2011年6月12日日曜日

世界観(3) Deism – 理神論


伝道で、どうApologetics(キリスト教弁証論)を用いてゆけるかについては、Norman GeislerConversational Evangelismをお勧めする。ノンクリスチャンとの会話を通して、どう伝道できるか実践的な本になっている。ポイントは一方的な福音の提示ではなく、まず、質問をし、相手にしゃべらせ、相手の世界観を知るというステップを踏む。それから、その世界観に立っている場合、矛盾してくるような部分の質問を入れてゆく。

今回ご紹介する、理神論は、同じ創造主なる神を信じている訳だが、実際の日常の信仰生活においては大きな違いが出てくる。理神論のポイントを見てみよう。

1.超越的な第一原因としての創造主なる神がいる。

2.自動運行できる宇宙として造られている(閉じられたシステム)ので、一度、造られ宇宙は自らの因果関係のみで動き、超自然的な奇跡はありえない。

3.人間も時計仕掛けの宇宙の一部であり、その中のシステムにしかすぎない。確かに、人間は人格を持っておりユニークな存在ではあるが、神との個人的な関係は持てない。

4.宇宙はノーマルなものとして造られ保たれ、堕落していない。人間は、観察、研究によって宇宙を知る事が出来る。

5.堕落がないので、あるがままの宇宙のありかたが正しい。そこにある姿が正しいことになり、「悪」の存在が基本的に無くなる。論を進めると善悪の区別もなくなる。しかし、この世界の「悪」は現実だし、ボードレールが言うように、「もし、神が存在するなら、それは悪魔である。」という事になってしまう。堕落という概念がないと、ここで無理が出る。

6.創造の時の初期値設定により、宇宙は時間軸にそって運行され、終わりを
迎えることになる。それは、神の裁きではなく、造られたごとくに、動き、終わるだけ。

神は創造時に仕事を終えておりあとは、無関心で、この世に関与しない。宗教に深入りしたくない、インテリには向いている思想だが、この世界観は容易に次のステップ、Naturalism (自然主義)に移行してゆくことになる。つまり、第一原因としての神だけなら、はじめから宇宙がそのようにあったのだ、という神なしの閉じられたシステムに容易に移行してしまうからだ。
—————— 
コメントお待ちしております。asktmc@gmail.com (栗原)まで、
TMCでは毎月土曜日に、定例会を持っています。東京を変革して
ゆくために、失われた魂にどのように届いてゆけるか、どのように
キリストの体であるクリスチャンコミュニティを形成していったら
いいのかについて話し合う「場」を持っています。ご関心のある方は
メールください。ご案内をお送りします。

0 件のコメント: