初代教会はユダヤ的だった!?
日本のキリスト教界は、戦後、ドイツのバルト神学や、ムーディー、ビリー・グラハムなどのアメリカ福音主義に影響を受けてきた。ユダヤ文化などあまりシリアスに考えてきたことがない。
しかし、考えてみるとイエスはユダヤ人として地上に来られ、忠実なユダヤ教信者として律法を守り、ユダヤ祭儀に参加していた。そしてイエスご自身、安息日にはユダヤ教の会堂(シナゴーグ)で律法を聞き、ユダヤ教のラビとして教えておられた。イエスの12弟子はユダヤ人だったし、新約聖書を書いたパウロやペテロやヨハネはユダヤ人だった。
使徒の働きを見ると、パウロの伝道スタイルは、まずその地の会堂を訪れ、ユダヤ人にイエスがキリストであることを弁明した。少なくも初期段階ではユダヤ人伝道が優先だったのである。会堂管理者がパウロに説教をさせたことから分かるように、この時点では自他共にユダヤ教の一派という意識であり、新しい宗教を始めたという意識ではなかったのだ。それよりも「我々こそが旧約聖書の預言を正しく理解した者」、「イエスがキリストであることを知らされた者」、「旧約の創造主の真の礼拝者」という意識だっただろう。つまりメシアニック・ジューだったのである。
パウロがローマ書11:15−24で解説しているように、異邦人クリスチャンはオリーブの根(旧約聖書=聖書的ユダヤ教)に接ぎ木された「野生の枝」ということになる。その「根」無しに「枝」はあり得ない。小さな新約聖書だけポケットに入れておけばいいという訳にはいかないのだ。旧約から新約、創世記から黙示録までが神の壮大な救いの物語であり、66巻で1つのバイブル(本)となっている。
ところが前回、学んだように「キリスト道」の「公認化・国教化」のプロセスの中で、「キリスト教」という宗教へ変質していく。その過程で、ユダヤ的遺産を喪失してゆく。意図的にユダヤ的要素が排除され、異教的要素が混入されていったのだ。
失ったユダヤ的なもの
再び、ハイドラーの「契約のルーツ」から学んでいこう。彼は教会が失ってしまった大事なユダヤ的遺産が4つあるという。
1) 神に対するヘブル的態度
旧約聖書を読むと分かる通り、ユダヤ人は日常生活の中で神を体験し、神と共に生きていた。しかし、ギリシア哲学では神は学問の対象となり、理論的に分析されるようになる。そして、「神学」が始まる。「キリスト道」は「教理」への知的同意となっていく。
2) 聖書に対するヘブル的態度
ユダヤ人は律法(神の言葉)を愛していた。シナゴーグで巻物のトーラーや預言書が朗読される時、朗読者はまず、巻物に口づけをする。また、トーラー(モーセ5書)を「個人的」に読み、学ぶよう育てられる。6歳になると、シナゴーグでトーラーを読み、暗唱させられる。13歳になると厳格なユダヤ人家庭の子供逹は、トーラー全体、および詩篇と預言書の大部分を理解し、暗唱していなければならなかった。
しかし、ローマ・カトリック時代には聖書は専門家である聖職者だけが触れられ、読み、解説できるものとなった。一般人が聖書を読むことは危険とみなされ、火刑にされた者も出た。このように、神の言葉への「個人的アクセス」と神の言葉への「愛」が失われてしまった。この伝統のゆえか、今でも聖書的知識は専門家である牧師に委ね、自ら聖書を読み、学ぶ者が少ないのが事実だろう。日曜日にしか聖書を読まないクリスチャンも多いのではないだろうか。
3) ヘブル的家庭を重んじる態度
今日、我々の霊的生活は教会活動と結びついている。「サンデー・クリスチャン」という言葉があるが、ある人々にとっては日曜の朝だけがクリスチャンを意識する時で、月曜からは「この世モード」、「仕事モード」となる。しかし、ユダヤ文化では霊的教えや訓練は「家庭」で日常的に行われていた。
「ユダヤ教があらゆる世代において、迫害を乗り越えることができたのは、宗教生活の基盤が家庭を中心とした構造と機能に置かれているからである。・・・家庭こそが彼らの小さな聖所であり、神への礼拝、聖書の学び、他者のもてなしのための聖別された場所なのだ。」(76)
「聖書的に、ほとんどの主要な例祭や祝いは会堂や神殿における公の集いにおいて行われたのではない。家庭の祭司であり、長老である父親によって導かれた家庭での集いによって行われたのである。」(77)
そして、コンスタンティヌス以前は、クリスチャンの集まりも、家庭を中心とした礼拝だった。
「新約聖書を読む時、初代教会のメンバーにとって、幼年時代からの上記のような家庭での安息日の祝いが、霊的生活の核となる要素であったことを覚えておかなければならない。このことは、教会の形成、構造、そして成功に大きなインパクトをもたらしたに違いない。」(78)
