2013年2月25日月曜日

救命ボード神学VS箱船神学



 「わが故郷、天にあらず」原題はHeaven is not My home. 著者はポール・マーシャル。いのちのことば社から翻訳本が出ている。副題が「この世で創造的に生きる」冒頭、ダラス・ウィラードの引用がある。「神というお方を、世界の現実として心からとらえることができなければならない。教会が、死後の人生よりも今の人生に関わるものとして福音を理解し、またその理解を深めなければ、両方の人生に支障をきたすことになる。教会の外にいる人たちには、キリスト教という宗教は現実の生活とは何の関係もないものと考えるだろう。教会内部にいる人たちは、教会での奉仕以外の生活をまるで神のいない世界のように感じるだろう。ここには、よく私達が議論する聖俗の分離ということよりも深い問題がある。ここで真に問われているのは、イエス・キリストの福音をどのように理解するかだ。キリストは自然界の真ただ中に霊的な世界をもたらし、そして、今ここで永遠の命に生きるようにと、私達一人一人を招いていてくださっているのだ。」

先日、日常の会話を用いて福音を伝える事を試みるセミナーに出た。会社や学校でノンクリスチャンが話している浅い会話を軽蔑してはいけない。その会話から福音を語ることを考えるべきだと学んだ。聖書の世界観を先ず頭に入れる。それは4つのチャプターからなる。(以前「御国のストーリー」で取り上げた)1。創造、2。堕落 3。購い 4。回復。多くのヒーロー映画はこのプロットに従っている。初めは平和な「あるべき世界」があった。そこに悪者が入り込み、悪をはびこらせる。そして、ヒーローが現れ悪者を退治する。やがて平和な世界が取り戻される。つまり、バットマンもウルトラマンも聖書の世界観に沿っているのだ。クリスチャンが社会で起っている出来事にノンクリスチャン同様に関心をもって、話題にし、一緒に話す事で福音のきっかけができる。誰もが「あるべき世界」を無意識的に描いている。同時に今、目の前の社会がそうでないことを知っている。何かが歪んでいることを体験的に知っているのだ。クリスチャンはそれが罪(神との関係、人との関係の歪み)と聖書から教えられている。

まず、ここで非常に大事なのは終末論である。「世界は人間のあらゆる営みとともに滅ぼされる」という立場に立てば、クリスチャンが「この世」のことに関わる事、すなわち仕事、教会以外の生活や社会的責任がないがしろにされてしまう。「どんなに慈善事業しようとも、この世界はどうせ滅ぼされる。どっちみち神の一方的な業による新天新地が来る」ということなら現在、目の前の慈善事業に力が入らなくなるだろう。会社の仕事に力が入らなくなるだろう。そして、とにかくそんなことより魂の救い、社会的責任より伝道さえしていれば良いという事になる。ここでマーシャルは「神が魂の救いにのみ関心があったら、どうしてノアの箱船に人間だけでなく、動物も入れたのか?」と問う。

「この考え方は(救命ボート神学)と呼べるだろう。被造世界はまるでタイタニック号のようで、罪という氷山と衝突して沈みかけているので、救命ボードに乗る以外は何もできないというものだ。船はどんどん沈んでいる。神は船自体をあきらめ、今は人間が生き残る事だけを望んでおられる。神の被造世界を救おうとするのは、沈みかけている船のデッキチェアーを整頓するようなもので、意味がない。私達の唯一の努めは救命ボートに入り、そのボートを浮かせ、溺れかけている者たちをつかんで水から救い出し、無事天国に着くまでボードを漕ぎ続けることなのだと。しかし、真のキリスト教の考え方は(救命ボード神学)ではなくて(箱船神学)だ。ノアの箱船は、人間だけでなく他の被造物も救った。箱船は逃げようとしてのではなく、地上に戻り再出発した。洪水の水が退くと、船に乗っていたすべての人間と、その他のすべての被造物は地上を回復するためもう一度地上に戻って行ったのだ。」さらに他の箇所でこう述べている。

「死後は天国に行くのだから地球のことはどうでもいいとう考えも非聖書的だ。聖書は新天新地があることを教えている。私達の最終目標は、地上だ。購われ、変えられた新しい地上なのだ。天と再び1つとなっても、やはり地上なのだ。・・・もし人間であることが取るに足らない、つかの間の出来事ならば、(今)という時に真剣に取り組む必要はなくなる。・・・私達人間は、神のかたちに、しかも肉体を持つものとして造られ、地上で生きるために創造された。」

