2020年7月24日金曜日

「ラオデキア教会の行く末」


 世界でのコロナ感染者が約1500万人。朝日新聞デジタル(2020年6月22日)には、コロナ対策アプリに関して、以下のタイトルで記事が載った。

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監視につながる?大事な情報こそ政府に?
「欧州では当初、独仏伊など8カ国でアプリ技術を作り、データを
 政府で管理する「集中型」の仕組みを作ろうとした。」
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8カ国が共同で国民の個人情報を政府が管理する?こんなことがかつてあっただろうか。これには批判が続出してプライバシーを守ることを義務つけたらしいが・・。

日本でもコロナ接触確認アプリの導入が始まっている。またマイナンバーと個人預金情報をつなげる話も出てきている。スマホも顔承認が進み、キャシュシュレスが進み、そのうち、コンビニや駅の改札も顔パスになるのは時間の問題。すでに、FBウイッシュリスト、アマゾンプライム(ビデオ)で自分の好みにカスタマイズされた商品が提示される。便利になると同時に個人情報が流出し、管理が進んでいく。


 

防犯目的で、さらに監視カメラがあちこちに配置される。スマホとの連動で、個人の位置情報だけでなく、そのうち、個人の趣味や思想、信仰までもが政府に管理されることも可能となる。黙示録に出てくる「666の獣の刻印がないと売ったり買ったりできない」が、かなり現実的になってきている。こんなニュースも飛び込んできている。中国各地でここ最近、社会保障の受給者が、自身の宗教を放棄しなければ給付を取り消すと強要されるケースが相次いで報告されている。」ほんの50年前にトンデモ話だったことに現実味が出てきている終わりの時代に生かされている教会を意識せざるを得ない時代になっている


黙示録7つの教会
黙示録2章—3章には、1世紀に実際、存在した7つの教会が出てくる。
すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキアの7教会。これらは時計回りで小アジア半島(現在のアナトリア半島)に点在していた。迫害下にあったそれらの教会に、主は叱咤激励のメッセージを送っている。これは第一義的な解釈。


もう1つ「歴史的・預言的解釈」というのがある。これは、過去2000年の教会史に現れた7つのタイプの教会であるという解釈だ。黙示録が預言の書であることを考えると、あながち間違ってはいない。この「歴史的、預言的解釈」で7つの教会を見てみよう。

1.      エペソ(好ましいの意) 1C「使徒時代の教会の型」 
使徒直伝の「正しい教理」を保持している。たくさん褒め言葉がある。

2.      スミルナ(もつ薬=埋葬の香料)1C~4C「迫害時代の教会の型」  
ローマ皇帝による迫害 地下教会の時代 ローマ皇帝は自分を神として崇めさせた。

3.      ペルガモ(結婚した) 「国家教会の型」C4~C5  
313年 コンスタンティン皇帝によりキリスト教が公認される 
392年 キリスト教はローマの国教となる。    
名前だけの信者が増え、本物の信仰を失い、妥協した教会となる。
          
4.      テアテラ(継続して犠牲=人間的行いによる義) C6~C15 
ローマカトリック:国家に君臨する教会
クリスチャンとは名ばかりの世俗化した宗教指導者が宗教政治をやっていた時代。「暗黒時代の教会」の型 

5.      サルデス(逃れるもの)C16~C17 
プロテスタント「宗教改革時代」の教会
信仰による救い、聖書のみの権威

  グーテンベルクの印刷機が完成したことで、民衆が聖書を直接、読めるようになる。聖書の言っていることに目覚める。聖書を判断基準にするようになる。福音がわかる。当然、宣教に目が開かれる。

6.      フィラデルフィア(兄弟愛) C18~C19 
キリストへの愛、人々への愛。「世界宣教の時代」の教会

7.      ラオデキア(人々が支配する)C20~C21 「背信の教会」の型。
人間の理性を聖書の権威の上に置く「自由主義神学」の台頭。
   聖霊がいない、人間中心主義の教会。
        7番目が最後。8番目は無い。今もこの時代にいる?!