4) 人生に対するヘブル的態度
実は、ユダヤ教は禁欲主義ではない。神は「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と人間を祝福して言われた。元々、人間は祝福され、人生は祝福されていた。
「ユダヤ人達は、人生のすべては、神からの恵み豊かな贈り物であると
考えた。ご自身の子らが祝福を楽しむことこそ神の願いであると教え
た。彼らは喜びを断つことが霊的なことであるとは捉えていなかった。」
(81)
「食べ、飲み、感謝に満ちよ、人生は神の賜物だから。」
(伝道者の書3:13)
「神は、ユダヤ人達に毎年自分達の収入の十分の一を捧げ、惜しみなくそれ
を用いて、主の臨在の中で祝いの時を持つよう命じておられる。そのこと
に気づいてるクリスチャンはあまり多くはいない。」(81)
ハイドラーは申命記14:25−26を引用する。きっと多くのクリスチャンはこの箇所を読んだら驚くだろう。
「あなたはそれ(捧げもの)を金に変え、その金を手に結びつけ、あなたの神、
主の選ぶ場所に行きなさい。あなたは、そこでその金をすべてあなたの望む
もの、牛、羊、ぶどう酒、強い酒、また何であれ、あなたの願うものに換え
なさい。あなたの神、主の前で食べ、あなたの家族とともに喜びなさい。」
これが捧げものの用い方だった。捧げ物は返却され、家族の喜びのために用いられたのだ。ちなみに、申命記14:28以下を読むと、捧げられた収穫の十分の一は社会福祉のために使われていることが分かる。(使用目的がはっきりしていた。)
ところが、ギリシア哲学の影響で、キリスト教は貧困や苦難が美徳とされる喜びのないものとなってしまった。また、肉体は悪いものとされ、肉体的苦痛を通して聖なる者になろうとした。肉体や物質を卑しいものとする「霊肉二元論」(グノーシス主義という異端)が今の今までクリスチャンに影響を与えている。例えば、「性」に関しては教会では喋らない。また、身体的活動であるスポーツをポジティブに捉えている教会は少ないのではないだろうか?結果、喜びのないクリスチャンとなり、その生活は未信者をイエスから遠ざけてしまっているのでは?
ユダヤ例祭を祝う
初代教会は多分にユダヤ的であった。第一にクリスチャン達はシナゴーグへ出席していた。そして・・
「初代教会のユダヤ的特色を表す第二の証拠は、クリスチャン達が『ユダヤの』
安息日や例祭を祝い続けたことである。4世紀以降に至るまで、教会が祝い
続けたことを示す証拠は多い。」(207)
しかし、「教会会議」がユダヤの例祭を祝うものを破門するようになる。これは非常に残念な事だ。ユダヤ例祭は、今やキリストにあって新約的に祝うことができるのである。ユダヤ3大祭りといえば、時系列的に「過越の祭り」「五旬節=ペンテコステ」そして「仮庵の祭り」。
過越の祭り:エジプトに最終的な裁きが下る際、イスラエルの民は神の言われた通り、門柱に羊の血を塗り、それにより神の怒りが過越したことに由来する。今や、真の罪なき神の子羊イエスが十字架で完全な罪の贖いを成し遂げられた。(ヘブル9:12)ゆえに、イエスを信じるものは神の怒りに会うことがない。今日、教会で行われている「聖餐式」はルカ22:15−20に基づいているが、これは明らかに「過越の食事」(22:15)であり、儀式というより実際の食事の一部だったのだ。旧約の「過越」を学ぶことで、より深くイエスの贖いを感謝できる。
五旬節:元々はシナイ山でトーラーが与えられたことを祝うものだが、新約的には内側に律法を書き記す聖霊の降臨を祝うもの。これは今日、多くの教会でペンテコステとして祝われている。
仮庵の祭り:元々は「出エジプト」して「約束に地」に至るまで天幕(仮庵)生活をした記念。その間の神の守りと臨在を祝うと同時に「約束の地」到達の祝典でもある。今日でもイスラエルではこの時期、「仮庵」を建てて歌や踊りで喜びを分かち合う。新約的には「来るべき王なるイエス」が直々に治める「約束の地=メシア王国=千年王国」の祝いとして相応しい。
個人的には「メシア王国待望祭り」としての「仮庵の祭り」を現代の教会でも祝って頂きたい。
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執筆者:栗原一芳
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