だから、クリスチャンはこの時代の人々と共にこの時代の課題を一緒に背負ってこの地上を歩むべきなのである。世にあって世のものでない。アイデンティティは天にあっても、体があるのはこの地上なのだ。ここで生きる事で、キリストの命が溢れてゆく。癒しと回復が行われてゆく。この地上に神の国がやってくる。神の働く現場はこの地上なのだ。私達の信仰生活の現場は日々の実生活なのだ。神がそこに居ることで「闇は光に打ち勝たなかった」が現実のものとなる。「地を治めよ」とう被造物管理権は生きている。神はその施行を人間に期待している。その責任を放棄してはいけないのだ。

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2013年2月17日日曜日

幸福の指標



 NHKのニュースコラムで「傾聴ボランティア」の話があった。独居老人の孤独死の問題がある。聞いてくれる人が居ないと人と言葉をしゃべらなくなる。そうすると人間らしさを失って行く。社会と断絶してゆく。そんな中で傾聴ボランティアが役立っているという。はじめ取っ付きにくい男性も、話し始めると堰を切ったように話し出すという。氷が溶けるように心の氷も溶けてゆくのだろう。人には人が必要だ。だから、神は言われた「人がひとりでいるのは良くない」結婚の話に限らない。聞いてくれる人がいるだけで、人は人間性を取り戻し生きてくる。私が訪れた会津若松の仮設住宅で、クリスマス会にやって来た男性が言っていた。「こういうのでもないと、部屋で一日テレビ見てる。」

ホームレスの問題は食べ物が無いというだけではない。住所を無くし、携帯を無くし、社会から隔離されてしまう。おじさんホームレスだけではなく、若者ホームレスも増えているという。外で寝るのは危険なので、夜中、歩き回ったり、ネットカフェやファーストフード店で過ごしている。以前、NHKクローズアップ現代で「助けてと言えない30代」というテーマで若者ホームレスを取り上げ話題となった。同名の本も出版された。明日は我が身という同世代の若者からの反響が大きかったそうだ。

ひきこもりや鬱病も依然として多い。人とかかわり傷ついて殻にこもってしまうケースもあるだろう。近い将来、日本人の4割が一人暮らしになるという。そのほとんどは20代独身と独居老人。まわりと関係を持ってないと災害時にも声かける人もいない。高層マンションの部屋に内カギをしていると、家具の下敷きになっていても外からは気づかないし、入れない。地域のコーラス会でも太極拳でも何でもいい。「あの人どうしてんの?」と言ってもらえる関係があると無いでは大違い。

先日は、地元の社会福祉協議会が主催する「防災情報サロン」に出席した。60代、70代で元気に防災町づくりに励んでいる人達がいる。特に男性にとっては「居場所」と「役割」があることは大きい。避難所でも「役割」をあげないと受動的なお客さんになってしまうという。(災害時には被災者が被災者をケアするという態度が必要)

さて、シアワセの指標とは何だろうか? 健康で、やるべき使命があって、それを支える家族(コミュニティ)があるという事か。20代の後半、神学校を終えて帰国した私は人間が幸せであることの絶対条件を発見した。神学校で学んだ「雅歌」にインパクトを受けた。つまり信仰とは規律や哲学や概念ではないということ。シンプルに「関係」、それも男女の関係に一番よく表されていることを教えられた。信仰とは神との生きた関係。そういう信仰生活にはシアワセを感じられる。だから地上での人間のシアワセも、それはとてもシンプルで・・・


一緒に「いる」 一緒に「やる」


これは正に、世界の創造の初めにおられた三位一体の神のお姿なのだ。御父、御子、御霊は共に居られ、一緒に世界の創造に携わった。その喜び、祝福は世界の被造物にまで溢れ流れた。箴言8:30−31を読むと、創造の時のシアワセな姿が見て取れる。

あなたは誰かと一緒だろうか?人生を共に歩む仲間がいるだろうか?祈り合える仲間がいるだろうか?あなたは今やっている仕事/ミニストリーに意義を感じているだろうか?意味あると感じられる事を一緒にやる仲間がいるだろうか?お金があっても孤独なら意味が無い。仲間がいても意味ある事に携わっていないと虚しい。使命に生きていても一人で走っていては寂しい。聖書的なシアワセの指標、それは


一緒に「いる」 一緒に「やる」


TMCはそんなシアワセを提供するコミュニティでありたいと願っています。

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asktmc@gmail.com (栗原)

2013年1月31日木曜日

大転換の時



 2年前、駅前に文房具屋があったが、それがファミリーマートに改装された。今では、その前を通ってもその風景が当たり前になって、文房具屋があったことは過去の夢のようになってしまった。私達は今ある日本がづっとあったような錯覚に陥る。

