ、神と人とを愛することはできません。次にこの事実を知ることです。聖霊によって、神の愛は私たちの心に注がれています。(ローマ5:5)どう感じようと、これが聖書的事実です。その愛を外に流して頂く事しかできません。それを信じることです。内に住むキリストに生きて頂くことです。(ガラテヤ2:20)愛することは自己啓発セミナーで習得するのではなく、むしろ古き人が十字架で死に、キリストが私を通して生きておられるという「信仰」によるのです。

 

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執筆者:栗原一芳

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2023年2月16日木曜日

2030年代以降に起こること


AI人工知能が人間の脳を追い越す 

以前、「2045年問題」(松田卓也)という新書を読んだ。AI(人工知能)が人間の脳を追い越す「シンギュラリティ=特異点」が2045年にやってくるというのだ。しかし、最近、工学博士の武田邦彦氏が計算したところによると、それは2030年代に起こるという。このポイントを過ぎれば、AIが人間を支配するという世界に入っていく。人々は自分の人生の生き方や方向性を、神にではなく、AIに聞くようになる。会社の経営判断をAIに聞くようになる。歴史の大転換だろう。ただ、すでに会話型のAIの普及により、素人もサイバーテロに関与することができるようになっている。

 

量子コンピューター実用化

量子力学の現象を情報処理技術に適用することで、従来型のコンピュータ(古典コンピュータ)では容易に解くことのできない複雑な計算を解くことができるコンピュータ。


今のコンピューターはデジタル、すなわちゼロとイチの組み合わせで計算するが、量子コンピューターになるとゼロとイチを重ね合わせられるので、膨大な計算を超スピードでできるという。日立製作所によると、2030年に一定規模のNISQ*1量子コンピュータを開発、量子誤り訂正の有効性実証し、2050年には誤り耐性型汎用量子コンピュータの実現をめざします。」とある。

 

2050には実用化されている事になる。他の国がもっと早く開発するかもしれない。これも歴史的な出来事となる。医療のシュミレーションなどに役立つ一方、世界70億のデジタル管理が可能になり、独裁者が悪用することの懸念が大きくなる。今でもアマゾンやフェイスブックに自分の好みの商品が紹介されたりしているが、AIと量子コンピュータのコンビネーションにより、マスメディアやSNSなどの情報管理がより効果的にできるようになり、世界を「ある方向」に効果的に導けるようになるだろう。その「ある方向」に反対するコメントは検閲され、削除されることになるだろう。

 

ゼロカーボン 

SDGsが大はやりだ。温暖化と言うけれど、この冬、ニューヨークでは氷河期の光景を体験した。ボストンでは寒冷非常事態宣言が出された。しかし、気候変動対策機関の掲げる目標は2030−2050でゼロカーボン実現。日本政府は2050年の脱炭素化実現目標を宣言している。しかし、恐らくその過程で、産業の敗退と貧困が進むだろう。

 

南海トラフ大地震 

先日のトルコ大地震で4万人以上の人が亡くなっている。今後日本で予測されている南海トラフ地震では死者、行方不明者が32万人と予測されている!トルコ地震の比ではない。



 昨年から、インドネシア地域でM6-M7級の大地震が頻発している。干ばつ、洪水、熱波、地震、台風など世界的な大規模自然災害は増えるだろう。2011年1月にはニュージーランドで大地震があり、3月11日には、東日本大震災が起こった。今後30年で80%の発生確率と言われる「南海トラフ地震」だが、歴史的には南海、東南海、東海、と連動地震となっている。震源域は東日本大震災の約2倍、鹿児島から静岡までとなる。津波で太平洋側の地域で大被害となる。ではいつ起こるのか?前々回の安政南海地震(M8.4)が1854年、そして、前回の東南海地震(M7.8)が1944年。すなわち、90年のタイムスパン。1944年の2年後、終戦直後の1946年に南海地震が起こっている。それが最後になっている。もし、90年のタイムスパンを想定すると次は2036年となる。つまり、2030年代には必ず起こるだろう。その時、日本は壊滅的な打撃を被る。さらに南海トラフ地震の1週間以内に別の巨大地震、最大で「平常時の3600倍起きやすい」 と東北大などが試算。

 

中東の緊張、エゼキエル戦争へ

「イスラエルとイランの緊張が高まっている。」中東問題専門家の石田和靖氏

youtube番組「越境3.0」でそう語る。クリスチャン番組でもないのに、石田氏は、「エゼキエル戦争」にも言及している。以下は番組内で掲載された地図。

 


