キリスト教のイメージ
日本人がキリスト教と聞いて、思い浮かべるイメージは・・・? 十字架のアクセサリーやロザリオ、三角屋根の教会堂、白い襟カラーと黒いガウンの聖職者、教科書に載っているフランシスコ・ザビエルの肖像画。厳粛な礼拝、禁欲主義・・・
残念ながら「キリスト道」の本質ではありませんね。これらは、キリスト教文化や習慣や儀式といった周辺的なものです。新約の記者が伝えたかったこととは違うのです。
本当に伝えたかったこと〜復活
彼らが本気で伝えたかったのは・・・
私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあると おりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。 (Iコリント15:3−6)
パウロが「最も大切なこと」として伝えたのは、福音の3要素です。
● キリストが私たちの罪のために死なれたこと
● 葬られたこと
● 三日目によみがえられたこと
特に、パウロはこの後、15章全部を使って長々と「私達の復活」について書いているのです。しかし、「キリスト教」と「復活」をすぐに結びつける日本人は少ないでしょう。使徒の働きを見ても、初代クリスチャンたちが力強く語ったのは「復活」でした。その「驚くべき希望」こそ、伝えたかったことなのです。「死んで魂が天国に行く」で止まっているクリスチャンが多いのではないでしょうか。勿体無い話です。聖書が伝えているのは、それよりはるかに優れた希望です。
本当に伝えたかったこと〜いのち
復活と関連している言葉ですが、ヨハネは好んで「いのち」という表現を使っています。事実、ヨハネの福音書を書いて目的が「いのち」を伝えることだったのです。
これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。(ヨハネ20:31)
「いい教え」や「宗教的儀式」を伝えたかったのではなく、「いのち」を得て欲しかったのです。キリスト教と聞いて、「いのち」を連想する日本人がどれほどいるでしょうか?
ヨハネは手紙の方でも、このように語っています。
初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて。このいのちが現れました。御父とともにあり、私たちに現れたこの永遠のいのちを、私たちは見たので証しして、あなたがたに伝えます。私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。 (Iヨハネ1:2−3)
ヨハネは「いのち」を見て、触れたので、人々に伝えているのです。「いのち」とはキリストそのものです。キリストの教えでさえない、キリストそのものです。
キリストご自身もこのように語りました。
わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。
(ヨハネ10:10)
そして、伝える目的は、「交わり」に招き入れるためなのです。三位一体の神が、ご自身の「交わり」の中に私達をも招き入れてくださっているのです。ですから、キリスト道では、「交わりの中」に救われるのです。孤独なクリスチャンはあり得ません。
しかし、キリスト教と「交わり」を連想する人はどれほどいるのでしょうか?
静かな礼拝堂で、一人祈っている姿の方が一般的なイメージですね。しかし、先ほどのIヨハネ1:2−3が「キリスト道」の肝なのです。キーワードは「いのち」と「交わり」です。これがエクレシアの本質です。この「いのち」と「交わり」を欠いて、儀式だけしているとしたら本質からずれていることになります。それを見たらヨハネは嘆くでしょうね。
イメージを変えられませんかね?
このように、本質ではなく、周辺の文化的なものだけが伝わってしまったのは誠に残念です。ある意味、三角屋根の教会堂やガウンを着た聖職者はどうでもいいのです。本質はそこには無いのです。初代教会は家々で集まり、聖職者もいませんでした。それでも立派な「エクレシア」だったのです。「いのち」と「交わり」があったからです。
もっと、こういう事が伝わるといいですね。(それが聖書的事実ですから)
● 聖霊による生まれ変わり=新生
● アダム族からキリスト族への種族替え
● 私達が朽ちない体に蘇る事
● クリスチャンとはキリストが内に生きている人
● キリストは王として再臨し、世界を統治する事
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意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ
東京メトロ・コミュニティ
Tokyo Metro Community (TMC)
執筆者:栗原一芳
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