1世紀のラオデキア教会の特徴

また、ラオディキアにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、確かで真実な証人、神による創造の源である方がこう言われる──。 わたしはあなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。そのように、あなたは生ぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしは口からあなたを吐き出す。あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、足りないものは何もないと言っているが、実はみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸であることが分かっていない。わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買い、あなたの裸の恥をあらわにしないために着る白い衣を買い、目が見えるようになるために目に塗る目薬を買いなさい。  わたしはあなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。そのように、あなたは生ぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしは口からあなたを吐き出す。あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、足りないものは何もないと言っているが、実はみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸であることが分かっていない。わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買い、あなたの裸の恥をあらわにしないために着る白い衣を買い、目が見えるようになるために目に塗る目薬を買いなさい。わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
                        (黙示録3:14−20)

それではもう一度、聖書からラオデキア教会の特徴を見てみよう。(3:14−22)
1)      ラオデキアの教会へは「褒め言葉」が一切無い。
2)      冷たくも熱くもない。生ぬるい。キリストの口から吐き出される。
3)      物質的には豊か。霊的には貧しい。
4)      霊的に開眼するための目薬が必要。霊的自己認識が無い。自己満足。
5)      主イエスを締め出している教会。イエスは戸を叩いている。

特に5)が問題である。こんな話がある。ある信仰深い信者が教会を追い出され、しょんぼり道を歩いていると、イエス様がやってきた。彼は「イエス様。私はあの教会を追い出されました。」と言うと、イエス様も言った。『私も追い出されたよ。』

ライデキア教会は今日の教会の姿でもある。悲しいことに今日、聖書を文字通り神の言葉と信じない教会、聖霊の働きを締め出す教会は沢山、存在している。また福音を歪め、物質的豊かさにフォーカスする「繁栄の神学」を広めている教会もある。


今日のラオデキア教会(背教の教会)の特徴とは?
今日の自由主義神学に立つ「背教の教会」の特徴はどんなものだろう? 

1)      聖書の権威の否定。人間の理性を神の啓示の上に置く。上から目線。
2)      三位一体の否定。キリストの神性の否定。人間イエスにフォーカス。
3)      超自然の否定。キリストは愛の人だが奇跡は行わない。
4)      「復活」と「再臨」への懐疑。比喩的に捉え文字通りには信じない。
しかし、「復活」と「再臨」とは1世紀の教会の最大のテーマであった。
み言葉をどう解釈するかの試金石。
5)      聖書やイエスの権威を超えたカリスマリーダー、人間が支配する教会。「新使徒運動」としてすでに起こっている。(使徒職、預言者職の回復)彼らの預言が聖書に優る。リーダーに盲従させ、恐れで支配する。カルト的教会
6) 逆に、恵みを放縦に変え、罪を軽く考える。世俗的。

例えば、韓国系異端クオンパ(日本名は、「グッドニュース宣教会」)は「救いは悟りによる。」と言い、「悔い改めは必要ない。」とする。そして、「律法はすでに廃棄されているので、罪はもはや罪ではない。」と主張する。(*1Cのグノーシス主義?)

こういう教えの背後にはサタンの働きがあることを忘れてはならない。エバは「知恵の実」を食べた。神に頼るより、自分の知恵で判断することを選んだのだ。それ以来、自分の理性が判断基準となった。自分で「神はいない」とさえ判断する。あるいは、「神はこういう方」と人間が決める。聖書の権威より、人間の理性と知恵が重んじられる。聖書を神のことばとして字義通りに解釈しないと、どうなっていくのか? 一度ずれるとズルズルとさらにずれていく。

「ただし、聖書のどんな預言も勝手に解釈するものではないことを、まず心得ておきなさい。預言は決して人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったものです。」
                       (Iペテロ1:20−21)