 現在、イスラエルはアメリカとの合同軍事演習を開始し、戦争の準備をしているという。イスラエル?によるイラン国内への不審なドローン攻撃が多発している。一方、イランの国是はイスラエルの抹殺。緊張はかなり高まっている。そのイランをバックアップしているのが、ロシア。それに対して、今まで敵だったアラブ諸国はイスラエル側についてきている。それをアメリカ、イギリスがバックアップする。トルコはスエーデンのNATO加盟問題で揺れており、最悪の場合、トルコのNATO脱会のシナリオもある。そうなれば、ロシアとの距離はさらに強くなる。エネルギー問題でジリ貧のドイツも、いつ手のひら返しが起こるか分からない。イスラエルはウクライナ支援を打ち出した。ロシアとは距離が開く。どんどん舞台が整いつつある。聖書預言(エゼキエル38章〜)によるとエゼキエル戦争後、ロシア連合軍諸国は壊滅的打撃を受け、世界のパワーポリティックスが変化する。個人的には2030年代初頭までに、これらの大転換が起こる可能性が大きいと考えている。

 

終末時計は残り90秒!

1月25日に以下のニュースが掲載された。

午前0時を人類滅亡の瞬間に見立て、それまでの残り時間を象徴的に示す終末時計は「前例のない危険な時代だ」として、これまでで最も短い「残り90秒」に更新されました。終末時計はアメリカの科学雑誌が毎年発表しているもので、去年は「午前0時まで残り100秒」としていました。  24日に新たに発表された「終末時計」は残り90秒と、去年よりも10秒短くなり、これまでで最も人類の滅亡に近付いていると警告しています。主な要因は去年2月に始まったウクライナ侵攻で、ロシアが核兵器の使用をほのめかしたことを踏まえ、「紛争が誰の手にも負えなくなる可能性は、依然として高い」と指摘しています。

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個人的な感覚だが、これらを総合的に考えると2030年代初頭に世界的な大変化が起きてもおかしくない。終わりの時代に来ていることは確かだろう。患難時代開始は50年、100年先ではないだろう。早ければ2030年代に、遅くも2050年代には突入するのではと感じている。

 

「この書(黙示録)の預言のことばを封じてはなりません。時が近いからです。」

                        (黙示録22:10)

 

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参考資料

越境3.0 石田和靖
【中東情勢】第三次世界大戦前夜イスラエル史上最大の軍事演習開始,イランはウラン濃縮と最新兵器導入 

https://youtu.be/bS4XItoy-PM

 

https://www.youtube.com/watch?v=DzBDQ-8Px4g

 

崖っぷちのイランは暴発寸前イスラエルとの戦争がもしも始まったら最悪のシナリオに...

https://www.youtube.com/watch?v=QsGhLAtAWR0

 

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執筆者:栗原一芳

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2023年2月9日木曜日

持続可能な世界は実現するのか?


持続可能な世界を目指して・・・

今や、SDGsが大流行り。建築現場でも大々的に掲げられている。誰のため?と言いたくなってしまうが・・・。





SDGsには、17の国際目標が掲げられている。



どれも一般人には魅力的に響くフレーズになっている。あたかも地上楽園が到来するかのようだ。食品ロスの削減など、この中には取り組むべき課題も多々あるだろう。問題は土台となっている「哲学」やトータルパッケージとしての「プラン」や「世界秩序」なのだ。ヒューマニズム(人間が自分たちの知恵のみで問題解決するという哲学)に立っているので仕方のないことではあるが、ここには創造主が与えた地球であることは記されていない。地球を大切にすることは大事だが、その
Creator(創造主)を大切にすることがより重要なのではないだろうか。

 

エデンの園でアダム(人の代表)は、神を信頼するより、「知恵の実」を選んだ。

つまり、神なしに自分の知恵で全てを判断する道だ。特に近代に入り、「神は死んだ!」の宣言と共に、人間の知恵による世界の管理が進んでいる。

 

「知恵の実」を食べた反キリスト的なグローバルエリート達の考えている事は、こんな感じだろう。

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地球はこのままでは限界を迎える。我々は知恵を集結し、持続可能な世界を創り出さなければならない。今の資本主義経済は限界に来ている。この際、世界の秩序を根本的に変えよう。我々はこれを「グレートリセット」と呼ぶ。要は世界的に一括管理しなければ、持続可能な世界はもはや有り得ない。

 

我々の目指すユートピアでは、すべての人がモノを所有しない。所有という思想から解放されるのだ。

 

もはや、競争してモノを自分のためだけに溜め込む必要がない。そういう今までの資本主義経済を壊して、「所有」から「シェア」の文化を構築する。使いたい時に皆がシャアできる。

