私は、キリスト教徒ではありません!
「私はキリスト教徒ではありません。」と言ったら驚かれますか?イスラム教や仏教など世界諸宗教の中の1つとして「キリスト教」という宗教をやっていると言うなら、そうではないのです。先日、明治神宮前で初詣の人対象の路傍伝道をやっていた時、ある人が近寄ってきて「聖書もいいけど、一応、ここは神社なんだから・・・日本人なんだから・・・」と文句を言ってきました。そう言う背景には「日本には神道がある。わざわざ外国の宗教であるキリスト教を神社前でやることはないだろう。」という事なのでしょう。しかし、聖書は「はじめに神が天と地を創造した。」から始まっているのであり、また、「神の似姿に人を創造した。」とあり、特定の宗教の話ではありません。自分はキリスト教という、ある特定の文化が作り出した「宗教」をやっているという自覚は全くありません。
そういう意味では「聖書はキリスト教の経典」ではないし、「私は、キリスト教徒」ではないのです。クリスチャンという名でさえ、第1世紀に反対者たちが信者につけた「あだ名」であり、神がそのように呼びなさいと言ったわけでもありません。当時はただ「この道」と呼ばれていました。
実は人類には「アダム系の旧人類」と「キリスト系の新人類」の2つしかありません。私はキリスト系の新人類に属している者です。
キリスト教は西洋の宗教?
よく、「自分は日本人だからか、仏教徒です。」という人がいます。しかし、仏教はインド産であり、輸入された宗教です。しかも、だいぶオリジナルから歪められた形で日本にたどり着きました。「キリスト教は西洋のもの」も変わってきています。1970年頃を境に西洋にいるクリスチャンより西洋以外のクリスチャンの人口の方が多くなっているのです。統計的にもう「キリスト教は西洋の宗教」ではないのです。伸びているのはラテンアメリカやアジアです。
今だ「キリスト教は西洋のもの、日本人には合わない」という議論があるのは残念な話です。お隣の韓国ではキリスト教人口はある時期、25%くらいになりました。かつては北朝鮮のピョンヤンは、東洋のエルサレムと言われるほど、リバイバルが起こり、キリスト教が盛んだったのです。西洋のものだからアジアには合わないのでしょうか?聖書の舞台は中東であり、イエス・キリストはパレスチナ人だったので、「キリスト教は中東の宗教」という方が、まだ当たっています。正しくは、キリストが全人類の「真理であり、道であり、命」なのです。
日本に来た仏教が変質してしまっていたように、東方正教会(ギリシア正教、ロシア正教)やローマカトリックとして西洋に広まった宗教としての「キリスト教」はすでに変質してしまっていたのです。そのターニングポイントは313年のローマ皇帝コンスタンティンによるキリスト教公認と392年に国教化された時です。国教となれば、信仰があってもなくても、家代々「キリスト教」となります。これが「宗教、キリスト教」の始まりです。信仰は形骸化し、教会は組織化され、権力化されていきます。流石にこれじゃ、ダメだということで、ルターやカルビンによる「宗教改革」が起こり、プロテスタントが生まれます。しかし、十分な改革ができたとは言えません。カトリック的な構造や形式を引き継いでいる部分も多々あります。
西洋コンプレックス
19世紀、20世紀は世界宣教の時代。多くの宣教師が西洋から非西洋へ派遣され、宣教活動に勤しみました。それは良かったのですが、その過程で「西洋的キリスト教」が押し付けられていたった経過もあります。一昔前は、教会学校のイエス様のイラストが青い目の金髪だったりしたこともあり、誤解を与えてしまったことも事実でしょう。そして、キリスト教の本場はやはり、西洋であり、欧米から来た背の高い牧師や宣教師が特別講師として立った方が大会での人集めができるという悲しい事実は今でもあります。日本人が講師だとレベルが落ちるような印象があります。また海外で盛んなミニストリーを日本に輸入して流行らせようとする動きも変わらずあります。海外で作られたテキストやトレーニングマニュアルを翻訳して、訓練して、やらせようとするのです。
しかし、そういう「運動」はやがて衰退します。日本人が苦労して、この地で開発したものの方が長期的には、効果的なのではないでしょうか。
新しい層の出現
今まではピラミッド型の組織形態があり、上が変わらない限り変化を起こすことは難しかったのです。しかし、今日SNSの発達により、同じプラットフォームに立ち、誰でもが発信できるようになったのです。学生がyoutubeでメッセージをし、教会の牧師より多くの人をキリストに導くことだって可能なのです。
最近、既存の教会に行かないでダイレクトにイエス・キリストと結びつき、
クリスチャンとなり、SNSでゆるくつながっている人たちが現れています。いわゆる「野良クリスチャン」たちです。この人達は自分を「キリスト教徒」だとは考えていないでしょう。ただの「キリストの弟子」たちです。「フラットアース」や「陰謀論」を入り口に聖書に出会い、救われた人たちが周りにいます。Qアノン系の陰謀論者は、この世界は何かおかしい、この世の背後に巨悪が存在すると信じています。福音派クリスチャンと似た世界観があるので、伝道しやすいのではないでしょうか。イエス様も当時の社会のはみ出しもの(収税人や売春婦)をお招きするのが大好きでしたね。
イエス・キリストは当時の権力層からは排除されました。権力層の既得権益を損ねる存在だったので、邪魔者扱いされたのです。宮清めをすることで、宮ビジネスで儲けていた大祭司ファミリーの反感を買ったのです。宗教指導者たちはイエスを疎ましく思っていました。しかし、一般群衆はイエスの御業を素直に喜びました。(ルカ13:10−17)宗教指導者より、信徒の方が真理をより良く見抜いている場合もあるのです。イエスに続く使徒たちも上からは睨まれる存在でした。組織力も、財も無く、また資格も無い、「無学で普通の人」でしたが、(使徒4:13)聖霊によるムーブメントに乗っかり、あれよ、あれよと言う間に世界に広がったのです。(使徒9:31)
キリスト教という「宗教」は廃れるかも知れません。形を維持しようとするだけなら限界が来るでしょう。しかし、聖霊は今も働いておられます。私たちの想像を超えた形で、「新しい層=キリスト系新人類」を出現させることはできるのです。思ってもみなかった形で神の「エクレシア」が広がっていくのでしょう。そう考えると悲観より、期待しかありません。
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださった」
(Iコリント2:9)
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執筆者:栗原一芳