2022年12月22日木曜日

聖書から見る「独身」という生き方

 

「教会の『三会』このままで大丈夫?」

「舟の右側」(2022年12月号)に掲載された水谷潔氏の「教会の『三会』このままで大丈夫?」という記事は興味深かったです。教会の「三会」すなわち、「壮年会」「婦人会」「青年会」です。これだと40代の独身者は「居場所」が無くなります。そして、そういう方は増えています。無理して入っても、話題が「子育て」や「夫婦関係」の話となるとついていけないでしょうね。また、今日、珍しくない「離婚者」や子供のいない夫婦は教会で肩身狭い思いをすることになります。さらに今後は「性同一性障害」の方のことも考えなければならなくなります。

 

また一時、もてはやされた結婚セミナーや恋愛セミナー講師のジョシュア・ハリスさんが離婚されたことにも触れ「正しいことを書いているけど、あまりに理想論で、逆に人を苦しめることになるから、柔軟な受け止めが必要だよ。」と以前からコメントしていたことが書かれています。重いコメントですね。

 

先日、こんな話を聞きました。日曜礼拝に親子で欠かさず参加していた家族。帰宅して食事の時、小学生の子供がこう言いました。「お父さんは教会に住んだらいいよ。」「なぜ?」と親が聞くと、「だって、お父さんは教会にいるときには優しいお父さんで、お母さんにも怒鳴らないし・・・」と言ったというのです。どうも教会ではいい顔をしてしまっているようですね。

 

それでは結婚と独身について聖書から見ていきましょう。

 

生めよ、増えよ

確かに創世記では神は「生めよ、増えよ」(創世記1:28)と結婚して子供を産むことを命じています。「基準」は結婚して子供を産むことだったのです。また神が命じているということは、「結婚」して男女が一体となることは、神の御心だった訳です。男女が愛し合い、子供を作るような体の構造を造られたのです。事実、旧約時代には子沢山であることが神の祝福と考えられていました。

 

パウロの考え

しかし、新約時代に入ると、今度は一転してパウロはこう言うのです。

「私が願うのは、すべての人が私のように独身であることです。」

                   (Iコリント7:7)

 

そのあとに「人それぞれの生き方があります。」と言い、結婚が唯一のライフスタイルではないことを説いています。さらに

 

「結婚していない人と、やもめに言います。私のようにしていられるなら、それが良いのです。」(8節)

 

独身のままで良いのだと言っています。そして、「欲情に燃えるより結婚する方がいいからです。」Iコリント7:9)随分と消極的というか、「仕方ない」という印象すらありますね。「結婚する人は良いことをしているが、結婚しない人はもっと良いことをしている」とまで言っています。(38節)

 

32節からは、普遍的な原則が書かれています。

 

「独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を配ります。しかし、結婚した男は、どうすれば妻に喜ばれるかと世のことに心を配り、心が分かれるのです。独身の女や未婚の女は、身も心も聖なるものになろうとして、主のことに心を配りますが、結婚した女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世のことに心を配ります。  IIコリント7:32−34)

 

主に喜ばれることを優先するなら、結婚しない方がいいとも取れます。これだけパウロが言っているにも関わらず、水谷氏も言うように日本の教会は「生めよ、増えよ」だけを強調し、メッセージをし、結婚し、家庭を持っていることの方を「良し」とする傾向があったように思えます。

 

ただし、7:25節以下を読むと、「差し迫っている危機のゆえに・・」とあり時代的背景、すなわち迫害が起こっている中であることを考慮して、独身を勧めていることが分かります。「ただし、結婚しても罪を犯すわけではない。しかし、結婚する人たちは身に苦難を招く」と言うのです。せっかく結婚しても、すぐに相手が迫害にあって殉教してしまったら悲しいことです。残された子供も不幸です。

 

現代社会での状況

初めは「生めよ、増えよ」で良かったのですが、罪がはびこると状況や環境が変わってきます。せっかく育てた青年たちが戦争に駆り出され、戦場で亡くなっていきます。悲しむ母親の顔を見たくありませんね。そして、犯罪、テロ、ブラック企業、誹謗中傷による自殺・・・・さらに、今、世界人口は80億!人間社会が出すCO2は森林が吸収する量の1.7倍だそうです。エネルギー問題、食料問題、どうなるんでしょうね。ただ、日本のように少子高齢化で人口が減少している国もありますね。

 

子供を取り巻く環境も激変しました。自分の小学校時代とはまるで違います。スマホ、ゲームが子供達の生活を一変させました。また、虐待、いじめ、家庭内暴力・・・子供を健全に育てるのが難しい世の中になってきました。子供を持ちたくても経済的に難しかったり、女性も仕事を諦めたくなかったりと状況も変わっています。

 

水谷氏によると、現在、日本では生涯、結婚しない女性は2割近くいて、5人に1人は結婚しない。また5.5人組に1組の夫婦に子供が与えられていない。そして3組に1組が離婚するというのです。つまり、結婚をして、離婚しないで、しかも子供がいる女性は40数パーセント、半分以下です。ですから「婦人会で集まりましょう」と言っても難しいというのです。育休の理解は、少しは進んだものの、賃金は上がらず、物価は上昇、それに教育費は大変なものです。そうなると経済的にも余裕のある人しか子供を育てられない状況です。

 