日本は100年間に国をひっくり返すような大転換の時を2度も経験している。1つは明治維新、もう一つは第二次大戦後。250年の鎖国を破り開国、文明開化と怒濤のように文化や暮らし向きが変化して行った。戦後も鬼畜米英から日米同盟へ、神格化天皇が人間に。思想統制から言論の自由と経済発展へ。今、日本という1つの国で均一化した文化の中にいると、これがあたりまえのように思ってしまうが、幕末期、戊辰戦争という新政府軍と旧幕府群で国を2分する戦争をしていたのだ。同じ日本人が思想の違いから血を流して戦っているのだ。そもそも1億2千万の日本人が全く同じ考えをしているはずがない。旧幕府の生き残りが北海道へ逃げて蝦夷共和国という独立自治体を形成。沖縄も明治以前は、琉球王国という独立国だった。今のような日本がづっとあった訳ではない。最近では北海道独立論、沖縄独立論みたいな話がまた、出て来ているが・・・

さて、財政の崖っぷちはアメリカだけの話ではない。40兆の税収で90兆の予算を組む日本がどこまで持つのか?財政赤字1000兆の国がどこまで持つのか?大震災が首都を襲う国で、どこまで持つのか。それが引き金で一気に国債暴落となるのか?国連大学の自然災害リスクランキングで日本は世界第5位。世界で5番目に危ない国と認識されている。先進国の中では唯一ランキング入りしている。3年以内に富士山噴火と言う学者もいる。間もなく戦後70年を迎える中、中国、韓国、日本の指導者も新しく変わった。今のような日本があるのは数年のような気がする。

人間、不安になると保守化する。ヒーローを求めるようになる。事が単純化されるファッショ化する。だから今、「おまかせ民主主義」の危険性が指摘されている。ポピュラリズムや一時の熱狂は冷めていく。選挙前の脱原発はもう声を潜めている。中国の脅威があってか、自衛隊員を増員するという。その先には「国防軍」がある。しかし、今の若者が戦争に役立つだろうか?彼らを訓練するため精神教育が復活するだろう。学校でも「反いじめ対策」として精神教育が入り込むだろう。聖書の基盤の無い日本では、精神教育の基盤はどうしても国粋主義(靖国、天皇)的なものにならざるを得ないのでは? 戦中のような思想統制の時代に逆戻りしないことを願うばかりだ。

幕末、列強はアジアに進出していた。インドは、英国の植民地となり、中国にもアヘン貿易で攻めて来た。それを聞いた日本の藩主達が中国の二の舞になる事を恐れ攘夷(排外主義)に振れたのも理解できる。しかし、鎖国していては乗り遅れる。日本のアイデンティティを保ちつつ、国際的になるにはどうしたらいいのか? そんな中、日本は開国した。そして勝海舟、福沢諭吉、新渡戸稲造など聖書に影響を受けた多くの国家的リーダーが活躍した。(詳しくは「聖書を読んだサムライたち」守部喜雅 著 いのちのことば社)そんな中で日本初のキリスト教主義に立つ学校を設立しようとした人物がいた。ご存知、新島襄である。そして当時アメリカのミッションボードは「伝道師養成学校」を強く要望していた訳だが、新島の主張はこうだった。


「わたしは外国人宣教師たちのように、ただキリスト教をひろめ、それによって個人の霊魂を救うことだけが目的ではありません。キリスト教精神にもとづいた青年男女を養成し、国家のために生命がけで働く者たちを育て、わが日本の独立をますます強固なものにすること、つまり、我が国を外国人の手に渡さないためのものです。」(新島襄)


新島は伝道者養成学校というよりも、キリスト教主義に立つリベラルアーツの学校を目指したのだ。国家的指導者を排出したかったのだ。内村鑑三は2つのJを愛すると言った。一つはJapan J、もう一つは Jesus J。日本を愛するからこそ、イエスを愛する。イエスを愛するから日本を愛する。国旗、国家を強要されて国を愛する訳ではないだろう。最近、世界にいい影響を与えている国民は?という調査で日本人がナンバーワンだという記事を読んだ事がある。日本が良い国であれば、当然、日本という国を愛するのだ。外国人でさえ日本を愛するだろう。そして、それはどういう価値観に立っているかによる。キリストが2000年の歴史を超えて世界に影響を与え続けるのは、犠牲の伴う愛の実践者だからだろう。だから、イエスに従うマザーテレサは国を超えて尊敬されている。日本人が聖書的基盤に立てば、世界から尊敬され愛される。国際的紛争解決に武力を用いないというなら、相当な交渉力が必要になる。神の知恵、忍耐力、愛なしにはできないのではないだろうか。

神の国の拡大のためには、キリスト教界のリーダー(牧師、宣教師)だけを養成するだけでは足りない。政治、経済、メディア、エンターテインメントすべての社会領域で影響を与える人物を養成、派遣しなければならない。そこが神の活躍する舞台だからだ。事は現場で起っている。日本は岐路に立っている。良い方にも、悪い方にも大転換できる。聖書的世界観と価値観を持つ、若い国家的リーダーの出現が求められている。

