聖書は時間や期間にこだわる
● 7日間での世界の創造。
● ノアの洪水、雨は40日、40夜降った。
● 70年のバビロン捕囚期間。
● イエスは40日、40夜断食した。
● イエスは3日目に復活し、40日の間弟子たち
に現れた。
● 3年半の反キリストの神殿冒涜。
● 千年王国
神は時間や期間に関して強い意識を持たれ、これらを大事にされる。水平に流れてゆくリニアルな時間軸の中で「神の物語」が展開してゆく。輪廻のように永遠に続く閉じられたサークルではなく、時間が流れてゆくリニアル(線状)なのだ。永遠なる神は、天と地を創造し、時空の世界が始まった。しかし、
現在、この世は神の支配を離れ、サタンと人が支配する世となっている。やがて、キリストが王として、この世を支配する時が来る。(黙示録11:15)時間軸の中で、次の時代が来る。これが聖書の歴史観。
歴史の時間軸の中で、預言は成就する!
有名なダニエル書のエルサレムに関する70週の預言。(ダニエル9:24−27)69週はすでに成就し、残りの1週(7年)が近い将来始まると考えられている。着々と神は駒を進めておられる。
バビロン捕囚は70年だった。70年が満ちると、異邦人クロス王の命令で、エルサレムの町の復興が開始される。始めに不可能に思えたことが可能になってゆく。そもそもあの絶頂期のバビロン帝国が倒され、メド・ペルシャ帝国に移行してゆくなど誰が想像できただろう。しかし、預言通りとなった。
AD70年にローマ軍がエルサレムに侵攻し、神殿は焼かれ、ユダヤ人は、世界に離散した。約1900年さまよった後、イスラエルの民は帰還して国を作った。(1948年5月14日)常識では不可能な奇跡が起こったのだ。今は不可能に思える、第三神殿は、やがてエルサレムに建てられ、生贄と捧げ物が始まるだろう。そして、患難期中、異邦人に3年半支配される。ここでは「3年半」と期間が明記されている。(黙示録11:2)悪の支配には時間制限がある。「もはや時が延ばされることはない。」(黙示10:6)・・・3年半後にキリストは再臨され、裁きが行われる。反キリストの滅亡は定められている。
カイロスとクロノス
ギリシア語にはこの区別がある。流れていく時間はクロノス。歴史が変わる瞬間がカイロス。以前、NHKの番組で「その時、歴史が動いた」という番組があったが、まさにそれだ。
あなたが、この王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかも知れない。(エステル4:14)
ユダヤ民族滅亡の危機に瀕した時、まさにその場に遣わされたエステル。歴史を変える行動を取ったのだった。
時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。 (エペソ1:10)
これなどは典型的な例だろう。神が動く時、それは歴史が動く時。
聖書の歴史観はリニアル
多くのクリスチャンは「下」にある「地上」と、「上」にある「天」という「上下」意識が強いように思われる。「死んで、天国に行く」は「下から上」への垂直移動だろう。確かに今、天は上であり、地は下であり、地では患難、天では賛美が同時並行で動いている。しかし、それはリニアルな時間軸で、ある方向に向かって「動いている」のであり、「上下」構造が静止しているのではない。
御国は未来からやって来る。時間軸の中で、将来、成就する。これは水平の動きだ。
私たちはこの地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。(ヘブル13:14)
「後に来る」とはリニアルな時間軸の延長線上に「やって来る」(成就する)のだ。上にある「天国」に行くというニュアンスではない。
また、今の世ばかりではなく、次に来る世においても唱えられる・・・
(エペソ1:21)
ここでも、「次に来る世」と水平時間軸が語られている。神のドラマは水平軸で展開してゆく。
旧約の時代が終わり、約2000年前、キリストが地上に来られ、贖いのわざを成し終え、新しい契約の時代(新約)に入った。パラダイムが変わった。ペンテコステで教会が誕生し、世界宣教の時代に入った。しかし、それは、永遠に続くのではない。次には患難期が来る。終末点に向かって突き進んでゆく。神は忍耐を持って人々の悔い改めを待っていた。(IIペテロ3:9)しかし、ここまで来ると「もはや、時が延ばされることはない。」(黙示10:6)そしてキリストの地上再臨に続き、反キリスト勢力への裁きが行われる。そして、次なるステージ(千年王国)に入ってゆく。1つの時代が過ぎ去り、次の時代が来る。これが聖書の歴史観だ。
大転換の時が来る!
そして、大転換の「時」を迎える。カイロス中のカイロスだろう。主ご自身、こう言われた。
この天地は滅び去ります。(マタイ24:35)
ペテロは以下の表現を用いて大転換の時を描いている。
しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地 にある働きはなくなってしまいます。・・・・・・その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。 (IIペテロ3:10−13)
ヨハネも同様の内容を語っている。
天も地もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。(黙示20:11)
その時が来るのだ。神のタイムテーブルの中で。この天地が過ぎ去った後に、新天新地が来る。新天新地では天と地が完全に重なるので、もはや下にある地、上にある天という構造が無くなる。神、御使、人間は同じスペースに住むことになる。
そして、「永遠の世界に入るのでリニアルな時間軸も無くなる。」と言いたいところだが、「毎月、実ができた。」(黙示22:2)という表現があり、正直、理解に苦しむ。新天新地に行ってみたら分かるだろう。
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3つの歴史観
● 世界は進歩し、やがて地上天国が実現するという楽観論
● 世界は悪化する一方で、やがて人類は滅亡するという悲観論
● 聖書が語るのは「悲観論的楽観論」世界は人の罪とサタンの存在ゆえに、悪化し、最悪の患難期を迎えるが、その後にキリストの地上再臨があり、悪は滅ぼされ、キリストご自身が統治する楽園(千年王国)がやってくる。
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意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ
東京メトロ・コミュニティ
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執筆者:栗原一芳