2010年10月31日日曜日

ホームレスGOD

「ホームレスGOD」

教会革命を推進するフランク・バイオラの本を読んでいるとき、

面白い表現に出会った。ホームレスGOD。イエス様が地上に来

られたとき、お生まれになる宿屋もなく、馬小屋で生まれた。お働

きをなさっている時、こう言った、「きつねには穴があり、鳥には

巣があるが、しかし、人の子には枕するところもない。」。ご自分

の家であるばずのエルサレムの神殿にいくと、宗教指導者から、

追い出された。最後には町の外に追い出され、十字架で、地上

から追い出された。イエス様には休む家がなかった。イエスが

唯一休めたのは、神殿(宗教制度、組織)ではなく、エルサレル

郊外のベタニヤにある「家庭」だった。あのマリヤとマルタが

住んでいた「家=HOME」であった。イエスが住むのは、

イエスを信じる、あなたやわたしの内なのだ。私達はイエスの

お住まい。私達は「神の家」なのだ。

神が私達人間を創造されたのは、あの三位一体の父、子、聖霊の

親しい交わりに私達も入らせるためでした。(第一ヨハネ1:3)

こんな不完全で穢れた私達を、イエスの花嫁として、一方的に選んで

くださった。かの日にはシミも穢れもないイエスの花嫁として、

御前に立たせて下さる。やがて子羊イエスの妻となり、一体となる。

イブがアダムのわき腹から出たように、イエスの花嫁である教会は

イエスのわき腹の傷(十字架の死)によって生み出された。私達が

イエスの花嫁であり、やがて花婿は花嫁を迎えに来る。その愛は義務

でも哀れみでもなく、神の一方的なパッションなのだ。神は天使

ではなく、親密な伴侶として、人を選んだのです。地上でイエスは

結婚をしなかった。なぜなら、イエスの妻はイエスの死によって

誕生した「教会」だから。そして、教会はキリストの体なのです。

教会はイエスのために何かする機関なのではなく、イエスが自らの

体を通して御業を行ってくださる「場」なのです。イエスは主に

あって愛し合う共同体の中で力強く働かれるのです。エクレシア、

すなわち信徒の群れである教会は「神の家」「神の住まい」

「キリストの花嫁」、ホームレスGODが宿る場所なのです。

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