2022年12月8日木曜日

捕囚としての生き方(2)〜善と悪、混在の時代


 

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私達、神の民は、ある意味「現代のバビロン」での捕囚生活を強いられている。

イエス・キリストを救い主として崇めない文化の中で暮らしている。それどころか「この世の神」であるサタンが空中を支配している中に生きている。クリスチャンの価値観とは相対する世俗の価値観の中で生活している。その葛藤の中で、どう生きればいいのだろうか。希望はあるのだろうか。

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善と悪の混在の時代

時代認識をすることが重要だ。今はどんな時代なのか?今が「千年王国」と主張する人もいるが、今の時代、サタンは、まだ底知れぬ穴に縛られ活動を制限されている訳ではない。世界の状況を見ると、サタンは大活躍している。悪は、はびこっている。悲惨な事が毎日起こっている。これが現実だ。それでは善はないのか?神はいないのか?それも結論を出すには早すぎる。

 

今は「混在」の時代なのだ。サタンも悪も、神と神の国と共に共存している。この世は「サタンの王国」のグローバリズムと「神の国」のグローバリズムが勢力争いをしている空間なのだ。キリスト教界にも「麦」と「毒麦」が共存している。だから、統一教会など異端が存在するのはある意味、想定内なのだ。キリスト教界に「背教」が起こるのも預言されている以上、想定内なのだ。大変、悲しい事ではあるが、驚きすぎてもいけない。背教は起こるのだ。また、患難時代に向けて、闇の帝国は広がるのだ。キリストの地上再臨に向けて、闇の力はマックスになる。もう一度、まとめてみると・・

 

  私たち神の民は「しばらくの間」この世にいる。

  この世は「善と悪」「麦と毒麦」の混在状態。

 

その中で、聖書は希望のメッセージを語っている。すべて精算される時が来る。新しい時代がやってくる。悪は滅ぼされ、メシアが世界を義と愛で支配する時代が来るということだ。

 

分かってはいるけれど・・・

聖書的には終末に向けて闇の世界(反キリスト的価値観)は広がっていく。先日のG20に「グレートリセット」を主張する世界経済フォーラムの創立者シュワッブ氏が出席していた。世界のリーダーは世界経済フォーラムの提唱する流れに向かっていくのだろう。もはや、右とか左、保守とか革新ではなく、グローバリズムと反グローバリズムの戦いと表現する人もいる。反キリスト思想のグローバリストの支配が近づいている?統一政府に向かっての動きが始まっている?大方そういう事だろう。やがて近いうちに世界的なデジタル管理社会がやって来ることは避けられないのだろう。

 

分かってはいるが・・かといって、それに反対してどうなるのだろうか?インターネットが発明され普及したことも、言うなれば、デジタル管理社会の足がかりだった訳だ。しかし、世界統一政府に反対する人たちもインターネットを使ってyoutube, FB, ツイッターで発信している。キャッシュレス社会のツールとしてのスマホも使っている。インターネットによりコロナ渦でもzoomでクリスチャンが集うことができている。インターネットやSNSで福音が、今まで届けなかった人々にも届いている。テクノロジー自体はニュートラルでキリストのためにも、反キリストのためにも使えるのだ。間違いなく、コンビニやスーパーはキャッシュレスになる。マイナンバーカードに反対する人は、その前段階であるスイカやパスモは使わないのだろうか?おそらく使っているだろう。自分はマイナンバーカードが免許証や保健所と紐づけられれば、便利なので使うだろう。個人情報の流出?すでにFacebook, Amazonで吸い取られている。それを知りつつ、自分は使っている。

 

一体、どこまで、何を反対すればいいのだろうか?

 

産業革命以降、都市化、世俗化が急激に進んだ。その分、信仰者には、チャレンジも多い。しかし、その現代のバビロンの中で、クリスチャンたちは信仰を保ちつつ、都市化の利便を受けながら生き抜いてきた。福音も広めてきた。

 

反対に関しては是々非々があるだろう。しかし、時代の認識は必要だ。(マタイ24:32−33)

 

クリスチャンとしての「踏み絵」

クリスチャンにとっての踏み絵は「獣=反キリストを拝め!」と命じられた時だろう。その時は、断固として拒否するべきだろう。シャデラク、メシャク、アベデネゴのように。また、「創造主に祈るな!」と命じられたら、ダニエルのように拒否するべきだろう。ただし、それは自分の意思力ではできない。その時に与えられる恵み(不思議な力)によることになる。(IIテモテ1:7、2:1)そして主は、その力をきっと与えてくださる。だから心配しなくてもいい。3度もイエスを拒んだ臆病者のペテロは、宣教を禁止された時には、「人に従うより神に従うべきです!」(使徒5:29)と大胆に告白した。私たちも「踏み絵」的な状況にあっては、神の恵みによって、そうすべきなのだ。

 

そして、常に王なるイエスを思い、繋がり、(IIテモテ2:8)イエスへの信仰を告白し、希望について弁明できる用意をしておくことだ。(Iペテロ3:15)

 

(つづく)

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執筆者:栗原一芳

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