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2013年1月20日日曜日

御国に仕える者の使命



 実は、TMCを当初始めた頃、チャーチプランティングが目的だと思っていました。東京のあちこちにスモールグループをベースにした教会が沢山生まれれば目的達成だと。しかし、マタイ28章19節の大宣教命令を読むと、主の命令は「弟子作り命令」であることが分かってきたのです。そこには、「教会を建てなさい」とは書いてないのです。原文では動詞は1つで、「弟子としなさい」という命令になっています。弟子が生み出されれば、結果的に教会が始まるのです。逆に多く教会が生まれても「お客さんマインド」で「弟子」が育っていないと意味がないのです。弟子とは「学ぶ者」であって、神の言葉を学び、神のご計画を理解し、神の声を聞いて従い、神の業に参与するものです。

教会=エクレシアは「目的をもって召し出された者たちのコミュニティ」です。神のキングダムを広げるため、当然、ボーンアゲインしたクリスチャン達は集まり、励まし合い、学び合い、宣教を共にするでしょうね。教会を建てることに関してイエス様はペテロに「この岩の上に、わたしの教会を建てます。」(マタイ16:18)と言っておられます。つまり教会はイエス様が建てるのです。

聖書があまり礼拝の順序や、教会を建てることや、教団の運営について語っていないのは興味深いことです。礼拝の原則的なことは書かれていても(使徒2:46−47)マニュアルはありません。実は教会とは「私達」クリスチャンであり、キリストの生きた生命体なのです。エペソ書2章を読むと神様の考えておられる教会像が見えてきます。

1.私達は死んでいた。私達は罪過と罪の中に死んでいた。(2:1)生まれながらに御怒りを受けるべき子ら。(2:3)

2.恵みとあわれみによりキリストによって救われた。救いは神からの賜物で誰も誇る事が出来ない。(2:8−9)しかし、以下続きを読むとわかるように、個々人が救われて終わりではないのです。天国行きの切符を手にして終わりではないのです。それならば信じた時、即天国に行けばいいのです。しかし、この地上でやるべき事が残されているのです。エペソ2:10を見ると地上ですべき「良い行い」があり、その「良い行い」をするためにキリストにあって作られた神の作品なのだと聖書は言っています。

3.以前は神の契約においては他国人(異邦人)であった私達がキリストの血で罪人と聖なる神という壁がこわされ、異邦人である我々が契約の子であるイスラエルと1つになることが許された。(2:12−17)ここで重要なのは救われた個々人を神はご自身の目的のために「集め」1つとするということです。つまり、神の目的のために「召し集める」すなわちエクレシア=教会=地上におけるキリストの体、生命体を作るという訳です。

4.1つの御霊が与えられ、今は異邦人も聖徒たちと同じ国民、「神の家族」となった。(2:18)御霊は1つ、信仰は1つなのです。1つの御霊を飲んだものは同質となるのです。もうどの国のどんな立場の人でもクリスチャン(1つ御霊を飲んだ者)として同質であり、同じ家族のメンバーです。この点から民族優越主義は偶像礼拝の罪です。クリスチャンであれば、皆、同じ主にひざまずく存在です。

5.さて、集められましたね。集められた者はどうなるんでしょうか?私達はキリストを礎石とする「生ける神殿」であるというのです。(参照 Iコリント3:16−17)エペソでは「主にある聖なる宮」であり、建物全体が成長すると言っています。キリストの体という生ける生命体となっているということ。生きているから動きます、成長します。この生命体が「教会」なのであって、これは、主ご自身が建て上げているのです。エペソ2:22には「キリストにあって、あなたがたもともに建てられ」とあり、キリストと一緒に御国の働きに携わってゆく様子が見て取れます。「御霊によって神の御住まいとなるのです。」ここにヨハネ4章19−23節でイエス様がおっしゃったことが実現するのです。つまり「この山でもない、エルサレムでもない」という場所限定のご臨在や場所限定の礼拝から解放されるのです。真の礼拝者が集えばスタバでも立派な礼拝ができるのです。神の御住まいを遠方に探しにいかなくても、私達が神の御住まいとなるというのです。だからエクレシアは神の国の「見える化」した型なのです。

6.ワンマンショーではなく、チームワーク。ここで大事なのは「この方によって組み合わされた」という言葉で、エペソ4章16節を見ると、(また以前の節を見ると)それぞれ賜物を持った人が体の器官のように組み合わされ体全体を作ってゆく様子が書かれていることがわかります。誰一人不要な人はいません。大事な神殿を築く石なのです。また、16節では「からだ全体は1つ1つの部分がその力量にふさわしく」とあり、全ての人が同じ力で同じ働きをするのではないことも明白です。与えられているタラントは量も質もそれぞれ違います。