また、アメリカではクリスチャンの間の離婚率はノンクリスチャンと変わらないといいます。大騒ぎして結婚して、すぐ離婚する芸能人たちのことを見ています。離婚の悲劇や家庭内暴力を見てきた子供たちは、結婚しようと思わなくなるかも知れませんね。また、結婚したとしても、その中身が大分、変わってきています。先日、ある番組で若い人たちが「結婚しても寝室別々はありだよね。」と言っていました。同棲や事実婚も増え、結婚とは役所に出す「紙」のことになってしまった感があります。確かに結婚していれば「幸せ」という訳でもないようです。最近は「夫源病」と言って、夫が原因で体調不良になる妻がいます。結婚しているゆえに「孤独」を感じている夫婦も少なくないでしょう。特に日本人の男性は退職すると会社付き合いも無くなり、近所に友達がいるわけでもなく・・という状態になります。必要なのは「コミュニティ」ですね。

 

都会では「おひとり様仕様」が多くなり、独身生活が便利になりつつあります。個人的「自由」やプライバシーを重視する傾向もあります。結婚に強い必要性や願望を持たない人も増えているんでしょうね。一人でいる「自由」を選びたい人が増えているのではないでしょうか。「2次元オタク」のようにアニメ世界で満足している人もいます。今後、男女関係は、面倒くさい生身の人間関係より、AIメイトや、メタバースなど、ネットの中で済ます人も出てくるでしょう。

 

イエスの独身に関しての考え

家庭を持つことがそれほど重要な絶対的な価値であるなら、どうしてイエスご自身は家庭を持たなかったのかと言う疑問が出てきます。家庭を持って理想の家庭のモデルを見せて欲しかった!しかし、イエスは独身を貫きます。当時ユダヤでは男子は13歳で成人式を迎え、親は結婚相手(許嫁)を探し始めます。

しかし、イエスは十字架にかかる33歳頃まで独身であった訳です。そして、独身に関してイエス様の見解はこうです。

 

母の胎から独身者として生まれた人たちがいます。また、人から独身者にさせられた人たちもいます。また、天の御国のために、自分から独身者になった人たちもいます。それを受け入れることができる人は、受け入れなさい。

               (マタイ19:12)

 

つまり

  独身者として生まれた (障害などで結婚が難しい人?)

  人から独身者にさせられた(離婚や死別)

  御国のために自分から独身者になった人

 

3番目は、「それが受け入れることができる人は、それを受け入れなさい」と勧められています。もちろん、家庭を持つことは祝福です。しかし、同時に夫婦関係や子供達の問題で宣教に集中できなくなる牧師や宣教師達もいます。独身者にチャレンジや問題がないわけではないですが、宣教のために自由に使える時間は多いでしょう。

 

ただ、この3つのカテゴリーに必ずしも当てはまらない人もいるのではないでしょうか。結婚したいと願いつつも、出会いがない人。御国のために献身はしているが、独身を貫くことを決めている訳ではない人。強い願望はないけれど、ふさわしい人が現れれば、結婚しようと思っている人など・・・。

 

 

復活の時は御使のよう

イエスは私達が復活時に体を頂く時は「御使」のようになると言っています。

 

復活の時には人はめとることも嫁ぐこともなく、天の御使いたちのようです  (マタイ22:30)

 

復活時には結婚の制度自体が無くなるのです。つまり結婚は今、この地上にいる限りの制度だということです。だからといって大切じゃない訳ではありませんが、永遠、絶対の制度でもないのです。デスペンゼーション主義者の多くは、千年王国は、「復活の体」を持った信者と、患難期に生き残った「地上の体」を持った信者のミックス状態だと考えています。ちょっと違和感があるかも知れませんが、復活のイエスは、地上の体を持つ弟子たちと会話や会食をしています。ミックス状態です。また、現在でも結婚する人もいれば、独身で通し、子供を産まない女性たちも多くいます。今も、既婚者、未婚者のミックス状態です。そう考えれば、千年王国の状態はさほど不自然ではないのです。千年王国はこの地上の続きですが、新天新地では永遠の秩序に変わるので、そこでは全員、「復活の体」=「御使のよう」になっています。そこでは結婚制度はなく、再生殖もないでしょう。

 

差し迫っている危機?

パウロはローマ時代の激しい迫害の時を指して「差し迫っている危機」と言っています。今日の状況も「差し迫っている危機」と言えないでしょうか。これに関しては、近日中に詳しく書きたいと思っていますが、患難時代に向けて、クリスチャンにとっては、さらに難しい時代になるでしょう。反キリストは「まだ」現れていませんが、不法の秘密は「すでに」働いています。(IIテサロニケ2:7)そろそろパウロの言葉をもう一度、考えてみる時なのかも知れません。

 

兄弟たち、それぞれ召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。未婚の人たちについて、私は主の命令を受けてはいませんが、主のあわれみにより信頼を得ている者として、意見を述べます。差し迫っている危機のゆえに、男はそのままの状態にとどまるのがよい、と私は思います。あなたが妻と結ばれているなら、解こうとしてはいけませ ん。妻と結ばれていないなら、妻を得ようとしてはいけません。しかし、たとえあなたが結婚しても、罪を犯すわけではありません。たとえ未婚の女が結婚しても、罪を犯すわけではありません。ただ、結婚する人たちは、身に苦難を招くでしょう。私はあなたがたを、そのような目にあわせたくないのです。兄弟たち、私は次のことを言いたいのです。時は短くなっています。今からは、妻のいる人は妻のいない人のようにしていなさい。 Iコリント7:24−29)

 

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執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

 

 

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