クリスチャン100%がノーマル
「日本ではクリスチャンはマイノリティだから・・・」「長らく、日本ではクリスチャン人口1%と言われている。」クリスチャンでさえ、「まあ、日本ではそんなもんだ」と現状を受け入れているのではないでしょうか?実は、「クリスチャン人口1%」は大変、「異常」な状態なのです。「キリスト教徒1%」という宗教の話なら、それでいいでしょう。しかし、「天地を造られた神は、ご自身のかたちに人間を造られた。」という聖書の主張を信じるなら、99%が「自分の創造主」を知らない、あるいは無視しているという異常な状態のことなのです。私が「自分の親を見たこともないし、知らない。」と言ったら、それは「異常」な状態でしょう。
神に造られた人間が、創造主、そして、その一人子であり、メシアなるイエシュア、聖霊なるお方を崇め、礼拝することが極めて正常なのです。つまり、クリスチャン人口100%が、本来あるべき、ノーマルな状態なのです。
そのとき、わたしは、諸国の民の唇を清くする。彼らはみな、主の御名を呼び求め、1つとなって主に仕える。(ゼパニヤ3:9)
社会の常識は聖書の非常識
「日本の常識は、世界の非常識」というフレーズがありましたが、99%がキリストを崇めない日本の地においては、「社会の常識は、聖書の非常識」なのです。日本のような異教の地に長らく住んでいると「嘘」が「本当」になり、「本当」が「嘘」になってしまいます。例えば・・・
● 進化論は正しい。創造主がいるなんて、それは宗教だ。
● キリストは4大聖人の一人。偉大な教師。人であって神ではない。
● キリストが復活したというのは弟子の信仰によれば、そうなのであって事実ではない。再臨も当然、「信仰」の世界の話で、現実にはあり得ない。
● 聖書はヘブル民族が残した偉大な宗教書である。しかし、神の言葉ではない。
● 天使だ、悪魔だ、天国、地獄だといのは近代以前の世界観であり、現代には通用しない。そういう前近代的な教えを子供に教育してはいけない。
● キリスト教はイスラム教や仏教と同様、人が作った文化の1つ。同列に置くべきもので、「唯一性」は主張できない。他宗教に失礼である。
● 価値や文化は変わるべきもので、聖書が絶対の規範にはなり得ない。「男女、性」に関する価値観や概念は当然、変化する。その時代の必要に答えれば良し。
これらはすべて「嘘」です。これらを否定するクリスチャンは、社会からは「変な人」に映るでしょう。しかし、変なのはキリストを知らない人々なのです。99%の人がずれているからです。罪=ハマルティア(的外れ、脱線)の状態なのです。(ローマ3:10−18、23)多くの人は、「キリスト教は世界の宗教の一つ」としか考えていません。しかし、まことの神は一人であり、聖書はこう明言しています・・
主への恐れが彼らに下る。主が地のすべての神々を消し去られるからだ。
(ゼパニヤ2:11)
神を否定して「幸せ」になったのか?
日本では若者の自殺率が世界的に上位です。端的に言って、「希望」が無いのです。若者にとって生きる目的や意味が見出せないのです。いや、大人にとってもそうでしょう。インターネット、携帯、SNS, AIと技術は進歩して、便利にはなりましたが、それと「幸せ度」は比例していません。根本原因は「自分が誰で、どこから来て、どこへ行くのか」知らないからです。多くの人は創造主がいないと信じて生活しています。まるで手で目隠しして、「太陽なんかない、ああ暗闇だ!」と言っているようなものです。大自然や人間の身体機構の素晴らしさを見る時に、「ああ、神様、素晴らしい!」というのは自然なのです。しかし、神を認めるのは恥ずかしいことのように、愚かなことのように教えられているのです。その素直な感覚を否定するように教えられてきているのです。
宇宙的不安の解決
先日、ハーベストタイムミニストリーズの定例会に参加しました。コロナで入院していた中川健一氏が、その体験談を語ってくださいました。その中で興味深かったのは「空間の文脈が分からないと不安になる」という事でした。中川氏は高熱を出し、救急車で病院に運ばれましたが、途中、意識を失いました。それで気が付いた時にはベッドに寝かされていたのです。高熱で体の筋肉も弱り、顔を左右に動かすくらいが精一杯だったそうです。まさに「ここはどこ?私は誰?」状態だったわけです。コロナで家族も来られません。見知らぬ看護師に助けられながら数日過ごしたのです。やっと、自分でトイレに行けるようになり、初めて病室のドアを開けて、廊下に出て空間把握ができました。またトイレの脇のフロアマップを見て、ここが何病院で、自分の部屋がこのフロアのどの位置か、確認できました。そして、大きな安心を得たというのです。そして、この体験談から罪を犯した後のアダムに言及されていました。アダムは「あなたはどこにいる?」(創世記3:9)状態になったのです。アダムは「存在」のコンテキストを失ったのです。
