2021年10月21日木曜日

当たり前が当たり前でなくなる日


当たり前が当たり前でない日が来た

2019年の写真を見返してみると誰もマスクをつけていません。あの時、日本中の人がマスクをして外出する姿を想像できたでしょうか?日曜日には、当たり前のように会堂に集い、皆で賛美し、礼拝し、コーヒーを飲み会話をし、交わりをしていました。会堂で礼拝することができなくなる日が来るなんて考えも及びませんでした。



先日、政府分科会の尾身会長が「落ち着くまでにあと2〜3年」と言う発言をしていました。これを聞いてガックリしたのは私だけではないでしょう。人と会えない、会食できない、会議はzoom。ライフスタイル自体が変わりました。もう2019年の生活には完全には戻れないのかなと心配しています。

 

当たり前が当たり前でない日が来たのです!

 

 

80年前の非日常

そう言えば、太平洋戦争に突入していった日本は同じような体験をしました。当たり前に聞いていた洋楽は敵国音楽として禁止され、ジャズも聞けなくなりました。野球でさえ、「バッター」という英語は敵国語として禁止され、「打者」と日本語に言い換えて言わなければならなくなったのです。会堂での自由な礼拝は監視されるようになり、王なるキリストの「再臨」を語ることができなくなりました。当然、伝道活動もできません。戦前の当たり前の日々は、当たり前でなくなったのです。

 

 

目の前にある危機

今後、二人に一人が死ぬエボラ熱のような死亡率の高いウイルスが蔓延したら、きっと外出禁止となるでしょう。ビルゲイツは、次期パンデミックは10倍酷いと予言(?)しているそうです。どうして彼が分かるのか不思議ですが・・。震度7の首都圏直下地震や富士山の大噴火があれば、日常生活はいきなり非常事態となります。また、香港やミャンマー、アフガンで起こっていることを見ると、あっという間に政権がひっくり返り、自由が奪われることも見ています。北朝鮮のミサイル?中国の台湾侵攻?日本でも今後どうなるか分かりません。アメリカの弱体化で世界のパワーバランスも変わってくるでしょう。

 

その時、「ああ、あの頃は路上でトラクト配れたよね。」「路傍伝道で演説しても、逮捕されなかったよね」と言う時代が来ないとも限りません。

 

 

この夏のオリンピック

この夏、私はオリンピック伝道に携わりましたが、本来なら、海外から多くの宣教チームが来日し、世界から集まる人々を対象に「東京にいて世界宣教」ができる大チャンスだったのです。それがコロナにより、海外観客の入国は禁止、国内でも無観客となり、大変な制限下での伝道を迫られました。それでも路上でオリンピック伝道小冊子を仲間たちと配ることができました。最低限でも「種まき」ができたこと感謝です。しかし、近い将来、トラクト配布さえできない日々が来るのかも知れません。

 

「わたしたちは、わたしを遣わされた方のわざを、昼のうちに行わなければなりません。誰も働くことができない夜が来ます。」(ヨハネ9:4)

 

時代は反キリストの「闇の力」がこの世を覆う、大艱難時代に向かっています。聖書の価値観や倫理観に固執するクリスチャンは批判の対象になっていくでしょう。人間の知恵によるGood without God (神なしの善)が好まれていきます。伝道活動は、ますます困難になっていくでしょう。

 

当たり前が当たり前でない日を、すでに体験しています。将来、さらに制限のある日々が来ることが予測されます。そう考えると、「今」できることをしっかりやること。「あの時はできたのに・・」と後悔しないよう、「やれることをやる」必要性を痛感しています。

 

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執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

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