7.御心実現のために「よき行い」をする。(2:10)弟子とは御国に仕える人々のことです。すなわち御国マインドを持ってこの地上で影響力を与えてゆく人々です。そして、御国とは「ここにある、あそこにある」というロケーションのことではなく、神の支配されるところ。神の御心が実現されるところ。主の祈りでイエス様は「天に御心が成るように、地でも成りますように」と祈る事を勧めておられます。この地上で神の御心に沿う良い行いが為されてゆく必要があるのです。神の御心を知るには神の言葉である「聖書」を読む必要があります。救いの全体像を知る必要があります。ですから「聖書」は「創世記」から「黙示録」まで全体を通して読まなければなりません。私達はキングダムリーダーとしてこの地上にいる限り「良い行い」を為してゆく使命があるのです。「よき行い」は伝道や教会員を増やすことだけではないでしょう。すなわち「御心が地でも成るように」神に聞き、神に力と知恵を頂き、行動してゆく使命があるということです。そして、私達の携わっている地上の仕事には意味があるということです。


「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに、歩むことではないか。」(ミカ6:8)


「公義」とは興味深い言葉ですね。パブリックな義、英語でいうJusticeでしょうか。日本語では社会正義に近いでしょう。Do the right thing. 正しい事をする。不正を暴き、抑圧されている人々を助けること。旧約には孤児、やもめ(現代的にはシングルマザーも含まれるでしょう)、貧困者、在留外国人を助けなさいと何度も出てきます。神はノンクリスチャンも用います。クリスチャンだけが善を為している訳ではありません。クリスチャンだけが神の計画にかかわっている訳ではありません。旧約では神は、異邦人クロス王を用いてイスラエルの捕囚地からの帰還を実現しています。リーマンショック後、ホームレスが急増した時、日比谷公園で派遣村を立ち上げた湯浅誠さんの働きは、その一例と言えるでしょう。ビッグイシューなどホームレスの自立を助けるNPOの働きを神は喜んでくださっていると思います。被災地支援はクリスチャンであろうと、なかろうと神が喜ばれる働きだと思います。神のかたちに造られ、被造物管理権が与えられている人間が環境保全、エネルギー問題、危機管理などに携わる事も御心にかなうことだと思います。ただクリスチャンはその良き行いが誰から託され、誰のためにしているかを知っているのです。
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2013年1月14日月曜日

「国家」と「御国」



 三浦綾子の小説に「海嶺」というのがある。江戸末期、岩吉、音吉、久吉の3人が遠州灘で嵐に会い、漂流。1年以上も漂流し奇跡的に現カナダのフラッタリー岬に漂着。それからアメリカ、イギリス、マカオと外国を転々とする。マカオでは宣教師ギュッツラフの下、ヨハネ福音書の翻訳を手伝うことになる。

こうして海外で多くの人に助けられ、ついに5年ぶりにモリソン号に乗って日本に送り届けてもらう事になる。それが1837年7月のこと。しかし、日本では、すでに1825年に「異国船打ち払い令」が出ていた。3人はもちろん日本を愛していた。日本の自然、日本の食べ物、そして父母、恋人。5年ぶりに御前崎の風景を目にした3人の感動はどれほどであったろうか。江戸湾に着いたモリソン号は7月31日、何と砲撃されてしまう。他の港を試みるため鹿児島湾へ。しかし、そこでも砲撃され泣く泣く8月29日にはマカオに戻される。砲撃してくる母国日本を眺めながら音吉は思う。「あれが日本や、あれが日本なんや」そして言う「お上って何や、国って何や」。

作家で、元外務省主任分析官であった佐藤優氏は著書「ナショナリズムという迷宮」(朝日新書)の中で「官僚は国家なり」と断言している。そして、こうも述べている。「政治のコントロールが利かなくなると、自己保存に走るというのが官僚機構の本質なんです。」さらにクリスチャンでもある佐藤氏は宗教的なからみでこう述べている。「宗教的な表現をするならば、現段階における人間の原罪はナショナリズムだと言えます。それはなぜか。ナショナリズムによって自分の命を差し出す用意ができてしまうからなんです。そういう気構えがあれば他人の命なんてどうでもよくなるわけでしょ。」これは国に限ったことではなく、集団や組織でも同じ事。すでにオウム事件で起った事だ。すなわち、神の座に「国」「集団」「組織」が置かれれば、それに対する全的献身が求められ、命を差し出す用意が出来てしまうという事だ。