 

住居は世界政府が提供する。ベーシックインカムとして最低限の生活費は世界政府が提供する。教育費は無料。ただし、教育内容(世界観、歴史観)は世界政府が決める。地球の持続化可能のためのアジェンダはグローバルエリートが決め、それには従ってもらう。SDGsを掲げない企業は投資先から外される。世界政府と結託する国際資本のバックアップのないマスコミは淘汰される。メディアは非常に重要なので、思想統制のために効果的に活用する。AIと量子コンピューターの発達により、人々の思想をコントロールし、世界を「1つの方向」へ導くことがより効果的にできるようになる。

 

全世界の人にデジタルIDを付与し、経済的管理から健康管理まで、一括プログラムする。今日、人へのIDチップ埋め込みが一部、始まっているが、今後は義務化する。全世界の国民にIDが付与されることで、漏れなくパンデミックの予防注射などの健康ケアを提供できる。

 

伝統的価値観を脱構築(中心から意図的にずらす)する。伝統的な家族観や性理解を壊し、多様性社会を目指す。ジェンダーフリーの推進。また結婚という制度にとらわれない新しい人間関係を創出する。社会の最小単位である家庭を崩し、国家力を弱体化し、世界政府の力を強める。

 

今は理解を得るために「一人も取り残されない世界を」をモットーにSDGsのイデオロギーを広めている。しかし、将来的には制御が必要になる。適者生存は進化論の基礎的な哲学なのだ。「優生主義」を掲げ、優秀な子供を選択し、世界政府が教育する。人口の制御のため、制限年齢を超えた高齢者には安楽死してもらう。いやむしろ、脳にある記憶をコピーして保存すれば、ある意味、永遠に「生きている」と言うべきかも知れない。そもそも人間のアンドロイド化が進むので、どこから人間で、どこからロボットなのか、区別がつかなくなる。

 

プライバシーは無いが、皆、それなりに裕福になる。便利さと管理は裏腹で、これは仕方のないことだ。

 

人々は、戦争にはうんざりしている。いっそ、世界の武器を世界政府に預け、一括管理してもらうのがいい。また、今後の自然災害による食料不足に備えて、「世界食料バンク」を創設し、世界政府が管理し、分配する。

 

宗教が分断を生んでいるので、宗教間対話を促進し、最終的には世界統一宗教とする。それも世界政府の制御下の下に置く。

 

このステージに移行している頃には、AI(人工知能)が人間の脳を超えているので、AIと量子コンピューターによるシュミレーションにより、人間の知恵に勝る問題解決と世界の管理が可能になるであろう。

 

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多様性という画一性

上記のプランには「思想、信仰の自由」は無い!上記を実現するためには聖書的価値観を否定しなければならなくなる。「多様性」と言いながら、聖書が語る創造論や性理解などだけは否定され、偏見視され、排除される。すでに地球温暖化対策やLGBTに反対の声もあげにくい雰囲気になってきている。SDGsを掲げなければビジネスができなくなるだろう。本当の多様性は反対意見があることも認めるものではないのだろうか?SDGs」や「多様性」という一色に塗りつぶされようとしている。「1つの方向」に誘導されていると言わざるを得ない。実は、アメリカのLGBT推進は、ブラック・マター運動、果ては死刑廃止、麻薬の容認、服役者の解放などと連携しており、変な人権主義である「ポリティカル・コレクトネス」の流れの中にある。つまり、1つのパッケージなのだ。これらを進めることで社会は荒廃し、国家は弱体化する。それこそ世界政府の目指すところだろう。

 

「オーケストラで一人、違った音を出すと困ったことになる、だから、全世界が一致して取り組まねばならない」といったSDGsのラジオCMを聞いて違和感を覚えた。「皆、違った花でいい」と一方で言いながら、聖書的に「NO」と言うと否定されるのだ。そのうち「聖書を信じるクリスチャンです。」と言うと憎しみの目を持って見られるようになるだろう。そして世俗の流れに賛同するリベラル教会から迫害を受けるようになるだろう。

 

人間の知恵が行き着くところはせいぜい、こんなもんだろう。これが「アダム族」の目指す楽園。「命の木」を退け、「知恵の実」を選んだ「アダム族」は、意図せずも、サタンの思惑通りに動かされていく。

 

本当に持続可能な世界

問題は、この「新秩序」の管理側のトップに立つのは誰なのかだ?

