心震わされる聖書箇所
エフライムよ。わたしはどうしてあなたを引き渡すことができるだろうか。イスラエルよ。どうしてあなたを見捨てることができるだろうか。どうしてあなたをアデマのように引き渡すことができるだろうか。どうしてあなたをツェボイムのようにすることができるだろうか。わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。 (ホセア 11:8)
ここを読むとこちらの心が熱くなってくるのです。神のお気持ちが伝わり、震えてくるのです。ここでは、イスラエルに対しての神の心情が吐露されています。創造者、全能者なる神が、「心を沸き返らせ」、「胸を熱く」しているのです!
愛してやまないご自分の民であるイスラエルが偶像に走って行く時、嫉妬さえする神なのです。このホセア書では、イスラエルを他の男に走っていく不倫の女として描いています。それでもあきらめることができない心情を描いているのです。
神は鎮座まします、無表情な方ではないのです。悟りすました方ではないのです。憐れみで「心を震わせる」ことができるお方なのです。神は単なるフォース(宇宙の力)ではないのです。言ってみれば、「ご人格」を持っておられるのです。
人は神の似姿に造られた
聖書には神が人間的に表現される箇所が多々あります。例えば、「神が悔やまれた。」という表現。全知全能の神が「悔やむ」ことは、本来あり得ないのです。しかし、人間に分かるように、人間らしい表現を使っているのだと解釈されます。それでは、先ほどの箇所も人間に分かるように、表現しただけなのでしょか?本当は、神は心を熱くすることなどないのに、人間的に表現しただけなのでしょうか。最近、私は逆なのではないかと考えるようになりました。
「人は神の似姿に造られた。」(創世記1:26−27)とあります。人が知・情・意を持つのは、神がそれらを持っておられるからです。人が喜怒哀楽を表現するなら、神がしないと考える方がおかしいのではないでしょうか。人が神のコピーであるなら、感情表現の元は神にあるのです。実際、神は喜び、怒り、悲しみ、楽しまれる方。そういった表現が聖書には出てくるのです。神を擬人化したのではなく、神はそういう方であり、人が神をコピーしているのです。
憐れまれるキリストのお心
では、新約からキリストのお心を見てみましょう。
また、群衆を見て深くあわれまれた。彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていたからである。 (マタイ9:36)
ここでの「深くあわれまれた」は直訳すると「はらわたが揺り動かされる」という意味です。ホセア 書にある「あわれみで胸が熱くなっている」と同じですね。これが私たちの神なのです。こういうお方なのです。
また、死がラザロを支配している状態を見て、
霊に憤りを覚え、心を騒がせて、「彼をどこに置きましたか」と言われた。・・・イエスは涙を流された。(ヨハネ11:33−35)
とあります。神が「心を騒がせる」?しかも、「涙を流される」? はい、イエスはそういうお方なのです。涙する神。そんな神がいるでしょうか?
悲しまれる聖霊
神の聖霊を悲しませてはいけません。(エペソ4:30)
聖霊もご人格を持っておられるので、人に語ったり、人を助けたり、人の罪を悲しんだりなさいます。しかし、きわめつけはこれです。
同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。(ローマ8:26)
聖霊は「うめく」のです。そのお心はいかに?「ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださる」というのです。なんという事でしょう。これほどまでに私たちの事を思い、うめき、とりなしてくださるのです。
放蕩息子の父(父なる神)はボロボロになって帰ってきた放蕩息子を「大喜び」して迎えました。ここにも失われた魂がご自身の元に戻ってくる時の神の「感情のほとばしり」を見ることができます。「仕方がないから迎えてやろう」ではないのです。
三位一体の神はエモい神
つまりは三位一体の神はエモい神だということです。大変、emotionalな方なのです。神の感情が表現されることはとても大事です。上記の放蕩息子の話で分かるように、神は「神学的」に仕方ないから「罪人」の私を愛して救ったのではないのです。「神の子供」の資格を無表情で下さったのではないのです。よく、ボディランゲージが大事と言います。言葉で伝わるのは30%、ボティランゲージで伝わるのが70%と言います。単に言葉で「ありがとう」と言われるのと、涙を流して、手を握って、声を震わせ「ありがとう」と言われるのでは大違いですね。放蕩息子の父は息子をハグしてキスして迎えたのです。私たちは「神の子供」のステイタスだけを機械的に頂いたのではありません。「アバ=お父ちゃん」と呼べる父との「関係」を頂いたのです。もう一度言います。神の感情すなわち、お心を知ることは大事です。
あなたの神、主はあなたのただ中にあって、救いの勇士だ。主はあなたのことを大いに喜び、その愛によってあなたに安らぎを与え、高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる(ゼパニヤ3:17)
分かりますか、神のお心? 神は神学的に仕方ないから、あなたを愛しているのではないのです。あなたのことを「喜んで」いるのです。あなたの存在が嬉しいのです。あまりに嬉しくて、「歌って」しまうほどにです。分かりますか?
神の感情。あなたのことを「少し」は喜んでくれていますか?いいえ、「大いに喜んで」います。きっと神様が目の前に現れたら「満面の笑顔」でしょうね。そして、ハグしてキスして「愛してよ」と声をかけてくださるでしょう。
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執筆者:栗原一芳