そして、そこに民族主義的要素が入ってくる。ペリー来日で開国はしたものの、根強い攘夷論(排外主義)があり幕府の開国主義と激しい内乱が続いてゆく。この排外主義は第二次大戦の時も起った。それは日本民族優越主義とカップリングになっている。しかし、沖縄生まれの佐藤氏は興味深いことを言っている。「沖縄には天皇崇拝が無い」と。そして、「沖縄亜民族」を唱えている。どうやって日本を統一するのか?中央政府の考え出す思想によってか。江戸時代の日本には外様大名や参勤交代制度があり、中央政府は常に地方の反乱を恐れていた。しかし、幕末には長州、薩摩、水戸藩など有力な地方勢力(雄藩)の存在が大きくなる。外圧と地方勢力により中央はコントロールできなくなっていく。そして大政奉還に至る。

戦時中は「天皇は神」と教えられ、日本は「神国」と教えられた。戦争が終わると「天皇人間宣言」が行われ、「神国」日本はGHQの支配下に置かれる。当時、教師であった三浦綾子さんは、今までの価値観を否定され、教育勅語を墨で塗りつぶしながら教えることに混乱し、失望した。「国とは何やろう、お上とは何やろう」は三浦さん自身の疑問だったのだ。この国では、日本をこよなく愛するキリシタン達が迫害を受け殉教していった。戦時中もキリストを語るホーリネスの説教者は投獄された。日本人が母国に見放される。自分の愛する日本に見放される。日本を愛するが故に日本が間違った方向に行こうとするなら警告を鳴らし、中央政府を批判することもあり得るだろう。

作家の立花隆さんは、この時代の日本へ、するどい警鐘を鳴らしている。

「1つの国が滅びの道を突っ走りはじめるときというのは、恐らくこうなのだ。
とめどなく空虚な空騒ぎが続き、社会が一大転換期にさしかかっているというのに、ほとんどの人が時代がどのように展開しつつあるのか見ようとしない。たとえようもなくひどい知力の衰弱が社会をおおっているため、ほとんどの人が、ちょっと考えればすぐわかりそうなはずのものがわからず、ちょっと目をこらせばみえるものが見えない。こう書きながら、今日ただいまの日本が、もう一度そういう滅びの道のとば口に立っているのかもしれないと思っている。」「天皇と東大」:文芸春秋

海嶺では砲撃されて絶望的になっている中で、岩吉が言う。「・・・そうか。お上がわしらを捨てても・・・決して捨てぬ者がいるのや」すでに聖書に触れていた岩吉は聖書の神を思い起こす。外国人である彼らを丁重に保護してくれた人々を思い出す。使徒の働き17章26節には「神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。」とある。それぞれの国やそれぞれの文化を否定するのではない。すべてをお造りになった神の前にひれ伏すことで民族のアイデンティティを守りつつ、他の民族とも融合できるのだ。御国の価値観に立つ時に義がなされ、御心が地でも為されてゆくのだ。



「主よわれらの神よ。あなたは栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころのゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」(黙示録4:11)


「あなたはほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々をあがない、私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」(黙示録5:9)


「だから神の国とその義をまず第一に求めなさい」(マタイ6:33)


「だから、こう祈りなさい。天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でもおこなわれますように。」(マタイ6:9)


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2012年12月25日火曜日

新しいコミュニティの創出



 被災地の仮設では中高年の男性が孤独になる傾向がある。お茶会などをやっても圧倒的にご婦人が多い。一つは支援を受けたくないというプライドもあり、もともと交わりが下手な事もあり、部屋にひきこもり一日中酒を飲み、テレビを見ているか、外でパチンコをやるとう事になる。通常、男性は会社での「社縁」が強い。田舎では「血縁」「地縁」も強いだろう。しかし、震災で家を無くし、くじ引きで仮設に入れば、それらの「縁」を失ってしまう。それでも少しずつ仮設での自治会が出来、コミュニティが出来つつある。今度はそこから高層マンションに移ると、またコミュニティを失ってしまうという。

派遣村村長で、NPO反貧困ネットワークを推進する湯浅誠氏は、以上の「血縁」「地縁」「社縁」を超えた新しいコミュニティの創出の必要を訴えている。東京のような都会でも突然リストラに会い、ホームレスになってしまう人々がいる。ある精神科医の知人から聞いた話だが、ホームレスミニストリーで公園に行った時、ベンチの端と端に座っている2人のホームレスは何の言葉もかわす事無く1日そこに座っていたという。湯浅氏は日本には新しいコミュニティを創出するノウハウの蓄積が少ないと指摘している。

「地域や社会の中に居場所を失った中高年男性の生活が崩れてゆく事の影響は必ずその家族、地域、またその家族を通じて家族の地域、職場などに及んでいきます。妻に対するDVや子供に対する虐待などは直接的なので想像しやすいでしょうが、親の具合が悪くなる事で、子供の仕事や生活に影響が出る、周辺トラブルから周囲の人達も健康を害すなどといった例は、いくらでもあります。それは社会全体にとってマイナスをもたらしている、言い換えれば社会全体が損をしている、とういことです。」