 

最終的なトップは「栄光の王なるキリスト」なのか、サタンに立てられた「反キリスト」独裁者なのかという事になる。人間の建てたユートピア「バベルの塔」(ちなみにヘブル語で「バベル=混乱」はギリシア語では「バビロン」、反キリストの世界センターが設置されるところ。)は、やがて裁かれ、壊される。持続可能ではないのだ。

 

最大の問いは「誰が真の王なのか?」だ。サタンは偽りの王。サタンに立てられた「反キリスト」なる人物は、アダム族の末裔であり、命には至らない。いや、むしろ滅亡が決定している。また、人には「神を無視し、神に聞き従わない」という「罪=SIN」がある。この問題を解決しないと、たとえ宗教を無くし、地獄、天国の思想を無くしたからといって、ジョン・レノンの「イマジン」の世界は実現しない。

 

キリストはこの被造物世界の創造主。このお方を無視し、否定しておいて「持続可能な世界」はあり得ない。確実なのは、キリストが王として君臨するメシア王国(千年王国)が始まる事。永遠に持続可能なのは「キリストの王国=御国」なのだ。

 

患難期中、めぐみ深い神は、御使を送り、全世界を巡らせて「永遠の福音」を伝えさせる。その内容は「創造者を拝せよ!」なのだ。(黙示録14:6−7)それは同時に、創造者を拝さない人々への裁きが来るとのメッセージでもある。

 

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執筆者:栗原一芳

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2023年2月2日木曜日

クリスチャンとしての防衛論


紛争解決の手段として「戦争」をすることは日本の憲法9条を待つまでもなく、国際的に否定されている。武力による現状変更(侵略)は国際的に非難される。

しかし、実際は、武力による現状変更を試みる国もある。侵略を受けた国は黙って見ているのか?当然、国内に入ってきた武装勢力を戦って排除しようとうるだろう。つまり、「防衛」だ。多くの人は、クリスチャンに限らず侵略にはNOと言うだろう。それでは防衛という戦いは正当化されうるのか?クリスチャンは非暴力に徹するべき?国家的に侵略を受けた時、無抵抗でいいのか?

 

頭を悩ます問題です。なかなか正解は出ないかも知れませんが、今回の記事が少し頭を整理する助けとなればと思います。まずそもそも論・・・

 

神の殺人〜主は与え、主は取られる。

殺人は絶対「悪」か?そうであるなら、神はその「悪」を行うことはできないはずだ。しかし、創造主であり、命の与え主なる神には、それを与え、それを取られる権威がある。神は世界的大洪水を起こし、地を裁き、それによりノアの家族8名を除いて全人類を滅ぼしてしまった。神はソドムに硫黄の火を下しソドムの街全体を滅ぼしてしまった。出エジプトするイスラエルを追ってきたエジプト軍を海に沈めて水死させてしてしまった。コラの事件では神罰で14700人が死んでいる。(民数記16:49)ダビデが人口調査をした罪のゆえに、イスラエルに疫病が下り、民の7万人が死んでいる。(IIサムエル24:15)偶像に走る自らの民を女子供含め、あわれみをかけずに殺害せよとの命令を下す。(エゼキエル9:4−6)そして終末の「白い御座の裁き」では、歴史に現れたすべての不信者を裁き、「燃える火の池」に投げ込んでしまう。これらは今の標準からいえば、人権無視も甚だしいが、命を創造した神には、それを奪う権威がある。そして、全能なる神の判断は絶対的に正しいと考えられる。

 

神の民の殺人

被造物である人間の場合は違う。基本、人が人の命を奪うことは許されない。「殺してはならない」(出エジプト20:13)が主の命令だ。命は神によって与えられているものだからだ。しかし、カナン侵攻の際、イスラエル人はカナンに住む女、子供も含め異教の民を、神の命令に従い「聖絶」している。「神の民」が殺人を犯している。(民数記21:34−35、申命記2:33−34)ただ、それはイスラエル人の恣意的決断ではなく、絶対的に義である神の命令従ったまでのことだ。それが罪であるかどうなの最終判断は神がなさることを考えると、神の命令は絶対正しいと解釈せざるを得ない。もし、殺人が絶対的悪ならば、いかなる状況でも、「全き義」である神ご自身は、殺人を犯せないし、神の民イスラエルに殺人を命じることも出来ないはずだ。

 

さて、次にハマンの悪巧みによって、ユダヤ民族が抹殺されようとした時の記事を見てみよう。

 

「神の民」の自衛の戦い

エステル記を読むと、ユダヤ民族を滅ぼそうとした勢力、7万5千人を殺している。(エステル9:16)これは明確に自らの民の「防衛」のためだ。救いの歴史の視点から言っても、人類の救い主、メシアを生む民が根絶されてはならなかったのだ。国家の責任は国民の生命と財産を守ること。守るためには戦うことが必要な時もあるのでは?