現代人は創造主を否定した結果、「自分が誰で、どこから来て、どこへ行くのか」分からなくなったのです。そして宇宙的不安を抱えたまま日常に逃げ込んでいるのです。まさに自分が救われる前に抱いていた不安です。親のおかげで、何1つ不自由ない生活をしていましたが、中学の時、通学の電車の中で、周りのつり革につかまって無表情な人々の姿を見た時、「この人たちは自分が誰で、何のために生きているのか知っているのだろうか?分からないまま、毎日、毎日こうして通学、通勤しているんだろうか?」と自問したのを覚えています。そして、分からないまま自分も社会に出て働くようになることに恐怖を感じていました。
やがて、高校2年の時、Hi-BA(高校生聖書伝道協会)のキャンプに参加し、福音を聞き、キリストを信じました。その晩、「宇宙的平安」を感じたのを覚えています。創造主に戻った喜びと安心を感じたのです。そして、キリストにあってのアイデンディディ(神の子供、聖徒)が与えられました。死後に行く場所も、この世界の今後の展開も知らされたのです。聖書的世界観が与えられたのです。「存在のコンテキスト」を把握できたので、平安が与えられたのです。
一人だけど、孤独じゃない
中川氏は、入院中「一人だけど、孤独じゃない」を体験したというのです。インマヌエルなる神が共にいる。いや正確に言うと「神に見つめられている」という感覚があったそうです。私は、20代の時、親の反対を押し切って一人で渡米し、ケンタッキー州のバイブルスクールに行きました。見知らぬ土地で、何度も、「神が共におられる」という体験をしました。不思議と一人でいても「寂しい」という気持ちは無かったのです。都会人は雑踏の中で多くの人に囲まれ、またSNSでつながっているかのように思えますが、「孤独」を感じている人は多いのではないでしょうか?「繋がってる=友達」という訳ではありません。若者の自殺も増えています。独居老人も「話し相手」が必要でしょう。うちの近くのパチンコ屋には、開店前から高齢者たちが並んでいます。店員が上手に話しかけ、みんなと会話しています。常連さん達にとって、それが、ちょっとしたコミュニティであり、それが楽しくて来てるのかなあと思わされます。しかし、パチンコ台に座ったら、会話も無しに、夕方まで一人です。慈しみ深き、「友なるイエス」が必要ですね。魂の故郷で、父なる神に出会って欲しいです。
日本人への伝道どうする?
聖書が語るストーリーは、創造主が人類を造ったという、全人類と創造主の話なのです。文化が生み出した宗教の話ではないのです。だからクリスチャンになるとは、本来の人間になる事で、宗教に属する事ではありません。創造主に戻り、真の自由を体験し、かつてのアダムのように創造主と共に生活を始める事です。創造主を無視して生きるのは異常です。
だから、クリスチャン100%がノーマルなのです。
そうは言いながら、では、どうしたら日本人に聖書を分かるようにお伝えできるのかは大きな課題です。罪が分からない、贖いの概念がない・・・聖書は難しい・・。路上で聖書を配布しながら、このおばあちゃんが、自宅でもらった新約聖書を開いても、「アブラハムの子、ダビデの子、イエスキリストの系図・・・と読みだして、ああ、分からん」と閉じてしまうんだろうなと思うと何とももどかしいのです。それで、大きな字のこれ以上シンプルにできないくらいの福音の説明を載せたA4一枚のトラクトを挟んで配るようにはしているのですが・・・路上で伝道していると、無関心という大きな壁を感じます。また、創価学会や顕正会の人々によるあからさまな攻撃(霊的戦い)を体験します。サタンも必死になって福音の邪魔をするのです。
2024年に日本人口の3人に一人は65歳以上、2042年には高齢者人口のピークを迎える日本。高齢者への伝道は必須ですが、試行錯誤が続きます。若者伝道もチャレンジングになってきています。あの韓国でさえ若者の教会離れが進み、クリスチャン人口もかつての25%から10%くらいになっていると聞いています。「背教の時代」と言ってしまえば、そうなのですが、神のニネベに対する思いは変わりません。右も左もわきまえない東京の1300万人を惜しんでおられるのです。霊的覚醒を切に祈ります。
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意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ
東京メトロ・コミュニティ
Tokyo Metro Community (TMC)
執筆者:栗原一芳
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