2024年7月11日木曜日

「ペイガン・クリスチャニティ?」 その1

 

「異教まみれのキリスト教」出版に際して・・・

2008年アメリカで出版されベストセラーになり、同時に物議を醸した「Pagan Christianity?」が「異教まみれのキリスト教〜教会のルーツを探求する」と題してRACネットワークより出版の運びとなった。RACRethinking Authentic Church の頭文字を取っており、「本物の教会を再考する」人々のネットワークだ。8月初頭には販売開始で、基本的にはRACから3000円程度で、ネット注文となるようだ。

 

この本の内容は一言で言うと、現在、キリスト教会で行われている事のほとんどは聖書に根拠があると言うより、異教に起源があるという主張。これは最近、小林拓馬さんが動画で指摘くださっているような内容だ。つまり、キリスト教会で当たり前に行われているクリスマスやイースターは異教起源だし、日曜朝10時、会堂で行われる「日曜礼拝」という儀式、職業牧師が毎週同じ会衆に何年も続けて一方的に説教するスタイル、聖職者が執り行う聖餐式という儀式、また十一献金の強要などは、聖書的根拠がないという指摘だ。キリスト業界にとっては「不都合な事実」かもしれない。

 

313年、ローマ帝国下でキリスト教は「公認宗教」となり、392年にはローマ帝国の「国教」となる。それに伴い、意図的にヘブル的要素は削除され、ローマ色に調理されて「キリスト教」という初代教会のムーブメントとは似ても似つかない別物に変質してゆく。その「宗教・キリスト教」を完成させたのが中世のカトリック教会であり、ルターやカルバンが、宗教改革したものの、基本的に「宗教・キリスト教」を引きずっているのが現在のプロテスタント教会となる。

 

著者のフランク・バイオラとジョージ・バナーはこれら(教会で行っているプラクティスのほとんどが聖書的根拠が無いこと)を歴史的事実に基づいて証明しようとしている。一読すると「今の教会は聖書から逸脱している、現代のキリスト教をぶっ壊せ!」的なイメージを読者に与える。それだけに「危険視」され、アメリカでは物議を醸し、Youtubeでは「悪魔の書」だから読むなというメッセージも出回った。日本でも内容の危なさからか、10年以上たっても出版されないままだった。一部のクリスチャンたちの間で「知る人ぞ知る」本になっていた。しかし、バイオラが自身で言っているように、実は、「Pagan Christianity?」は次の書、「Reimaging Church」(教会を再考する)と2冊で1セットであり、これらは車の両輪のようなものだと。前書は「ぶっ壊す」側で、後者が「建て上げる」側だと。

 

今回、RACネットワーク(Rethinking Authentic Church)の松田健太郎氏が勇気を持って翻訳、出版してくださることになった。批判を覚悟で立ち上がった松田氏の勇気を褒め称えたい。自分も日本語翻訳のチェックをお手伝いさせて頂いた。また「ぶっ壊す」だけのイメージにならないように、「Reimaging Church」の翻訳もすでに進んでいると聞いて安心した。

 

自分は2009年にこの本の存在を知り、2009年から2010年フロリダ州滞在期間にバイオラ氏の本を読み漁った。目が開かれ、教会のあり方に疑問を持っていた自分は、間違っていなかったのだと大いに励まされた。そして、帰国後は残りの生涯、この「教会革命」のために捧げたいとさえ思っていた。なぜ「革命」なのか? もはや「刷新」では間に合わず、根本的な変革、すなわち「革命」が必要だとバイオラは考えている。そして、これがTMCを発足させることになった大きな動機ともなっていた。いわゆる「オーガニック・チャーチ」のモデルを形成したいという熱い思いだったのだ。現在、5つのTMC

エクレシアのメンバーは、その祝福に預かっている。

 

「異教まみれのキリスト教」出版に際して、10年以上前に、このテーマで、T M Cブログにアップした記事を、編集・加筆して再アップさせて頂くことにする。

 

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「ペイガン・クリスチャニティ?」 出版の背景

 

この本の出版される数年前に調査会社を運営するクリスチャンビジネスマンのジョージ・バナーが「レボリューション」という本を書き(和訳は地引網出版から)教会革命の先駆けとなった。その後、ジョージは同じ思いを抱くフランク・バイオラと出会い意気投合し、共著で「ペイガン・クリスチャニティ」を出版する運びとなった。インターネットでこのテーマに関しての、二人のラジオインタビューでの会話もアップロードされている。

 

「レボリューション」は日本語に翻訳出版されたのに、ペイガンの方は、あまりに過激な内容からか未だに日本語にはなっていない。これから、フランク・バイオラの「教会革命シリーズ」のうちの数冊を紹介し、私のコメントをつけてみたい。

 

まず、「ペイガン・クリスチャニティ」であるが、アメリカの文化的習慣的教会のやり方への批判が土台となっている。制度化、組織化された教会への批判である。バイオラは組織化・制度化された教会をInstitutional churchと呼んで、Organic church(有機体としての教会)と対比させている。そして、バイオラの主張は、現在の教会でやっていることのほとんどは新約聖書に無いことで、むしろ、異教に起源を発するというもの。当然、アメリカでは賛否両論、物議をかもした。しかし、考えるに値する。これに始まる「教会革命」は、この時代必要なことだろう。

 

知らないうちに正統派と自称している者が人間的伝統に甘んじて、かつてのパリサイ人のようになってくる可能性もある。「キリスト道」が「キリスト教」という「宗教」、文化なりさがってしまうこともある。そうすると、日曜の礼拝は、聖霊が無くてもできるプログラムとなってくる。スーパー牧師のワンマンショー、CEO牧師と教会の経営。顧客としての信徒。また「教会に行く」という初代教会ではありえないコンセプトがまかり通ってくる。

 

バイオラが観察するところの新約の教会とは・・・

 

Church is every believer functioning, shared life community. Head is Jesus alone. 

 

「イエスだけを頭とする、すべての信徒が参加、機能する人生、生活を分かち合うコミュニティ。 

 

しかし、「キリストのからだ」として始まった初代の有機的な教会は、すぐに変遷していく。3Cまでには、「聖―聖職者」「俗―一般信徒」の分化が明確になる。教会にヒエラルキーが生まれる。そこから神学校に行った特別な人だけが教会で仕えることができるようになっていった。

 

(つづく)

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意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ

東京メトロ・コミュニティ

Tokyo Metro Community (TMC)

執筆者:栗原一芳

 

 

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