 

次に「個人的復讐」と「国家の防衛」の違いについて見てみよう。

 

ダビデのサウル王への態度

サウル王はダビデへの妬みから、腹心の部下であるダビデを殺そうとした。ダビデは、個人的復讐はせずに、ご判断を主に仰ぎ、復讐を主にお任せしている。

(詩篇17:13)エステル記の「国民的サバイバル」のケースと「個人的な復讐」は区別しないといけない。ちなみに「歯には歯を」は、元来、復讐のガイドではなく、加害者が負う責任(償い)の話である。カインの兄弟殺人から始まり、個人的な復讐(あるいは妬み)により血を流すことは許されるべきではない。

 

キリストの教え

「右の頬を打たれたら・・・」有名なこの箇所も個人的な復讐に関するケースで防衛には適用できない。また、「剣を持つものは剣によって滅ぶ」(マタイ26:50−52)も、のちに使徒(伝道者)となるペテロに言った言葉であり、防衛のコンテキストではない。伝道を武力(強制的改宗)によって行なってはならないという戒めだ。

 

イエスは「あなたの敵を愛しなさい、迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)と言われた。「迫害」というコンテキストで、個人的な「信仰」に関わる問題だ。これもクリスチャンの個人的な生活の中での教えで「国防」に適用すべきではないだろう。

 

次に「国家」に与えられた「剣」の話を見てみよう。

 

剣を帯びる国家権力 (ローマ13:1)

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。(ローマ13:1)  

 

国家レベルの話に戻ろう。国家には「権力」が与えられている。神が認めて、お与えになっている。「権力」が「力」として行使される背景に、実行力のある「力」がある。その具体的な現れが「剣」(武力)だ。

 

彼はあなたに益を与えるための、神のしもべなのです。しかし、もしあなたが悪を行うなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。            

                  (ローマ13:4)

 

つまり、「権力」を行使するために「剣」が与えられているというのだ。悪いものを罰するためには「剣」により言うことを聞かせる。国家秩序維持のために武力の行使を認めている。どの国でも警察はピストルを携帯している。最終手段として悪いものを従わせるためである。以上の聖句にも「悪を行う人には怒りを持って報いる」とある。この場合は「個人」の復讐の話ではなく、「公」の機関が悪に立ち向かうケースである。自国に侵略してくる悪い国の軍隊を自国から追い出すために、言うことを聞かせるために「武力」の行使が必要になるのではない? 

 

また、防衛力=攻撃ではなく、防衛力は「交渉力」という考えもある。武力の行使の前に、外交が重要であることは言うまでもない。しかし、裏打ちのない、言葉には説得力がない。「正義」のない「力」は「暴力」にしか過ぎないが、「力」のない「正義」では悪をねじ伏せる事は出来ない。結果、悪をのさばらすことになる。

 

聖書が語る世界のリアリティ

今は混在の時代。悪と善、麦と毒麦、神もリアルだが、サタンもリアル。特に極端な理想論に陥らないために、以下の2つのことの認識が必要だ。

 

1.      サタンは現実。サタンにより獣化する国が出現することが可能。つまり、

国際秩序を無視して、侵攻する国は現実にあるということだ。

2.      人は罪人。地位・名誉・財産・権力に誘惑される。自己中心になる。

間違った判断をする国家的リーダーの出現は可能なのだ。

 

国連本部にも引用されている有名なイザヤ書の箇所。

 

主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。

                          (イザヤ2:4)

 

後半は引用されるが、実は前半が見落とされる。「主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。」つまり再臨の主が王として来られ、国々を裁き、判決を下した後に、世界的平和(千年王国)が来るのだ。逆に言えば、再臨までは真の世界平和は来ないのだ。条約は破られ、侵略は繰り返される。剣が必要なくなるのは再臨後なのだ。国防の問題はクリスチャンによっても見解が異なるだろう。しかし、以下を思いに留めておくのが良いと思う。

 

  死にまで従順な「受難のメシア」と、裁きを行う再臨の「王なるメシア」。このメシアの二面性の理解が必要。王とは、裁き主、統治者である。

 悪のいいなりでいいのではない。再臨時に、主は決着をつける。

 今は、サタンが活躍する時代。闇の力はリアル。個人的には殉教への備え、

  国民的には国防が必要と思われる。信仰の自由を維持するための戦いはある。

 

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参考資料

「バイブルと安全保障シリーズ」(1)〜(3)高原剛一郎

 https://www.youtube.com/watch?v=x_XFLTXXGr4

 

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