2023年1月19日木曜日

成功の怖さ


多くの人は成功したいと願っているでしょう。成功を目指して歩んでいるでしょう。成功することは悪いことではありません。ここでは、「成功」を「地位、名誉、財産を得て、安定した生活をすること」と定義してみましょう。このような成功による「安心」は、ルカ12:15の「金持ちの話」に象徴されていますね。聖書を見ると、そのような成功をした後に、堕落してしまう人の例が多く書かれています。全てがうまくいってしまうと、高慢になり神を忘れてしまうからです。自分の力、富の力に頼り始めると危ないのです。

 

強くなり律法を捨てる王

 

レハブアムの王位が確立し、彼が強くなると、彼は主の律法を捨て、彼とともにいた全イスラエルもそうした。   II歴代誌12:1

 

特にリーダーが堕落すると、影響は下のものに及びます。国のリーダーの場合は深刻ですね。

 

彼らがへりくだったので、わたしは彼らを滅ぼさない。間もなく彼らに救いを与える。わたしの憤りがシシャクの手を通してエルサレムに注がれることはない。 II歴代誌12:7)

 

しかし、同時に、へりくだる時、神の憤りは取り去られ、救いが来ます。

 

第二歴代26:16を見ると明らかなように、サイクルがあります。 

 

        高ぶる → 不信仰 → 身を滅ぼす

 

サウル、ダビデ、ソロモンの場合

連戦連勝で国が大きくなったダビデ王は気が緩んだ時にバテシェバとの姦淫を犯してしまいます。しかし、彼の場合は預言者ナタンに指摘され、罪を認め、方向転換したので罪が赦され、滅びを免れました。

 

あなたのしもべを傲慢から守ってください。それらが私を支配しないようにしてください。そのとき私は大きな背きから解き放たれて、全き者となるでしょう。  (詩篇19:13)

 

これはサウル王とは対照的です。メタノエア(方向転換)しないサウルはダビデへの嫉妬に狂い、堕落していきます。最後は神に見放され、女霊媒師のところにお伺いをたてに行くほど、落ちぶれてしまいます。ちなみにサタンは高ぶったまま、神の敵対し、決してメタノエアしない存在です。ですから御使に戻れず、すっとサタンなのです。

 

ソロモン王も神殿の奉献式の時は立派な祈りをし、神殿には神の臨在が満ち溢れていました。しかし、後年、異邦人の妻をたくさん娶り、偶像礼拝に陥っていきます。その結果はあまりにも悲惨で、南北に分断された王朝は、基本的に偶像まみれになっていき、最後、イスラエルの民は、捕囚として外国へ連行されていきます。

 

反キリストのモデル、ネブカドネツアル王

バビロンのネブカドネツアル王は自分の巨像を作り、全国民に拝ませるという高慢な王でした。当時のバビロンは金に象徴される輝かしい国家で川の上に建設された難攻不落の都市だったのです。しかし、その高ぶりのゆえに「獣」の心が与えられ、人間界から追い出され、雨露に濡れ、野に住む獣となってしまいます。ちなみに、終末に現れる反キリストは「獣」と言われています。人の心のない、「獣」なのです。ネブカドネツアル王はついに人の心を取り戻し、へりくだり神を認めます。諸国を司るのは神であることを知るのです。(ダニエル4章)彼は神の前にへりくだったので人間に戻れましたが、終末時の反キリストは最後まで、へりくだらないので、再臨のキリストに火の池に投げ込まれてしまいます。悲惨な結果です。ちなみに栄華を誇ったバビロニア帝国は一夜にしてメド・ペルシャに滅ぼされてしまいます。(ダニエル5:30−31)人の栄華はそんなものです。

 

今も働いているサタン

「訴えるもの」であるサタンは、今も人々の心に働き、金、権力で人々を神から離れさせようとしています。「金銭を愛する事があらゆる悪の根」(Iテモテ6:10)とまで言われています。現に、サタンは「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、この世の全ての王国と栄華をあなたにあげよう」(マタイ4:8−9)と言ってイエスをさえ誘惑したのです。栄華(金、権力)はサタンに任されているからです。この世のグローバルエリート達、世界的大富豪達がサタンに心を動かされることは可能なのです。巨万の富で経済界やマスコミ界を支配する事が可能なのです。その誘惑は大きいのです。神を礼拝しない人は結局、サタンを礼拝しているのです。サタン的価値を上に置いているのです。その人たちの結末はサタンと同じ結末となります。世界的に有名なクリスチャンミュージシャンや俳優、大会講師なども、ちやほやされる存在なので、注意が必要です。

 

神を信じる者の心構え

アブラハムにとって富とは神から来る祝福でした。ですから人の富に頼らなかったのです。(創世記14:221−24)人は神と富とに兼ね仕えることはできないのです。また、信仰者はこの世の権力や力に頼らずに、主に頼るのです。

 

「王は軍勢の大きさでは救われない。勇者は力の大きさでは救い出されない。軍馬も勝利の頼みにはならず、軍勢の大きさも救いにはならない。見よ、主の目は主を恐れる者に注がれる。主の恵みを待ち望む者に。」

                         (詩篇33:17−18)

 

パウロの見解はこうです。

 

私たちは、何もこの世に持って来なかったし、また、何かを持って出ることもできません。 衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に沈める、愚かで有害な多くの欲望に陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し貫きました。しかし、神の人よ。あなたはこれらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい。  Iテモテ6:7−11)

 

今の世で富んでいる人たちに命じなさい。高慢にならず、頼りにならない富にではなく、むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置き、 Iテモテ6:17)

 

ここでパウロは「頼りにならない富」とまで言っています。神はケチな方ではありません。豊かに与えてくださる方です。私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くことです。ペテロはこう言います。

 

それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。あなたがたは異邦人たちがしたいと思っていることを行い、好色、欲望、泥酔、遊興、宴会騒ぎ、律法に反する偶像礼拝などにふけりましたが、それは過ぎ去った時で十分です  

                      (Iペテロ4:2−3)

 

イエスの見解はこうです。

これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。

まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。 (マタイ6:32−33)

 

幸いな人=真の成功者とは、常に神の前にへりくだり、神を礼拝している者なのです。神の御前に平安を持って立てることほど、幸せなことは無いのです。預言者ミカはこう言いました。

 

主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。  (ミカ6:8)

 

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執筆者:栗原一芳

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