1) キリストの再臨
2) それにともなう悪の裁き (サタンと反キリスト勢力の滅亡)
3) 新天新地 (そこで復活の体で永遠に主と共に生きる)
しかし、各論となると意見が分かれます。終末論で別れる論点を見てみましょう。
1. 携挙の時期
患難期後か患難期前か?
英国で復興した患難期前携挙説(「空中再臨=携挙」と「地上再臨」の再臨2段階説)は19世紀に米国の保守派で広がり、日本の福音派もそれに影響されてきました。しかし、今日の教会では、患難期前携挙説はマイノリティーになりつつあります。
患難期前携挙説への反論
1)Iテサ4章の携挙の記事は復活の順序を記すことが主な目的。
聖書は時期について沈黙。
2)エジプトへの神の裁きの時、イスラエルは地上で守られた。
3)「試練の時に守ろう」(黙示3:10)は患難の中にあって守
られるという意味。取り去られ、天に行くのではない。
4)患難期こそ残って証しすべきでは?
5)携挙時に、教会と聖霊が上げられどうして人は救われるのか?
6)黙示録は「いなくなる人」のために書かれたのではない。
7)再臨二段階説は19世紀のディスペンゼーション主義で提唱
されたものであり比較的新しい見解。
* 患難期後再臨説を取る場合は、教会は大患難時代を通過するこ
とになります。
患難期前携挙説の根拠
1) 救われた民が迫害試練は通っても、「神の怒り」を通過する必要があるのか?黙示録の患難は全世界に来る「主の日」すなわち未信者への裁き=神の怒りであり、クリスチャンがそれを通る必要はない。(Iテサ5:9)
2) 黙示録4章からは教会の記述がない。もう天にいるから。
3) いつ来られるかわからないのは携挙。再臨は携挙後約7年後と推測できてしまう。(再臨は7年の患難期の最後にある)
4) 聖書には「いつ来るかわからない」と備えを促す箇所と
「まだ来ない」から落ち着けと言っている箇所がある。
(IIテサ2:2)また、これとこれが起こらないと終わりは来ないと書いてあるところがあり、2段階を示唆しているように思われる。(マタイ24章、Iテサ2章)
5) 全世界への神の裁きとしてのノアの洪水の時、箱船は地上で守られたのではなく、水の上だった!
6) IIテサロニケ2:3—7の「引き止めるもの」が教会だとすると、教会の携挙のあと、獣(反キリスト)が現れ、患難期が始まると考えられる。教会が残るとすれば「引き止めるもの」の意味がわからない。
7) 明日あるかもしれない携挙は、信仰生活に緊張感と期待を持たせる。
携挙の時期については、聖書ははっきり語っていないので、いずれの場合も推測に止まらざるを得ない。そして患難期前携挙説は信者にとっては非常に都合の良い説となる。携挙さえあれば、全て解決だから。何れにしても主は来られる。黙示録22章には「わたしはすぐに来る」が3回繰り返されている。希望はそこにある。
2)千年王国
千年王国に関しては再臨の時期と関連づけて3つの説がある。
* 無千年王国説
* 千年王国前再臨説
* 千年王国後再臨説
「無千年王国説」は、今の時代の教会が霊的「神の国」であり、ある意味千年王国だとする。キリストは天から信者の心を支配し、教会を通してこの地を統治していると考える。だから文字通り千年王国が将来地上にやってくるのではないとする。カトリック、聖公会、ルーテル派、改革派などキリスト教会の大多数はこの説を採っている。黙示録は黙示文学として書かれているので、それを現実の歴史に当てはめるのには無理があるということだろう。
ただ、黙示録19章から21章をそのまま読むと、
再臨→ハルマゲドンの戦い→反キリストへの裁き→サタンの縛り→
千年王国→
なのであり、サタンが大活躍している現在が千年王国なら聖書の記事と矛盾することになる。今、サタンは縛られていない(第一ペテロ5:8、エペ6:11)ことは明白だ。また今が千年王国とするには第一の復活を「霊的復活=新生」と考えざるを得なくなる。これに関しては「子羊の王国」の著者、岡山英雄先生も指摘している通り、黙示録の「復活」を新生=霊的復活と解するには無理がある。文字通り、第一の復活(体の復活)に預かったものが千年王国に入るのだ。黙示22:19には、この書にあることを少しでも取り除いてはならないとある。自分の理解に合わないからと言って取り除いてはいけない。
麦と毒麦の例え(マタイ13章)にあるように、サタンの国と神の国は両方衝突しながら世界的に拡大する。全世界はキリスト教化され、地上天国が訪れ、そして王として再臨するイエスを迎えるというのは聖書的ではないし、楽観的すぎる。聖書的には闇のクライマックスの只中に光なるイエスが再臨する。(黙示19:19)
これは確信を持って文字通りこの地に成就する「千年王国」と「千年王国
前再臨」説を支持する。
3. 14万4千人とは誰のことか?
