〜そんなもんじゃないだろう、福音〜
英語で ”Is that all you have?”という表現がある。喧嘩している相手に、「そんなもんじゃねえだろう。もっと打ってこいよ。」と言う時に使う。福音?そんなもんじゃないだろう!と言いたい。
多くのクリスチャンは死んだら魂が天国に行き、そこで永遠にイエス様と過ごすと考えている。しかし、不思議なことに、「死んだら天国に行きます。」とストレートに書いてある箇所が見つからない。聖書的にはもっと複雑だ。祝福は幾重にも来る!
「この福音は、あなたがたが神の恵みを聞いて本当に理解したとき以来、世界
中で起こっているように、あなたがたの間でも実を結び成長しています。」
(コロサイ1:6)
新生の祝福:罪の赦し、神の子とされる
現在編:キリストを信じ受け入れた人は
1. 過去・現在・未来の全ての罪赦された。 (コロサイ1:14)
2. 神の子とされた。 (ヨハネ1:12)
3. キリストを長子とする神の家族の一員となった。(エペソ3:19)
4. キリストが異邦人クリスチャンの中にも住まわれる=奥義
(コロサイ1:27)
5. 永遠の命を持っている。(Iヨハネ5:12−13)
6. 「アバ父」と呼ぶ、聖霊を頂いた。(ローマ8:11−16)
7. この地で神の力で歩むエキサイティングな生涯に入った。
(ガラテヤ2:20)
しかし、これで喜ぶのはまだ早い!
朽ちない体に復活
将来編:キリストを信じ受け入れた人は
1. 復活の体をいただく(Iコリント15)
2. 御国を相続する保証を得る(エペソ1:14、ローマ8:17)
どれだけのクリスチャンが、この将来編を理解しているだろうか? 復活は、魂の永続ではない。朽ちない「体」を頂くのだ。(Iコリ15:44、53)
今後、どうなるか? 今、死んだ場合
1. パラダイスに行くーイエスのいる所 (ルカ23:43)
実際にはクリスチャンは「死なない」。イエスのご臨在の中で、その全き平安の中で安らぐ。地上での痛み、苦しみから解放され、癒され、回復される。何という幸いか。「体の復活」の時まで,そこで待機する。パラダイスは一時的な休息所だ。ヨハネ14:2−3の「住むところ=ギモネー」は一時的宿泊所という意味。
生きていて、「携挙」がある場合。(Iテサロニケ4:15−16)
1. 地から引き上げられ空中で主と会う。エキサイティングなイベント!
2. 一瞬にして変えられ、復活の体をもらう(朽ちない、老いない、病気しない。)こんないい話があるだろうか?人類の永遠の願い、すなわち「朽ちない体」を頂くのだ!(Iコリント15章52−53)
もうこれだけで、歓喜極まる。さらに・・・・
天での祝福
3. 天で救われた諸国民と共に賛美礼拝に参加する。(黙示録4−5章)
4. 「キリストの御座の裁き」で報いを得る。白い衣を着せられる。
5. キリストの婚姻に参加する。(黙示録19章7−8)
天での合同礼拝は何と素晴らしいものだろうか?そして「教会」はキリストの花嫁から「妻」になる。(黙示21:9)しかし、これで終わりではない!
回復された地での祝福=御国の相続(1)
6. キリストと共に地上に下る。(黙示19:14)この「軍勢」は複数で
「御使」の軍勢と「聖徒」の軍勢を表すものと思われる。(ユダ14、
第一テサロニケ4:14も参照)
7. ハルマゲドンの戦いで反キリスト軍が滅ぼされるのを見届ける。(黙示19:19)
8. サタンが縛られた後、この地上に実現するイエスを王とするメシア王国で千年間、イエスと共に地を治める。もともと神が意図した悪のない世界を1000年間堪能できる。(黙示20章)
不義、不正、悪が滅ぼされるとは何という希望だろうか!心ある人々はづっと願ってきたのではないか?それは実現されるのだ。アダムに「本来」与えた罪に汚されない、素晴らしい世界を味わわせてくださる。もうパワハラもセクハラも虐待も無い!汚職も戦争も無い!自然は回復され、動物たちとの関係も修復される。「この地上」の回復なのだ。そんな世界で生きてみたいと思いませんか?これは神の意図に合っている。回復の主、贖いの主はこれを実現する。患難期、反キリストがやりたい放題にした混沌とした世界をきちんと回復する。サタンは千年間、指をくわえて屈辱に耐える。これがないと片手落ちだ。神はきちんとサタンに報復する。(IIテサロニケ1:7−8)。
しかし、これで終わりではない。祝福は、まだあるのだ。
9. 白い御座の裁きはパスする。すでに義とされている。キリストのただ一度、完全で永遠の贖いの故である。(ヘブル7:25、27、9:15)
本来、罪から来る報酬は「死」なのだ。(ローマ6:23)人類にとって「死刑」が当然なのだ。しかし、キリストの下さる賜物は「永遠の命」なのだ。感謝に絶えない。何という幸いだろうか?
しかし、まだ、それで終わりではない!
永遠の祝福へ=御国の相続(2)
10.最終的な「御国」である新天新地に入る。(黙示21−22)
11.天から降るエルサレムを目撃する。(黙示21:2)
12.神の幕屋は人と共にある。もはや呪われるものは何も無い新天新地で神の御顔を仰ぎながら王として生活する。(黙示21:3、22:4−5)
新天新地はあまりにも異次元で想像しがたい。千年王国がエデンの園の贖い、再現だとすると、神は失楽園の回復だけではなく、一段上の祝福、新天新地を用意してくださっているということだ。これは神様らしいご配慮だ。
神のご計画は「人類の救い」だけではない!被造物世界すべての「救い」なのだ。被造物も罪の呪いから解放される。(ローマ8:21)キリストの十字架は神と人との和解だけではない。それは「万物」との和解なのだ。(コロサイ1:20)福音のスコープは壮大なのだ。
見てきたように、これでもか、これでもかというくらい、幾重にも重なる祝福が用意されている。実際、パウロはこう言った。
「神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福を持って私たちを祝福し
て下さいました。」(エペソ1:3)
「罪赦されて天国に行く。」それだけではないのです。「福音=グッドニュース」は、そんなもんじゃないんです。福音は「御国」の福音。つまり「御国到来」のニュースなのです。
それでは私達はどう生きるべきか?
私達はこの「大きな物語」を理解した上で、地上の個人の物語を展開させるべきなのだ。パウロはこの物語を理解した上で、教会に仕える者となり、み言葉を伝えるものとなった。伝える内容は多くの世代に隠されてきた「奥義」としての福音を余すとことなく伝えること。奥義、すなわち異邦人の内にも住んでくださる「キリスト=栄光の望み」(コロサイ1:25−27)を伝えることだった。
コロサイの聖徒たちはすべての聖徒に対しての愛を持っていた。それは、福音を聞き、「望み」を持ったからだ。その愛は、天に蓄えられている「望み」に基づいている。(コロサイ1:4−5)クリスチャンは驚くべき「希望=望み」が与えられている。「望み」があるので、地上での生き方が変わってくる。望みがあるから、愛するようになる。刹那的、快楽主義的な生き方をする必要がなくなる。物質的な暮らし向きの自慢に走る必要もなくなる。
英語の表現で、”The best is yet to come.”というのがある。まだまだ、これから。前菜が終わったばかりだ。これからメインディッシュが来る。
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意味ある人間関係と祈りで広がるキリスト中心のコミュニティ
東京メトロ・コミュニティ
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執筆者:栗原一芳
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