2021年3月18日木曜日

神の安息に入る

 

安息の概念

大きなユダヤ的遺産の1つが「安息」という概念である。

 

「神は第七日に、なさっていたわざを完成し、第七日に、なさっていたすべて

 のわざをやめられた。神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。

 その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである。」

                    (創世記2:2−3)

 

神は疲れることがないので、休息の必要はないが、私達、人間のためにサイクルを設定して下さったのだ。





 

再び、ロバート・ハイドラー「契約のルーツ」から引用してみよう。

 

「聖書全体を通して、神は『人生のサイクル』を建て上げることの重要性を強

 調しておられる。私達を悪魔の圧迫から解放し、神の良さを深く味わうため

 に意図された祝福のサイクルにつなぎ合わせることが主の願いなのである。」

                             (110)

 

そのために1週間に一度の安息日(休息と祝い)、年毎の例祭(祝典)のサイクルをお建てになった。日々の労苦のまにまに、このように人生の重荷を神に委ね、神の良さを味わう機会を設けてくださったのだ。

 

「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたの

 ではありません。」(マルコ2:27)

 

「(神は)十戒の中に安息日についての命令を含まれた。つまり休みなく1週間

 働き続けるということは、殺人や盗み、姦淫と同じくらい道徳的な問題であ

 るということである。」(112)

 

のべつ幕なしに仕事することは罪でさえある。現代のクリスチャンはどのくらいこれを意識しているだろうか? 「働き過ぎ」、「燃え尽き」は神の御心ではない。この良き伝統を受け継ぎ、初代教会においては、安息日が定期的に祝われていたようだ。

 

「安息日は、主に休息し、楽しむ日であって、集まって礼拝する日と同じでは

 ない。」(114)

 

実際、初代教会の信者は礼拝のためには毎日集まっていた。(使徒2:46)安息日が特別の「礼拝」の時間という訳ではなかった。安息日の一番のポイントは「仕事をしない」ということだ。

 

 

安息日を尊ぶべき7つの理由

ハイドラーは以下の7つの理由を挙げている。

 

1.      安息日を通して、創造主である神を讃える。

2.      安息日は神からの供給を祝うことである。

* 忙しすぎて休めないという人は、神の供給を信頼していない。

3.      安息日を通して、私たちは神の良さに思いを馳せる。

4.      安息日を通して、私達の信仰が建て上げられる。

5.      安息日は救いを表す。

   救いは、主の業であることを認識する。(ヘブル4:10)ユダヤ人は、安息日には断食もせず、禁欲的に宗教的であろうとはしなかった。

6.      安息日は天国を表す。

7.      安息日は神の祝福を解き放つ。

 

「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。」(出エジプト20:8)

 

「聖なるものとする」とは「特別なものとする」という意味だ。通常通りであってはならない。つまり、日常的に行われている仕事から離れ、特別な時間を持つということだ。

 

 

安息日の過ごし方

NYリディーマー教会牧師のティム・ケラーは、安息の持ち方について以下を挙げている。

 

6つの安息的休息の取り方

1。まったくスケジュールのない時間を持つ。

2.「仕事」ではない時間を持つ。

3。思い巡らす時間を持つ。沈黙や瞑想。

4。神の創造の美を楽しむ時間を取ること。散策など。

5。関係を育むために時間を取る。大切な人とゆっくり時間を過ごす。

6。あなたの仕事に「安息」を注入する。仕事の途中でもブレークを取る。

 

忙しすぎる・・・とは結局、神を信頼していないこと。自分がコントロールしなくては・・・と思っていること。つまりは、自分が神になっていること。

全てを治めている主を信頼していないことになる。どの日でもいい。1週間に一度は「解放と安らぎ」の日を持つことが大切。日曜日を安息日とすることは良いが、奉仕や会議で疲れ切ってしまうなら、真の安息日とは言えない。

 

 

救いの歴史における3つの安息

ヘブル書4章から、安息には「過去に実現した安息」「現在的な安息」「将来的な安息」があることが分かる。

 

1)過去に実現した安息=「約束の地」(ヘブル4:8)

  モーセはエジプトから奴隷状態だったイスラエルの民を解放し、約束の地

  カナンへと民を導いた。しかし、その後、周辺諸国から絶えず攻撃された

  ので、これが完全な安息ではなかったことが分かる。(ヘブル4:8)また、

  この「安息」はイスラエルの民だけに約束されたものであった。

       

2)現在的な安息=神の臨在=安息日の休み(ヘブル4:8—9)

  イエスが罪と死から私達を解放してくださったゆえ、イエスを信じる者は  

  神の平安(ヨハネ14:27)=安息を得ている。死の恐れの奴隷となっ

  ていた民は平安を得て(ヘブル2:15)、(ローマ8:1)(エペソ2:1

  5−18)神のご臨在を楽しめるようになる。これは全人類に開かれた「安

  息」である。主は全人類をこの安息に招いておられる。だから「今日もし、

  御声を聞くなら、あなた方の心を頑なにしてはならない。」と言われたのだ。

 (ヘブル4:1、4:3、4:7)メシアニックジューと異邦人クリスチャ

  ン共に与ることのできるものであり、クリスチャンであるあなたが「今」

  味わっている安息である。この安息は究極の「安息」へとつながる。

       

3)将来的な安息=天地創造7日目の「神の安息」=完全な安息

  これは、新天新地にて成就する。新天新地においては「呪われるものは何

  もない」(黙示録22:3)とある。ついに、アダムの罪による労働の呪い

 (創世記3:19)が全く取り除かれ、完全なる安息が成就する。もっとも

  神にあっては、「わたしの安息」(ヘブル4:3)は、創造のみ業の第7日

  目に成し遂げられている。(ヘブル4:3−4)信じる者は、この神の安息

  =完全かつ永遠の安息に入れられる。(ヘブル4:3)

     

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執筆者:栗原一芳

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