岡山英雄先生は異邦人も含む「神の民」のことと解釈する。それを9節と
の関連で解釈しているが、9節は「その後」で始まっており、場面が変わ
っている。9節は14万4千人の証人によって患難期中に救われる異邦人
のことと思われる。(7:14)
14:3では、14万4千人しか新しい歌を歌えないとある。確かに、そ
の数しか贖われていないのもおかしいし、また数字も人工的で象徴的、ま
た12部族のリストが完全ではないので、それを根拠に、これは文字通り
のイスラエルではなく教会全体(神の民)と考える人もいる。確かに隔て
の壁は壊され、選民イスラエルも1つの体、1つの家族にはなっている。
(エペソ2章)しかし、それぞれの国のアイデンティティが
無くなる訳では無い。
新天新地では新約のシンボルで「12使徒」、と旧約のシンボルで「12部
族」が両方出てくる。つまり、同じ神の民ではあっても、聖書はイスラエ
ルと新約の教会を区別し認識している。(黙示21:12−14)
黙示録7章4節は、「イスラエルの子孫の部族」とわざわざ記されているの
に、これを「教会全体」とするのは不自然ではないか?
数に関しては、「彼らは『初穂』」(黙示14:4)とあるので、
後に続いて救われるイスラエル人が出ると考えれば納得いく。
そうすれば全体として救われる人は14万4千より多いことになるから。
14万4千人は患難期に「初穂」として救われるイスラエル人である。
4)二人の証人
岡山先生は「教会」と解釈する。確かに二人の証人は「2つの燭台」とあ
り、黙示録では、7つの燭台は教会のことである。しかし、黙示録11章
の記述では、二人の証人は、死んで見世物になり、そして復活する。さら
に、11:12では、復活後に天に昇っている。これを教会とするとおか
しなことになる。これはもともとゼカリア5:11−14の引用で
あり、元々のゼカリアの方では「二人の油注がれた者」と言っており、
二人の人物と考える方が自然。
5)患難期は7年?
7年の根拠はダニエル9章のみ。聖なる都(エルサレム)には70週が定
められている。バビロン捕囚後エルサレム再建の命令が出てから69週後
にメシアが断たれる。預言では1週が7年なので、69週は483年とな
る。これは十字架のイエスを指しており、過去に成就し終わっている。
残りの1週(7年)は反キリストがイスラエルの多くの者と契約(平和条
約)を結ぶ時から始まるとされる。そして後半の3年半で反キリストは正
体を現し、神殿での捧げ物をやめさせ、自分を神とする。捧げ物をやめさ
せるという行為は、その当時には神殿が再建され、捧げ物が行われている
という前提がなければならない。そのためには反キリストなる人物が、今
のパレスチナ問題を奇跡的に解決し、平和条約を結ばせることが起こるの
だろう。実際、反キリスト(獣)が正体を現し、活躍するのは後半の3年
半となる。
反キリストが活躍する3年半という期間は複数箇所に書かれている。
(42ヶ月、1260日、一時と二時と半時の間などの表現がある。)
● ダニエル7:25
● ダニ12:7
● 黙示12:14
● 黙示11:2−3
● 黙示12:6
● 黙示13:5
この3年半を千年王国との比較で苦しみは限定的であることを比喩的に示
していると解釈する人たちもいる。しかし、複数回3年半は出てくるので、
獣が正体を現し、大胆に活躍する患難期は文字通り3年半と考えて良さ
そうだ。
6) ハルマゲドンの戦い(19章)とゴグ、マゴグの戦い(20章)は同じか?
無千年王国説と千年期後再臨説では同じ戦いとみなす。聖書の時間軸からは再臨後のハルマゲドン(黙示19:19)、千年王国後のゴグ・マゴグの戦い(黙示20:8)となる。またハルマゲドンでは主の口から出る剣で滅ぼされている(19:21)一方、ゴグ・マゴグでは天からの火で滅ぼされている。
これは記述を細かく見れば明快。この2つは違う。
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黙示録22章18節から20節の結論の部分
18私は、この書の預言のことばを聞くすべての者に証しする。もし、だれかがこれにつけ加えるなら、神がその者に、この書に書かれている災害を加えられる。
19また、もし、だれかがこの預言の書のことばから何かを取り除くなら、神は、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、その者の受ける分を取り除かれる。
20これらのことを証しする方が言われる。「しかり、わたしはすぐに来る。」
アーメン。主イエスよ、来てください。
(新改訳聖書2017年版)
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参考本
「子羊の王国」岡山英雄著 いのちのことば社
「ヨハネの黙示録」クレイ聖書講解コレクション 中川健一著
ハーベストタイムミニストリーズ
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意味ある人間関係と祈りで広がるキリスト中心のコミュニティ
Tokyo Metro Community (TMC)
japantmc@gmail.com (栗原)