 ラオデキア教会の行く末

ラオデキア的教会の行く末はどうなるのだろうか?サタンがこれを利用しない訳はない。行く末は「世界統一宗教」だ。(黙示録17章の水の上に座る大淫婦=霊的姦淫者は、「統一化された偽の教会」を表す。)世の終わりには世界統一政府ができる。世界の経済、政治、そして宗教さえ統治する。世界統一宗教への動きは始まっている。「世界宗教者会議」が母体となるのかも知れない。カトリックが母体となるという人もいる。

世界統一宗教の信条は恐らく、このようになるだろう。
1)      人は皆生まれながら神の子。悔い改めは必要ない。悟ればいい。
2)      諸宗教の目指すところは同じ真理、同じ神。
3)      罪はない。過ち。デンマーク聖書協会はすでに罪を「過ち」と訳している。
4)      地獄はない。結局、すべての人は救われる (万人救済論)
5)      新しい倫理観 婚前交渉、離婚、不倫、同性愛 それらは、 単にライフスタイルの問題。罪じゃない。
6)      自分の欲望のために「超能力=霊力」(実は悪霊の力)を使う。物質的に豊か、派手な生活。ニューエイジ的なものの増大。

お分かりだろうか?リベラル神学に則ったラオデキア教会は、容易に世界統一宗教に移行してゆく。(黙示17:15)一度、聖書の権威を捨てれば、ずるずるとサタンの方に持っていかれる。(黙示17:5)

この中で、本物のクリスチャンはラオデキア教会(また、その先の世界統一宗教)から迫害を受ける。(黙示録17:6)「お前らは原理主義だ。『キリストだけが道』という排他的な考えは捨てなさい。世の人々を愛するなら、平和を求めるなら、世と妥協しなさい!」と。

恐らく、環境問題や平和問題、人権問題にも関心を持って取り組むだろう。しかし、キリストなしの人間的な努力は実らない。患難時代の後半は「獣」なる反キリストが、この世界統一宗教さえ取り上げて、非人道的な独裁統治を始めることになる。自分を神として拝ませるようになる。彼は世界統一宗教さえ、自分が出現する踏み台として利用してゆくのだ。(黙示17:16−18)

バベルの塔は神によって壊された。神を排除した人間主義の行き着くところは破滅。仮面は剥がされる。結局、罪の問題を解決しないままでは、地上天国は来ない。

聖書ではやがて主ご自身、再臨され、獣=反キリスト勢力を滅ぼし、そしてサタンを縛り、地上にキリストご自身が統治する王国(御国=メシア王国=千年王国)がやってくると語る。御国は神ご自身が建て上げる

キリストには2つの顔がある。1つは受難のメシア(初臨)。そして、もう1つは、栄光の王(再臨)。これからやってくるのは「王なるイエス」。すなわち御国を地上にもたらすイエス。そこに目を留めていきたい。

「勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせる。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。」
                          (黙示3:21)

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私達はどうすればいいのか?

1)      時代認識が大事。今がどういう時代かを知る?
 「いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかくなって葉が
  出て来ると、夏が近いことが分かります。同じように、これら
  のことを全て見たら、あなたがたは人の子が戸口まで近づいて
  いることを知りなさい。」(マタイ24:32)

 「さらにあなたがたは、今がどのような時であるか知っています
  あなたがたが眠りからさめるべき時刻が、もう来ているのです。
  私たちが信じたときよりも、今は救いがもっと私たちに近
  づいているのですから。」(ローマ13:11)  

2)      御霊の言っていることを聞く。今の時代も、御霊は語っている。
主はあなたにどういうことを語っていますか?聞いて従いましょう。

    「耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。」
                        (黙示3:22)

3) 悪魔の策略に立ち向かう 唯一の攻撃の武器は御霊の剣=真理の御言葉
   「御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。」(エペ6:17)
            バイブルスタディの重要性


背教の時代が来る。御言葉(聖書)を地道に読み、学び、真理から逸れないことが大事。教えの風に吹き回されない。何が正しいのか間違っているのか、背後で働く霊を見極める。こういうことが必要な時代なのだ。

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東京メトロ・コミュニティ
Tokyo Metro Community (TMC)
執筆者:栗原一芳




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