「ホームレスGOD」
教会革命を推進するフランク・バイオラの本を読んでいるとき、
面白い表現に出会った。ホームレスGOD。イエス様が地上に来
られたとき、お生まれになる宿屋もなく、馬小屋で生まれた。お働
きをなさっている時、こう言った、「きつねには穴があり、鳥には
巣があるが、しかし、人の子には枕するところもない。」。ご自分
の家であるばずのエルサレムの神殿にいくと、宗教指導者から、
追い出された。最後には町の外に追い出され、十字架で、地上
から追い出された。イエス様には休む家がなかった。イエスが
唯一休めたのは、神殿(宗教制度、組織)ではなく、エルサレル
郊外のベタニヤにある「家庭」だった。あのマリヤとマルタが
住んでいた「家=HOME」であった。イエスが住むのは、
イエスを信じる、あなたやわたしの内なのだ。私達はイエスの
お住まい。私達は「神の家」なのだ。
神が私達人間を創造されたのは、あの三位一体の父、子、聖霊の
親しい交わりに私達も入らせるためでした。(第一ヨハネ1:3)
こんな不完全で穢れた私達を、イエスの花嫁として、一方的に選んで
くださった。かの日にはシミも穢れもないイエスの花嫁として、
御前に立たせて下さる。やがて子羊イエスの妻となり、一体となる。
イブがアダムのわき腹から出たように、イエスの花嫁である教会は
イエスのわき腹の傷(十字架の死)によって生み出された。私達が
イエスの花嫁であり、やがて花婿は花嫁を迎えに来る。その愛は義務
でも哀れみでもなく、神の一方的なパッションなのだ。神は天使
ではなく、親密な伴侶として、人を選んだのです。地上でイエスは
結婚をしなかった。なぜなら、イエスの妻はイエスの死によって
誕生した「教会」だから。そして、教会はキリストの体なのです。
教会はイエスのために何かする機関なのではなく、イエスが自らの
体を通して御業を行ってくださる「場」なのです。イエスは主に
あって愛し合う共同体の中で力強く働かれるのです。エクレシア、
すなわち信徒の群れである教会は「神の家」「神の住まい」
「キリストの花嫁」、ホームレスGODが宿る場所なのです。