課題先進国の日本では、「孤独死」「自殺」が後を断たない。子供の間の「いじめ」もその辺に問題がある。コミュニティは存在しても閉鎖的で同調しない者を排外する傾向にある。日本が右翼化し、日本=日本人というコアコミュニティが出来ると、少しでも同調できない者を非国民として排除してゆくようになるだろう。そして自己絶対化の罪に陥る。国民は政治に期待し、何度も失望してきた。湯浅氏は「ヒーローを待っていても世界は変わらない」で「おまかせ民主主義」の危険性と、自分達で、出来る事をやってゆく道を示している。今後は市民運動、NPOの役割はさらに大きくなると思われる。

「地域のみんなでまちづくり」を提唱する山崎亮さんの職業は何と、「コミュニティデザイナー」だとういう。(「コミュニティデザインの時代」中央公論)。地方活性化にNPOなどの地元コミュニティの活躍が欠かせないとする。また、孤独死や無縁社会という中で、今こそ人とのつながりを自らの手で築く必要があるという訳だ。


要は「居場所」と「役割」を作ることにある。


仮設でもボランティアに「してもらう」から一緒にイベントを「共催」するように変わってきている。先日、私が行ったいわきの仮設でも仮設自治会から頼まれてクリスマス会を自治会の主催、ボランティア団体、教会の協力で行った。「役割」があれば人は生きてくる。はたらくとは「はた」を「らく」にすることだそうだ。その精神で皆で協力すれば「生きてくる」。評論家の荻上チキ氏も最近の著書「僕らはいつまでダメ出し社会を続けるのか」の中でさまざまな社会問題に対して政府に「ダメ」を言っているだけでなく、その問題を生み出す社会環境を変革するため足下から行動を起こすことを提唱している。例えば、荻上氏は「ストップ!いじめナビ」を賛同者と始めている。行政がすべてできない。政治家がすべての分野での専門家でもない。我々市民が「シングルイシューのセミプロ化」で政治家に働きかけ、勉強会を始めるなど、「新しい公共」の姿を提案している。コミュニティの創出は、いろんな人達と出会う「きっかけ」作り。そんなに難しい事ではないが、創造性が必要だという。


先日、いわきで会ったアメリカ人クリスチャンのボランティから聞いた話だ。彼はストリートに出て行ってミニストリーしている。しかし、多くのクリスチャンは守りの姿勢で出て行かない。アメリカの教会は地元の必要に答えていない。人々が多くの問題、困難の中にいるのに助けてくれない教会を憎み始めている。そのうち教会への迫害が起るであろうと。先の湯浅氏はリーマンショック後にリストラされホームレスになった人達のために日比谷公園に「派遣村」を作って年末に食べ物と住処を提供した。アクションを起こした。神は時にクリスチャンでない人を用いて神のご計画を推進される。(旧約のネブカデネザル王、ペルシャのクロス王など)クリスチャンの私は大きなチャレンジを受けた。3:11以降はクラッシュジャパンなどクリスチャンのボランティア団体がアクションを起こしたことは嬉しい。その中で神からのメッセージを聞いて、コミュニティと教会の壁を崩して、コミュニティの中へと入って行っている牧師達がいる。教会の奉仕部門をNPO化した教会もある。救世軍は元々、その両車輪で働きをしている。我々東京のクリスチャンは3:11の神からのメッセージをどう聞いているだろうか?

今、日本では以上のようなコミュニティ創出へのビッグニーズがある。「血縁」「地縁」「社縁」を超えたコミュニティが必要だという。人と人との触れ合いが必要だという。いろんな違う分野の人々との横の連携(ネットワーク)が必要だという。「役割」と「居場所」が必要だと社会が叫んでいる。教会はどう答えるのだろうか?

東京のど真ん中に神のコミュニティ(エクレシア)を創出してゆく。これがTMC(Tokyo Metro Community)のビジョンなのです。教会という組織の自己保存ではなく、神に呼ばれたクリスチャンとノンクリスチャンが共に「居場所」と「役割」が与えられ、そこにキリストが受肉され、新しいコミュニティが創出されてゆくのです。
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2012年12月13日木曜日

「自己を知り、自己を生かす」   




皆さんは自分の事をどれくらい知っていますか? 過去5年間に自分に関して変化したことは何でしょう?(例えば、服装、価値、友達、読む本・・・)

「文明化した社会の平均的な人は通常、神から与えられた能力の7%-10%しかその生涯の中で使っていない。なぜ?それは彼らが自分の与えられている能力を正しく評価してない、また弱さや罪を処理する方法を知らないからだ」 Dr. Ron Jenson

人は自分が思っているような人間になるのです。自分が鶏だと思っていればいつまで経っても飛べません。ある人はワシのように羽ばたくのです。あなたは自分自身をどれくらい知っていますか。今の自分を形作るのに、あなたの人生に影響与えた人たちは誰だったでしょう?それは、どんな出会だったでしょうか?

