人類、皆兄弟?
「人類、皆兄弟。1つの地球家族!」よく聞くスローガンです。共感する人も多いかと思います。確かに人類はアダム、エバから出ていますし、洪水後、ノアの子供のセム、ハム、ヤペテから民族が別れ出ています。そういうことから言えば、確かに同じ先祖を持つ家族でしょう。しかも、バベルの塔事件までは全地は1つの話しことば、1つの共通のことばでした。(創世記11:1)。その後、多言語となり、人々は全地に散っていったのです。
「それゆえ、その町の名は、バベルと呼ばれた。そこで主が全地の話しことば
を混乱させ、そこから主が人々を地の全面に散らされたからである。」
(創世記11:9)
もろもろの国民
それからヤペテはインド・ヨーロッパ語族(インド語派、イラン語派、ギリシア語派、イタリア語派、ケルト語派、ゲルマン語派など)、ハムはハム語族(古代エジプト語派、クシュ諸語、チャド諸語)、そしてセムはセム語派(ヘブライ語、アラム語、アラビア語、エチオピア語)という語派を生み出していきました。
「以上が、それぞれの家系による、国民ごとの、ノアの子孫の 諸氏族である。
大洪水の後、彼らからもろもろの国民が地上に分かれ出たのである。」
(創世記10:32)
興味深いのは「もろもろの国民」が地上に分かれ出たという事実です。1つの国民、1つの文化の押し付けではありません。「もろもろ」すなわち多様性。それが神のご計画であったようです。
「神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞ
れに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。」
(使徒17:26)
「住まいの境」つまり国境のことですね。国があることは神の定めです。それぞれの国が、それぞれの言語、文化を持ち、個性を持って住まうことが神のご計画であることが分かります。
天においても失われないアイデンティティ
やがて神の民は天に集められますが、「諸国」から集められます。
「あなたは屠られて、すべての部族、言語、民族、国民の中から、あなたの血
によって人々を神のために贖い・・」 (黙示録5:9)
「その後、私は見た。すると見よ。すべての国民、部族、民族、言語から、だ
れも数えきれないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立ち、白い衣を
身にまとい、手になつめ椰子の枝を持っていた。 」(黙示録7:9)
天においてもそのアイデンティティを失っていないということです。神は国民、民族、言語を大事にしておられます。それぞれの「個性」が活かされます。さらに興味深いのは新天新地においてさえ、「諸国」が存在することです。
「諸国の民は都の光によって歩み、地の王たちは自分たちの栄光を都に携えて
来る。都の門は一日中、決して閉じられない。そこには夜がないからである。
こうして人々は、諸国の民の栄光と誉れを都に携えて来ることになる。」
(黙示録21:24−26)
神はこの世界をグレー一色には造られませんでした。機能重視だけならそれでも良かったのです。しかし、花や木々の葉は実に多彩な色のグラディエーションが見られます。海の魚、や陸の動物、空を飛ぶ鳥の色や形の多様性は圧倒的です。神は1つの色に塗りつぶさないお方です。クリスチャンになるのに、日本人であることを止める必要はないのです。神の祝福には「生んで、増えること」(創世記1:28)、「生かし、多様化すること」(エゼキエル47:10)が含まれます。
そして、新天新地においてもイスラエルのアイデンティティは失われていないのです。イスラエルが匿名の「教会」に置き換わってしまうのではありません。
「都には、大きな高い城壁があり、十二の門があった。門の上には十二人の御
使いがいた。また、名前が刻まれていたが、それはイスラエルの子らの十二
部族の名前であった。」(黙示録21:12)
奥義としての福音
国々や、民族が仲良く暮らせればいいのですが、実際は「戦争や戦争の噂・・民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり・・」(マタイ24:6−7)という状況が現実です。神と人、人と人、民族と民族の間に罪による隔ての壁があるのです。キリストはその敵意を十字架の上で打ちこわし、和解を成就したのです。
「そのころは、キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、約束の
契約については他国人で、この世にあって望みもなく、神もない者たちでし
た。しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエ
スにあって、キリストの血によって近い者となりました。実に、キリスト
こそ、私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分
の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの
律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新
しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、
十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。」
(エペソ2:12−16)
選民であるイスラエルにとって神を知らぬ異邦人は「犬」と呼ばれ、穢れた存在でした。しかし、夢にも思わぬ事が起こったのです。その異邦人にもイエスを信じると聖霊が降り、神は分け隔てなく、イエスを信じる者を同じ神の家族とされることが確認されたのです。(使徒10:34−36)これは福音により啓示されましたが、旧約時代には、知らされていない「奥義」だったのです。
「この奥義は、前の時代には、今のように人の子らに知らされていませんでし
たが、今は御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示さ
れています。それは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も
共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる
者になるということです。」(エペソ3:5−6)
「すなわち、世々の昔から多くの世代にわたって隠されてきて、今は神の聖徒
たちに明らかにされた奥義を、余すところなく伝えるためです。この奥義
が異邦人の間でどれほど栄光に富んだものであるか、神は聖徒たちに知らせ
たいと思われました。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、
栄光の望みのことです。」 (コロサイ1:26−27)
私達は自動的に「人類皆兄弟、1つの地球家族」ではない!のです。生まれながらにして「神の子」でもありません。キリストによってのみ、壁が打ち壊され、1つとなれるのです。真の世界平和は全ての民がキリストの下にへりくだり、跪く時まで、あり得ないのです。それにはキリストの十字架の犠牲が伴います。罪の問題が処置される必要があるのです。神の子供となることは、当たり前のことではなく、「特権」です。(ヨハネ1:12)
終末には、「人は生まれながらにして神の子、皆、天国に行ける。」というリベラルな神学が流行るでしょう。しかし、異邦人は、キリストによって救われ、神の家族の一員として加えられるのであり、このことは世々隠されていた「奥義」なのです。そして、神の家族に加わったからといって、民族アイデンディディを失う訳ではありません。
世界統一政府の間違い
神抜きの「地球家族形成」は失敗に終わります。なぜかと言うと誘惑者(サタン)が存在し、誘惑される要素(人の罪)が存在するからです。それでもサタンにそそのかされた人々は世界統一政府を試みるでしょう。この世のやり方で「地球家族」を達成しようとします。それは「権力」を使った「支配」です。(マタイ20:25)終末には反キリスト(獣)が君臨し世界を統治します。初めの3年半は「いい顔」をして人々を騙すでしょうが、後半3年半は正体を現します。いかにも偽りの父、サタンのすることです。(IIコリント11:14)この獣は神を冒涜し(つまり神の属性:聖、義、愛の否定)、聖徒たちを攻撃します。さらに国々の民を生かすのではなく、「支配」するのです。「支配」とは1つの色に塗り潰す事です。神の御心とは正反対です。
「天に住む者たちを冒瀆した。獣は、聖徒たちに戦いを挑んで打ち勝つこと
が許された。また、あらゆる部族、民族、言語、国民を支配する権威が与え
られた。」 (黙示録13:7)
おそらく、「獣」は国々から言語、文化を取り上げ、1つの言語、1つの価値システムを強要するでしょう。国境さえ取り払うでしょう。彼にとっては「支配」と「監視」が目的であり、それぞれの個性など、どうでもいいことです。彼は言論の自由、信仰の自由を取り上げるでしょう。反対する者は容赦無く逮捕し、投獄し、抹殺するでしょう。彼の言う事を聞き、「家畜」となって飼いならされた者だけが存在を許されるようになるのでしょう。(黙示13:17) 少数のエリートが「愚民」をデジタル管理する社会です。今もありますね、そのように「獣化」した国が・・全体主義国家は個人の自由と個性を奪います。ものが自由に言えなくなります。やがて来る「獣の国」の予表です。
しかし、人類歴史の暗闇のクライマックスにキリストは再臨されます。ハレルヤ! やがて成就する「御国」は神の愛と義が満ちるところです。これがやがて来る国の特徴です。
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、
自制です。このようなものに反対する律法はありません。」
(ガラテヤ5:22−23)
そして、君臨する王は、サーバントキングです。かつて弟子たちの足を洗った同じイエス様です。(マタイ20:25−28)
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意味ある人間関係と祈りで広がるキリスト中心のコミュニティ
東京メトロ・コミュニティ
Tokyo Metro Community (TMC)
執筆者:栗原一芳
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