共産主義化のロシアでは70%の10代の女の子が職業として売春を選んだというのです。なぜなら「神はいない、魂は無い」という思想に影響されていたからです。実際的にいかに早く、簡単にお金を稼げるかだけに注目していたのです。自分をどう見ているか、自己の価値観、セルフイメージがライフスタイルをきめてゆきます。自分が意味のない存在なら、自分を安売りするような生き方になるのです。自分のセルフイメージを形成するのに、どういう影響をどういう人から受けてきたかがカギとなります。かなり大きい部分は自分の親ではないでしょうか。ここで質問です。

1)  あなたは自分をどう見ていますか?神様はあなたをどうご覧になっていると思いますか?

2)  自分を自分らしくしているよい部分、強みは何だと思いますか? 必ずあります。長所は短所にもなりうるし、短所は長所にもなりうるのです。

3)  あなたの興味あることは? 神から与えられた才能あるいは情熱燃やせるものとは?

4)  あなたの潜在的な能力を十分発揮させていない妨げとなっているもの、弱みとは何でしょう。

弱い部分にうまく対処してゆく必要があります。前に進むのに妨げになっているものを認知し、対処するのです。船を進ませるには、強い追い風をもらうことが一つですが、前から吹いてくる逆風の抵抗をいかに小さくするかという面もあるのです。障害を認知し、取り除くのです。弱みや罪を自他ともに認めること。それが解決のカギです。隠しているかぎり前進はないのです。

1)  あなたは個人的な批判を受けたとき、どう対処していますか? 普通、私達は弱み(Sore spot)に触れられると痛いのです、そして、弱みを指摘されるとイライラしたり、防御的になるのです。でも、弱みを指摘されたら感謝しましょう。それが、成長する機会となるのですから。問題が分かることは問題が50%解決したことだと思いましょう。

前進しているプロセスにフォーカスしましょう 工事中であることを認めると楽になります。実際すべての人は工事中なのです。神以外、完全者はいないのです。聖書は全ての人は「脱線状態にある、あるべき理想状態からずれている」と言っています。でも、内側の御霊は確実にあなたを神の願う姿に変えてくださっています。ローマは1日にして成らず。成長はプロセスです。

自分の情熱、能力、個性、経験を知ると楽になります。あれこれ手を出さなくてよくなります。強みで勝負できるようになります。自分がやるべきことを自信をもってやるようになります。やっている事を楽しめます。自分の強み、弱みを知ると、YES,NOはっきり言えるようになります。ストレスも減るでしょう。自分が誰か分からない、何をしていいかわからない。これがストレスとなるのです。


自分を知る基本
リック・ウオレン牧師が書いたベストセラー「5つの目的」(Purpose driven life) によると・・・

1)あなたは神の手造りによる芸術作品である。

  聖書では「あなたは私の目に高価で尊い、私はあなたを愛している」と断言していま   す。God makes no junk. 神はグズを作らないのです。神がつくったものはすばらしいの  です。あなたを作られた神が太鼓判を押して「大丈夫」と後押ししてくださっていま   す。神の作品に失敗はないのです。

2)あなたは特別にデザインされた、世界にただ一つしかないオリジナル作品である。

あなたは、大量生産の規格品ではないのです。神の形につくられているのです。だから創造力があるのです。ある意味で神のマネができるのです。神に愛されている存在。そして、世界中でただ一人の夫、父、娘、息子。60億の2人として同じ人がいないというのは驚きです。そうユニークなのです。だから比較には意味がないのです。

3) あなたらしさを発揮して神に仕え、人に仕えてゆくことができるよう、神は慎重
 あなたを形作られた。

  ですから、You can make difference. あなたはあなたにしか出来ない方法で、周り       に影響を与えることができる。あなたはどんな香りを放っているでしょうか?あなたは      周りの人の祝福ですか?あなたは周りの人々を引き上げているでしょうか?それとも引き     下げているでしょうか?あなたは他の人々の人生に「良き影響」という遺産を残すことが     できるのです。

3)神は人生に起こる全てのことを用いてあなたを整え、神と人に仕えるものとしてくださる。

ピンチはチャンスとも言います。人生には良い事も、悪い事も起ります。すべてを用いて神は神のご計画を実現されるという信仰の視野を持つ事が大事です。受身的に文句を言って一生終わるのか、愛の神がくれたチャレンジとして受け取り前進するのか?辛い事もありますが、神はそれらを通してあなたを練り鍛え、もっと魅力ある人間に、キリストの姿へと変えてくださるのです。

Achieving your significance in God.

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